セビリアのフリーペーパー"metro"、2月14日版から


こちらには"metro" "20 minutos"などのフリーペーパーがあり、毎朝制服を着たお姉さんやお兄さんが道行く人に配っています。ほんの20ページほどの新聞ですが、簡単ながら国際、国内、地方、街のニュース、スポーツからクロスワードまでざっとカバーしています。地域のニュースや、安いインターネットプロバイダなどの情報を探すのには結構便利です。


それはそうと。2月14日版の第一面に、「警察、60人のokupasをエンカルナシオン広場のアパートから退去させる」という小さな記事がありました。エンカルナシオン広場とはセビリアの中心地、すぐ近くにマーケットがあるので、私もしょっちゅう魚や野菜を買いに行くところです。


実はこの事件、前日13日の朝に買い物に行くときに、目撃しました。30人ほどの大きな銃(なんというんでしょうか?バズーカではないですが、担ぐ感じのサイズでした)を持った警官たちが、道を占拠していて、買い物に行こうとすると「ここは通れないよ」と注意されました。まあ広場の反対側を通ってそのときは市場に行きましたが。


物見高く人が警官達を囲んでいるので、「一体何なの?」とそこらへんのおじいさんに聞くと、「Okupa達を追い出しているんだよ」との答え。Okupaとは、オキュパと読み、英語のOccupyと同じ語源です。つまり「占拠」-この場合は、使われていない建物(新聞記事によれば、アパート20戸の入った建物だそうです)を「占拠」して、勝手にそこに暮らしていた人たち、ということになります。記事によれば人数はなんと60人以上、そのほとんどが25歳以下で、1年ちかくこの市の中心地に暮らしていたそうです。


買い物に行く地域なので、彼らの存在にはなんとなく気がついてはいました。古くて、手を入れれば素晴らしいだろうと思われる建物ですが、電気ももちろん水も通っていないところに60人も暮らしているので、その前を通るとひどい異臭がしました。また、一面に落書きがあったことも覚えています。今回の追放も、近所の人たちの要請で行われたようですが、それも仕方ないかな、という気はしました。


「それにしても、あんな武器なんていらないじゃないの」と言うと、おじいさんは、「ゴム弾だからね。とにかく人数が多いからな」と答えました。ゴム弾だからって・・・相手は武器も何も持っていないのに。


彼らは結局退去したようですが、新聞記事には、「前もって言って欲しかった。今日から眠るところがない」とコメントが掲載されていした。「市がきちんとした住居をあてがってくれるまで、抗議の意味で市庁舎のドアの前で眠ることにする」とも言っています。


実はこのokupa、スペインではかなり耳にします。使っていない不動産を持っている大家さんは、「占拠」されないように、窓やドアを煉瓦でふさいだりもします。占拠するのですから、もちろん家賃も払わず、その後出て行ってもらうのもなかなか難しい、ということのようです。


彼らはもちろんほとんどの場合仕事もなく、住むところもない人たちなのでしょう。ホームレスになるかどこかを占拠するか、といったら、私だって使われていない建物に住みます。ただ今回の場合気になるのは、みんなとても若いことです。その年で仕事を選ばなくても、電気も通っていないような建物を占拠しなくてはいけないくらい、本当にみんな切羽詰まっているのでしょうか。それほど仕事がないのでしょうか。それとも、社会的な抗議行動のつもりで、そのような生活を選ぶのでしょうか。友人の知り合いは、政治的信念から「占拠」した建物に住むことを選びましたが、自他ともに認める政治オンチの私には、それも何か違うような気がしてならないのです。私有財産に反対、ということのようですが。


体制に反対だ、というのはわかりますが、市に対して、体制に従って働いている人たちの払った税金を使って自分たちの住居をよこせ、というのはやはりちょtっと矛盾している気がします。私が保守的なのかもしれませんが、抗議したいのなら、それだけの力をつけてからにしろ、と思ってしまうのです。システムにおんぶしながらそれに抗議するのではなく。


それでも日本に比べれば、だいぶ元気のある抗議なのかな、とも思いますけれど。そういえば日本では、「建物占拠」のニュースって聞きませんね。ホームレスの人たちがあんなにたくさんいるのに。不思議です。






昨日は聖バレンタインの日だったので、ここスペインでも赤いバラを持った男性がそこら中をうろうろしていました。一本だけ持っている男の子や、真っ赤なバラの花束を抱えたおじさまなど。いいですねー。新聞の広告、お店の飾りつけなどもバレンタイン一色。クリスマスと同じくかなり商業化していますが、それでも風情がある気がします。イギリスの大学で、バレンタインの日の朝、寮に大量に届けられた「バラ一本」ケースを思い出しました。「バレンタインおめでとう」とカードがつけられているだけで、普通送り主の名前は書かないので、寮の中で女の子たちが「ねえ、あたしにバラ送った?」と男の子たちに聞き、「なんでお前に送るんだよ」といなされたりしていました。


バレンタインだから、というわけではありませんが、昨日はセビリアでクラシックのコンサートに行きました。モーツァルトとシューマンの室内楽で、バイオリン(Hagai Shaham)、ビオラ(Felix Schwartz)、チェロ(Caludio Bohorquez)、クラリネット(Karl-Heinz Steffens)、そしてピアノ(Elena Bashkirova)でした。なんというか、暖かくて透き通った春の日差しのような音色でした。バイオリンとピアノが特に素晴らしかったです。若いチェリストが、いかにも楽しそうに演奏していたのが印象に残りました。


それはとにかく。今日書きたいなと思ったのは、バレンタインの話ではなく、先週出会ったある人のことです。


すべての出会いは、本当の本当に偶然なんでしょうかね?グラナダのバルのカウンターで、一生懸命なスペイン語で何かオーダーしている声がしたので、読んでいた本から目を上げると、極彩色の服を着て、虹色の大きな帽子をかぶった東洋人の女の子が、バルの店員とメニューを片手に話していました。私は旅行者に話しかけることはめったにないのですが、その後ガイドブックを取り出した彼女にはなぜか、日本の方ですか、と声をかけました。見上げて、こちらを向いた彼女がとても嬉しそうに笑って、はい、と答えたのを覚えています。


その後一体何を話したのか全部は覚えていませんが、かなり早口なのにやわらかな関西弁を話す彼女と、その夜、次の夜と会い、その数日後の土曜日には、今度はセビリアに来た彼女を連れの家に招待して、月曜までとにかく話し続けました。日本語がかなり怪しい連れが、君がこんなにしゃべってるの見たことないぞ、というくらいに。連れもありったけの日本語を駆使して、彼女と話していましたが。


私より10も年下のその人は、沖縄の民謡を歌うミュージシャンで、両親が沖縄出身であるため、小さなころから沖縄の音楽に触れてきたのだということでした。18才だかのときに、学校を辞めてかの地に渡り、本格的に民謡の勉強をはじめたそうです。まだまだ若いのに今は音楽一本で食べているそうで、幼げな語り口とプロの職業人の強さが同居している不思議な人でした。口にする言葉も、すっとんきょうなこともあれば、はっとするほど洞察力に富んでいるものもあり、この人の宇宙はどうなっているのだろうと思わされました。


何より人をひきつける人でした。セビリアで会ったときには、チョコ入りクロワッサンの袋をもっていて、「公園で座ってたら人がくれた」・・・とにかく誰もが話しかけたくなる人だったのです。もう一つ不思議なのは、「英語もスペイン語もできないよ」というわりに、どこででも人と話していることで、しかも彼女の話を聞くと、「バルでおごってくれた人は母子家庭なんだって」「バスでとなりだった人はこれからソルトレイクっていうところに行くんだって。もう73歳なのに一人で旅行してるの」・・・とかなりつっこんだところまで通じているらしいことです。相手は英語はまったくダメなスペイン人だったり、ときにはフランス人だったりするので、この世には言葉を介さないコミュニケーションがあるらしいなあ、と考え込んでしまいました。


1人で23カ国旅行したんだよ、とちょっと嬉しそうに言っていました。話を聞けば南米ありアジアあり、ヨーロッパもありで、ほんとに一人で行っても大丈夫だった?と聞きたくなるところも多かったのですが、「運は強いから」と笑っていました。確かにそうだろうなあ、と思わせる人でしたが。


思うに人をひきつける力、というのは、自分が自分の人生を愛している(気恥ずかしい表現ですが)ところから生まれるのではないでしょうか。ちょっときついこともあった、と言いながらも、彼女はいつもとても素直に自分の人生を楽しみ、それが用意してくれている贈り物をフルに味わおうとしているように見えました。生を受けたことを素直に楽しんでいるように見えました。


また会うことがあるのか、それともこの一度限りなのか、それはわかりません。でもこんなことがあるから、人生には飽きないなあ、と思える出会いであったことは確かです。彼女と会ったことで、ほんの少しだけ自分のどこかが変わったような気がします。何が、かはまだよくわかりませんが。


これからの彼女に幸あれ。歌い手さんの名前は、仲村奈月さんといいます。














たまーに、本当にたまにですが、詩が読みたくなることがあります。不思議ですが、詩が散文よりも心に響くときがある、と初めて感じたのは、スペイン語の勉強をしていたときでした。日本語でも国語の時間だとか、そこここで詩を読んだり読まされたりしたことはあるのですが、散文よりも力強い、と感じたことはあまりないような気がします。思うに、個人的な音の好き嫌い、というか合う合わない、があるのでしょう。韻を踏む、というのは日本語の詩ではあまりピンとこない(というか不勉強なだけか・・?)気がしますし、アクセントを合わせる、というのもあまりないですよね。スペイン語は、通常後ろから二番目の母音にアクセントがある、と決まっているのと、名詞も形容詞も男性形ならo、女性形ならaで終わる(たまにeもありますが)ため、リズムが作り出しやすいのかな、とも思いますが。


さて、グラナダ出身の詩人といえば、こちらでは子供でも知っているのがフェデリコ・ガルシア・ロルカです。内戦のときに故郷グラナダで銃殺されたこの詩人の作品は、こちらに住んでいるとイヤでも読まされます。詩作だけではなく、かなり前衛的な劇作家でもあり、ダリの友人であり(ダリに片思いしていたそうですが)、エッセイにしても、わけのわからぬペン画にしても(たくさん妙ちきりんな絵を残しています)、なんというか「天才」ってこういうものか、というようなエネルギーを感じさせる芸術家です。この詩人は非常に興味深いヒトなので、また機会があったら少し書きたいと思います。


それはとにかく、今日は本当に久しぶりに何かことん、と響く音が読みたくなりました。この詩は、ロルカの最後の詩集、Divan de tamrit からの一編です。この詩集ではすべての詩に、Gacela  または Casida という分類名がついていますが、これはアラブ語の詩の形だそうです。もっとも詩そのものは、アラブ語の詩形とはまったくなんの関連もないそうで、グラナダ出身の詩人の頭には、アルハンブラやアラブ風の街並みがあった、ということなのでしょうか。


音が綺麗だと思いませんか(スペイン語はもうそのまんまのローマ字読みです)?拙訳(間違っていたらごめんなさいー)をつけておきます。



La noche no quiere venir

para que tú no vengas,

ni yo pueda ir.


Pero yo iré,

aunque un sol de alacranes me coma la sien.


Pero tú vendrás

con la lengua quemada por la lluvia de sal.


El día no quiere venir

para que tú no vengas,

ni yo pueda ir.


Pero yo iré

entregando a los sapos mi mordido clavel.


Pero tú vendrás

por las turbias cloacas de la oscuridad.


Ni la noche ni el día quieren venir

para que por ti muera

y tú mueras por mí.


(Gacela III Del Amor Desesperado, "Divan del Tamarit")


夜にならない

君がここまで来ないように

僕がそこまで行くこともできないように


それでも行くよ

蠍のような太陽が こめかみを刺しても


それでも来るね

塩の雨が舌を焼くなか


夜が明けない

君がここまで来ないように

僕がそこまで行くこともできないように


それでも行くよ

ぐちゃぐちゃに噛んだカーネイションの花を蟇蛙どもにくれてやりながら


それでも来るね

泥にまみれた下水のような暗闇を伝って


日は落ちず、夜が明けることもない

君に焦がれて僕が死に

僕に焦がれて君が息絶えるようにと



スペイン語で瓶、ボトルはBotella(ボテーヤ)と言いますが、これが転じたBotellón(ボテヨン)という言葉があります。この語尾に「on」をつけたすのは、「たくさんある」ということを表す場合が多いのですが(例えばmontón(モントン) → monte 「山」 にon をつけた・・・んでしょうか。意味するところは「山ほど」。同じ意味で mogollón(モゴヨン)などがあります)、この場合は「ボトルがたくさんある」、すなわち山ほどお酒を飲む・・・のですが、それも道なり広場なり、とにかくバルではなく街角で、買い込んできたお酒を地べたに座って飲むことを指します。


これは習慣としてはそう古いものではなく、ここ10数年のことのようですが、貧乏な学生がバルに行くかわりにそこらへんの店でビールやときにはウイスキー、それを割るコーラ、ヒマワリの種などのおつまみ(ピパといいますが)などを買い込んで、夜な夜なお酒を飲むわけです。広場で、公園で、そこらへんの道端で。ダンボールをやぶって敷いた上で酒盛りをしていたりするので、なんとなく日本のお花見に似ていなくもないですが、こちらは一年中(寒い時期には減りますが、なくなることはありません)です。そして半端じゃないのがその人数です。場所にもよりますが、大聖堂前の大きな広場や、セビリアだったらアラメダ広場(非常に大きな広場です)に何百人と集まってきます。もちろん一つの集団ではなく、いくつものグループがやってくるわけですが。


バルセロナ出身の友人の話によると、これはどちらかというとアンダルシアの習慣で、北のほうではあまりないそうですが、気候にもよるのでしょう。まあハタから見ているとガヤガヤととても楽しそうではありますが、毎朝残していくゴミの量がものすごく、またこぼれたお酒などでべたついた道を掃除するのおも大変、ということで去年、これを禁止する法律ができました。週末の夜には広場から広場へとパトカーが周り、これが止まって中から警官がでてくると、みんな酒盛りを中止して、ぶつぶつ言いながら散っていきます。といっても、他の広場なり道端なりを探す、ということなのですが。


こちらの人は、家ではなく、「道で暮らす」vivir en las calles - 要は、人を家に呼んだりするよりも、みんなで外に出て食べたり飲んだりするほうが多い、外ですごす時間が多い、ということですが - と言われています。このボテヨンもその一環なのでしょうか。ゴミを残していくのは最低だ、としても、とにかく出かけて外で人としゃべることを何よりも楽しむ、こちらの人らしい習慣ではあるよなあ、と思います。ビール一リットルでせいぜい2ユーロ程度、これを何本か買って、ヒマワリのタネをかじりながら、お金をかけずにとにかく楽しく過ごすわけです。


このボテヨン、ちょっとさすがに年齢差もあり(・・・)私はあまり行ったことがありませんが、今日は久々にバルセロナの友人がグラナダまでやってきたので、彼女の友人たちと飲みに行きました。どこのバルに行くのかな、と思っていたら、カテドラル前の広場へ。もうかなり先客がいて、まあ今夜は寒くもないし、ライトアップされたカテドラルを見ながら飲むのも、これはこれで贅沢なのかなー、と石段に腰を下ろしたところで、警察の車が。あっという間にみんな散っていき、広場はカラになってしまいました。その後適当な場所を探してうろつき、最後に他に人のいないちょっとひっこんだ場所で、ダンボールを敷いて地べたに座って酒盛り・・・。結構楽しかったのですが、途中でぽつぽつ雨が降ってきたのには参りました。


最後はもちろんすべてゴミは片付けました。それにしてもピクニックじゃあるまいし、夜中の3時とか4時まで嬉しそうに、屈託なく、みんなで道端に座ってお酒を飲む、というのはなかなか他のところでは見られない光景かも・・・と思ったりします。



もう少し私の住んでいるアルバイシン地区について書きましょう。今日はすっきりと晴れ渡り、日中はもう春かな、と思うような気候でした。散歩にはもってこいです。


ここは私の家の近くなのですが、塀で囲われている庭の中の椰子の木がお気に入りです。椰子の向こうに、雪に覆われたシエラネバダ山脈が見えるのがわかりますか?冬のグラナダはスキーの名所でもあるのですが、この「椰子と雪山」という組み合わせがなかなかいいと思いませんか。


Sierra


このシエラネバダ山脈は、グラナダっ子の「心のふるさと」のようで、グラナダ出身の知り合いの女性は、「アルハンブラではなく、あの雪に覆われたシエラを見ると、本当にグラナダに帰ってきたのだと感じる」と言っていました。私はスキーはしませんが、一冬に一度くらいは雪を見に山の上にいきます。


アルバイシンは高い位置にあるので、アルハンブラが街をはさんで真向かいに見える広場があります。サン・ニコラス展望台といいますが、ここから見るアルハンブラは絶景。いつも観光客で賑わっています。前の山に見えているのがアルハンブラです。


Pza San Nicolas


この広場には、最近モスクが建設されました。グラナダに、実に500年の時間を経て建設されるモスクです(他にもモスクはありますが、普通のアパートの一室だったりします)。そのすぐ隣は教会ですが、この教会もその昔はモスクだったのです。なんだか不思議な感じがしますよね。


さらに歩いていくと、洞窟フラメンコで有名なサクラモンテ地区への入り口に着きます。ここにはちょっと不思議な銅像が立っているのですが、これは「ジプシーの王」なのだそうです。サクラモンテには昔からたくさんジプシーが住んでおり、もちろんフラメンコも彼らの生業です。昔はこのジプシーのコミュニティに「王様」がいた、ということらしいです。まあ親分というか、会長?というか、そんな感じだったのでしょうか。


Rey


歩いていると飽きないアルバイシン地区ですが、もうひとつ忘れてはならないのは、随所に残るムスリムの町の跡です(まあここらへん全部、ムスリムの町の名残ですが)。これはまた改めてご紹介いたしましょう。

ときどき、私の住んでいるこの国は本当に先進国なのか?!と疑ってしまうことがあります。旧くからのEUメンバーだし、その中でも一番外国からの観光客の多い国だというし(フランスを抜いたそうです)、いやもちろんいわゆる「先進国」のはず・・・ですが。近頃びっくりしてしまったことをいくつか。


その1:

こちらに来て何度か、「日本のテレビだったら、humor amarillo知ってる?」と聞かれました。まあテレビはこちらでもあちらでもあまり見ないので、「知らない」と答えつつ、「なんだろそれは?」とひそかに思っていたのですが、このたび昔のテレビ番組「たけし城」のことだと判明。しかもこれはスペインだけではなく、スウェーデンその他数カ国で放送されたらしく、そのことにもびっくりしたのですが・・・それよりショックだったのはスペインでの番組名。Humor amarillo とは・・・「黄色いユーモア」。日本人の出てくる番組に「黄色いユーモア」というタイトルってつけますかね、普通?!ポリティカル・コレクトネスも何もあったもんじゃない。ちょっとそれって、別に問題にならないわけ?と問い返しても、べつにならないらしい。うーん、意識的に差別されているとは感じないけれど、それに「政治的に正しいおとぎ話」の世界みたいにキリキリするのが正しいとも思いませんが、それにしてもあまりにも無神経な・・・というところで、ここは本当に先進国か?と思ってしまいました。個人的な会話やもっと地味なメディアで差別用語が使われるのは普通だと思うのですが、メディアに「使用禁止用語」ってないんですかねえ、こちらは。ああびっくり。


その2:

セビリアにいる連れが、ピソを買うことを考えているので、お付き合いで先週はいろいろ家を見てまわりました。そこで驚いたのは、こちらでは「実際の売値」と「正式に登録される売値」が20%から30%違うのが当たり前なのだ、と聞かされたことです。もちろん節税対策(というか当然法律違反ですが)で、差額はキャッシュで払え、ということになります。キャッシュったって買うのは不動産ですから、数百万円から数千万円。こちらで不動産の資本売却利得に賦課される税金は20%だということですが、それを申告しないでヤミ金で・・・と最初聞かされたときには、この不動産屋はマフィアか?!と思いました。しかし周りの誰に聞いても、セビリアでもグラナダでも、「普通そうだよ」という返答が返ってくる。個人的にそういうことをする、というのはどこでもあるでしょうが、「みんなそうだよ」とは何事?!

そりゃあ税金を払うのはイヤでしょうけど、でもそんなことでこの国はいいのか!・・・まあいいらしいですけどね。でもそれって先進国じゃないですよ、やっぱり。政治的にものすごく不安定で、いつ政府が転覆するか、銀行預金が凍結されるかわからん、というような国なら「みんながみんな」そうでも当たり前だと思いますが。タンス闇預金。


ここは一体どういう国なんだ、と改めて思ってしまったのでした。


ふと気がつくと、あと二ヶ月ちょっとでアンダルシア生活も丸四年になります。なんだかちょっと考え込むことが多いこのごろです。独り言じみてしまうかもしれませんが、お時間がありましたらお付き合いくださいませ。


こちらに来る前は、東京で7年間働いていました。会社で働くのも、まるっきりの一人暮らしも初めてでしたが、東京は嫌いではありませんでした。友人もできたし、会社での生活(「同僚」というよりは友人に近い、擬似家族的でもある不思議な社会ですよね)も、キコクの私にはとまどうことも多かったけれど楽しかったし、仕事も大体の場合は面白かったし(二年間同じ会社で通訳をやっていたときは、最後はかなり厭きてしまいましたが)。


だから、東京が嫌で出てきたのではないことは確かです。でも他に理由があったわけでもない。二つ目の会社(通訳をしていたところですね)を辞めるときに、じゃあ何をしよう、と考えて、以前旅行で一目ぼれしたセビリアに行こう、と簡単に決めてしまったのです。言葉を習う、というのは「まあ暮らすなら言葉ができなきゃね」というくらいの後付けの理由で、別にそれまでスペイン語に興味や縁があったわけでもありませんでした。


会社勤めの経験があるかたなら、一回目の転職で「怖い」、と感じられたことがあるのではないでしょうか。でも二回目(というか単に「辞めた」のですが)は、ヘンに度胸がついてしまったのか、もう怖くありませんでした。しばらく仕事をしないで、私がいない間もずっとそこにあった(当たり前ですが)、道にオレンジのなっているあの街に行こう、と思いました。


多分私が逃げ出したかったのは、「ずっと予想のつく日々」(「堅実」ともいいますね・・・)だったのではないか、と今は思います。何年後にはどこの部署にいて、または転勤していて、帰ってきて・・・収入は自然と上がっていくし、多分クビになることもなく、ある意味家族のような同僚がいる。怪我や病気をしても大丈夫。


その安定した仕事(と、仕事によって決められる生活スタイル)の代わりに私が選び取ったのは何だったのだろう、と考えます。仕事だけではなく、ずっと東京にいることで、最終的にはそこを「自分の街」にできたかもしれないのに-友人や家族がみな近くにいて、そこに自分もずっと暮らす、根を張る場所にできたかもしれないのに、その代わりに、私はまだここにいて、遠くの友人や家族を恋しく思っている。


セビリアに着いたのが2002年の4月で(その後10月にグラナダに移りましたが)、当初三ヶ月の予定ではじめたスペイン語にはまってしまい、結局博士課程まで来てしまいました。ある意味では言葉(とできれば少しだけ文学)で生きていく、という自分の方向性をようやく掴んだのであり、収入は以前に比べればかなり減りはしましたが、一応こちらに住んだままで自分で仕事をとってきて生活する、というところまではこぎつけたわけです。もちろんフリーランスだから保障も保険もないですし、まあ翻訳のペースが今よりものすごく速くなる、ということはないでしょうから、収入が自然と上がっていく、ということもあまり考えられないわけですが(完全出来高制、というんでしょうか)。


それで一息ついたせいでしょうか、四年たって日本の友人たちや家族にもいろいろ動きがあったせいでしょうか、もしもあのまま東京にいたら・・・?とこのごろ時々考えます。それも決して不幸ではなかったろうと思うのです。そんなことを言っても結局いつかは飛び出してきてしまったのでしょうけれど。


置いてきてしまったものの代わりに私が手にしたのは、生まれて初めて自分で選んだ場所に住んで、本当に自分で選んだことをしているのだ、という確信だけなのかもしれません。でもその、私の時間はすべて私の選んだように使っている、というささやかな満足感こそが本当に探していたものなのかもしれない、とも思います。


遠くにいるたくさんの人をいつも恋しく思いながら、それでも他のどこでもなくてここにいる一番の理由は、

そんなところかと思ったりもします。



















例によってセビリアに来ています・・・が、久々にグラナダについてちょっと書きましょう。


グラナダ名所といえば、これはなんといってもアルハンブラ ですが、それと同じくらい観光客をひきつけるのが、このアルバイシン地区です。ここはグラナダの最も古い部分であり(現在の街になったのは10世紀くらいらしいですが)、現在の街の中心であるヌエバ広場から息がきれる坂道をずっとずっと上り詰めたところにあります。位置的にはヌエバ広場から5分ですから、中心といえないこともありませんが、坂道がきつく、道路も舗道されていなかったり、車が通れなかったりして(中世の町なので道がせまく、曲がりくねっています)、住むのにはあまり便利とはいえません。スーパーマーケットもないし(小さな店がぽつぽつとはありますが、高いし、野菜が新鮮じゃなかったりするので、買い物をするには下界まで降りることになります)。


でもそれを補ってあまりあるのが、この地区の美しさです。ここはその昔、ムスリムの人たちの造った街なので(「だから防寒がなっていない」というのがこちらの人たちの言い草だったりします。暑いところからきた人たちの造った街だから。確かにアルバイシンの家は冬は恐ろしく冷え込みますが、造られてから何百年前も時間があったのだから、いくらでも改良の余地はあったはずだ、と私は思うのですけどね)、ちょっと海を越えたモロッコのフェズなどの街並みにそっくりです。白い家と茶色の屋根がどこまでも続いています。


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そしてゴツゴツの石畳の坂、坂、坂。この地域は、以前は人気がなく、家なども安かったようですが、今は非常に高価な場所です。カルメンと呼ばれる果樹園(「庭」なのですが、野菜や果物など食べられるものも植えられているのが特徴です)つきの家などは、非常に敷地が広く、お金持ちの外国人が買って暮らしていたりします。全体的には改築が必要な古い家屋が多く、学生が安く借りたり(私はこのクチ)、外国人が借りている家も多いです。グラナダっ子は、もう少し便利で、快適な場所に住むほうがいいようです。


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曲がりくねった道を歩いていると、小さな広場によく行き当たります。ここは私の家のすぐ近くにある広場、サンミゲル・バッホです。観光客が多いため、日中は広場中に椅子とテーブルが並び、カフェやレストランで賑わいます。


随所にムスリム時代の街の名残が残されていて(これについては、また改めて書きましょう)、散歩にはもってこいのエリアです。洞窟フラメンコなどで有名なサクラモンテ地区(こちらはなぜかヒッピーがたくさん住んでいるのですが)にも近いここは、眼下に広がる「今のグラナダ」とは別の、まるで小さな村のようなエリアです。

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以前 、セビリア市庁舎に掘り込まれているヘンな顔について書いたことがありますが、ヘンなカオは市庁舎だけではなく、またセビリアだけでもなく、かなりいたるところで発見できます。本気で「一体何を考えてここにこんなものを・・」と首をかしげてしまうものも多いのですが、これは日本の街や建物の装飾にはあまりヘンなカオが使われていないからかもしれません。


今回はちょっと噴水に注目してみました。以前からちょろちょろ写真を撮っていたのですが、気がつくと選ぶのが大変なくらいヘンな顔がたまってしまいました。ということで、ご紹介できない面々もたくさんあるのが残念です。顔だけじゃなくて、噴水をいかにも悲しげな顔をして背負っているゴブリン(?)の全身像、などもあったのですが(これはグラナダ、ビブランブラ広場にある噴水です)。まあ今回は顔にしぼってみました。


まず、グラナダはアルハンブラ。華麗繊細な宮殿や門、パティオなどにまざって、ヘンな噴水があります。これはどこかの庭の塀にひっそりと張り付いていた噴水。もちろんムスリムの時代ではなく(イスラム美術では人の顔はほとんどでてこないので・・・でもたまーに見かけるのですが)、キリスト教徒による再征服(レコンキスタ)の後の時代に付け足されたものです。


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こいつら一体・・・といいたくなります。なんなんでしょう、ひげなんか生やしちゃって。大体このテの噴水(水のでるところが筒になっています)は飲料水なのですが(この写真を撮ったときには水はありませんでした)、飲む気がうせますよね・・・グラナダの水はシエラネバダ山脈の雪解け水で、水道水でも非常に美味しいのですが。


次はセビリア。カテドラルの広場です。かなり大きな噴水で、四つの正面に、四つの違う顔がついています。どうも喜怒哀楽?を表しているのではないかと思うのですが、それじゃこの人はなんなんだ。悲しいんですかね、これは。隣だか後ろだかについている「怒っている顔」はかなり怖い形相です。なんとなく日本の鬼のよう。

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次もセビリア。市庁舎前の広場です。なーんとなく、上の噴水と同一人物が設計したのでは・・・と疑いたくなる感じです。しかしなぜムリして顔をつけなくてはいけないのか、理解に苦しんでしまう・・・これって上半分はどうみても何かほかのものですよね。なんだか知らないけど。鼻がなんというか、リアルですよね。目も、クマがあるあたりが。


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・・という具合にヘンな顔が溢れているのですが、でもこれはスペインだけではありませんでした!最後は、クリスマス休暇に行ってきたマンチェスターの市庁舎前の広場です。暗くて見難くて申し訳ないのですが、あまりに強烈な顔なのでやっぱりこれははずせない・・・。


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上の三つがなんとなく情けない顔なのに対し、このヘンな悪魔だかなんだかは思いっきり咆哮をあげている感じです。歯が怖い。指とかつっこんだら噛み切られそうですよね。小さな彫刻なのに、ものすごい迫力でした。


・・・一体なんなんだ、といいたくなる都市計画。こういうのはユーモアのある人がつくるんですかね。実は何か、哲学的な深い意味が隠されている・・・ということは、まあないような気がします。



ジュンパ・ラヒリの作品については、以前も ちょっと書きました。「天は二物を与えず」なんて嘘だ!と叫びたくなるようなこの美貌の作家の一作目は「停電の夜に」("Interpreter of maladies")で、この短編集でピュリッツァー賞を受賞しています。今回読んだのは二作目、彼女の初めての長編小説です。The Namesake、日本語では「その名にちなんで」、訳者は一冊目と同じく小川高義氏です。氏の文体は素晴らしく、「停電の夜に」の翻訳でで感動した覚えがあるので、今回の訳も多分非常に読みやすいのではないかと思います。


テーマは基本的には、「停電の夜に」の短編で繰り返し現れた、「西側に暮らすインド系移民、そしてその一世と二世の間の隔たり」です。これをあるインド系移民の夫婦、そしてそこに生まれた男の子の経験する日々を通じて綴っていきます。物語は彼の誕生からはじまり、同じインド系移民の二世と結婚したのち32歳で離婚するところで終わります。家族の32年間を語る、というのは作者が短編ではできなかったことなのだろうな、と思わせます。


主人公の名前はゴーゴリ。ロシアの作家と同じです。この名前のために、アメリカに住むインド系、ということのほかに彼にはもうひとつ、縁もゆかりもないロシア文学のイメージがつきまとうのです。インドとアメリカの二つの文化のバランスをとりながら成長していく彼の人格が、等身大で描かれています。


あえて言えば、テーマがあまりにも今までの作品と重なっているところが気になりました。しかしかれこれ10年以上昔にインド系イギリス人作家のビクラム・セスが”A Suitable Boy”を発表して以来、英語で書くインド系作家が爆発的に増えたのですが(「小さきものたちの神」アルンダティ・ロイ作や、"Brick Lane" モニカ・アリ作が有名です)、簡単に「エキゾチック」ともてはやされる「英語系文学の中のインド文化」に逃げず、あくまでボストンやニューヨークに基盤を置いた「二世」の心理をしっかり描写しているのは素晴らしいと思います。


ちょっと抜粋します。訳は拙訳意訳なので、間違いがあったらごめんなさい。


                                ***


Ghosh shook his head. "You are still young. Free" he said, spreading his hands apart for emphasis. "Do yourself a favor. Before it's too late, without thinking too much about first, pick a pillow and a blanket and see as much of the world as you can. You will not regret it. One day it will be too late."


ゴーシュは「まだ君は若いんだから。若くて自由なんだから」と言った。自分の言葉を強調するように首を振り、両手を広げながら。「自分のためになることをしなさい。まだ時間のあるうちに、あまり考え込まないで、枕と毛布だけ荷物につめて出かけなさい。できるだけたくさん世の中を見るんだ-絶対後悔はしないから。いつか、そんなこともできなくなる日がくるのだから」


Ashima feels lonely suddenly, horribly, permanently alone, and briefly, turned away from the mirror, she sobs for her husband. She feels overwhelmed by the thought of the move she is about to make, to the city that was once home and is now in its own way foreign. She feels both impatience and indifference for all the days she still must live, for something tells her she will not go quickly as her husband did. For thirty-three years she missed her life in India. Now she will miss her job at the library, the women with whom she's worked. She will miss throwing parties. (・・・中略)She will miss the country in which she had grown to know and love her husband. Though his ashes have been scattered into the Ganges, it is here, in this house and in this town, that he will continue to dwell in her mind.


突然ひどく孤独を感じて、アシマは鏡から顔をそむけ、夫を想って少し泣いた。一度は故郷でありながら、今はどこか遠いものとなってしまった街にこれから移る、という考えは彼女を圧倒した。自分は夫ほど生き急ぐことはないだろう、とどこかで感じて、これから生きていく日々が耐えられないような気もしたし、そんなことには全く無関心でいられるような気もした。三十三年ものあいだインドに焦がれてきたのに、これからは図書館での仕事や、一緒に働いてきた女性達を想って懐かしさに胸が痛めることになるのだ。家でのパーティを懐かしく思い出すのだ。(・・・中略)夫を知り、彼を愛することを学んだ国を懐かしむことになるのだ。夫の灰はガンジス河に撒かれても、アシマの中で彼がいるのはいつもここ、この町のこの家でしかありえなかった。