「ちょっといい本」・・・なんて言って書いちゃうには、あまりに恐れ多い、というのはわかっています。それでもあえて書いてしまうのは、この本には恒常的にお世話になっているからです。無人島に一冊だけ小説を持っていっていい、といわれたら、私は迷わずこの本にします。日本で書かれたユーモア小説のなかで一番面白いのではないか、と本気で思っているからです(「いーやもっと面白い本を知っている」という方はぜひ教えてください)。


教科書に出ていた・・・かどうかは忘れてしまいましたが、夏目漱石のこの小説はあまりに有名ですよね。漱石のユーモア小説として「坊ちゃん」とよく比較されていますが、私は「猫」のほうが断然好きです。筋のある小説、という感じの坊ちゃんと比較して、「猫」のほうは冴えない英語教師である苦沙弥先生、定職なくふらふらしている(でもリッチらしい)美学者迷停、苦沙弥の弟子で現在東大で物理学を勉強している(実験に使うガラス球を磨ってばかりいる)寒月その他、妙な登場人物たちの繰り広げる脈絡のないおしゃべりの描写に終始しています。でもこれがとにかく面白いのです。


この本には「筋」はないので(解説によれば、英国人作家のローレンス・スターンに影響を受けた形式だとのことですが)、「主人公」もいません。最後まで名前のない猫は、人間界で起こる様々な出来事を冷静、皮肉的、かつほんの少しの愛情を持って描写しますが、教養深すぎるこの「猫」は、主人公であるというよりは一つの「視点」を表しているように思います。モノローグも多いのですが、猫の性格を表している、というよりは、古今東西の文献を駆使して馬鹿げた人間たちを批評している、という感じです。まあ相当理屈っぽい猫であることは間違いありませんね。


「猫」とスタイルが似ているな、と思った本に、北杜夫の「高みの見物」があります。こちらはなんとゴキブリ(!)が主人公でしたが。この人も大好きで、この本も面白かった覚えがありますが、やはり本家にはかなわないような気がします。

筋がないだけにどこから読んでもどこまで読んでもいい、というのが素晴らしい。枕元にこの本をいつも置いていますが、大体ぱっと取り上げて適当に開き、エピソードをいくつか読んだところでことん、と寝たりしています。日本語の本が少ない、という環境で持つには心からお勧めの本です。


ちょっと抜粋・・・といっても、脈絡なくずっと続く流れが面白いので、少しだけ切り取ってもイマイチなのかもしれませんが。


吾輩は世間が狭いから碁盤というものは近来になって始めて拝見したのだが、考えれば考える程妙に出来ている。広くもない四角な板を狭苦しく四角に仕切って、目が眩むほどごたごたと黒白の石をならべる。そうして勝ったとか、負けたとか、死んだとか、生きたとか、あぶら汗を流して騒いでいる。たかが一尺四方位の面積だ。猫の前足で掻き散らしても滅茶滅茶になる。引き寄せて結べば草の庵にて、解くればもとの野原なりけり。いらざるいたずらだ。懐手をして盤を眺めている方が遙かに気楽である。それも最初の三四十目は、石の並べ方では別段目障りにもならないが、いざ天下わけ目という間際に覗いて見ると、いやはや御気の毒な有様だ。白と黒が盤から、こぼれ落ちるまでに押し合って、御互いにギューギューいっている。窮屈だからといって、隣の奴にどいて貰う訳にも行かず、邪魔だと申して前の先生に退去を命ずる権利もなし、天命とあきらめて、じっとして身動きもせず、すくんでいるより外に、どうする事も出来ない。碁を発明したのは人間で、人間の嗜好が局面にあらわれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命はせせこましい人間の性質を代表しているといっても差支ない。


まったく理屈っぽいんだから。でもこの大真面目な論調とギャップのあるヘンな観察内容がいいのかな、と思ったりします。今夜も寝る前に少し読むことにしよう。







しつこく旅行の話を続けておりますが・・・時は2月28日、ようやく最後の町にたどりつきました。名残惜しいタリファを後にして、セビリアに戻る前に再度内陸の町へ。カディス州、メディナ・シドニアです。人口一万人強の小さな町ですが、観光に非常に力を入れているらしく、案内所やパンフレットなどがかなりしっかりしていたのが印象に残りました。


海の町と内陸の町は、やはり何かが決定的に違いますね。何が、と言われてもうまく言えないのですが。陳腐な言い方をすれば、海沿いの町はやはり開放的な感じがします。同じ州の中でも、内陸の町はもうすこし内向的・・・というか静かな感じがするのは気のせいでしょうか。


小さいなりにいろいろみどころのある町でした。メインの教会はサンタ・マリア・ラ・コロナダ。建物はゴシック、祭壇などはバロックですが、今回ばかりはバロックのキンキラキンの祭壇よりも目をひく箇所がありました。ゴシックのこの天井に、なんと設計ミスがあったのです。


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写真左手の、なんというか・・・天井の骨組み(他の言い方が思いつきません)が、ずれているのがわかるでしょうか。下に下りてくるところで、柱に合流するはずだったのに、計算ミスがあってずれてしまったんですね。それでも「ま、しょうがないか」としっかりずれたまま建ててしまうところがすごい。


この教会もなかなか見ごたえがありましたが、町にはムスリム時代の名残もしっかりのこされています。これは10世紀に作られた門で、アルコ・デ・ラ・パストーラと呼ばれています。ムスリム時代の建築は、門やアーチ、扉に重きを置いているような気がします。なんというか、風格があるんですよね。


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さて、この小さな町のみどころは、これだけではありません。メインの観光モニュメントとして、ローマ時代の遺跡があります。遺跡といっても外に出ている部分ではなく、下水道など。そして「すべての道はローマに通ず」ではないですが、街道の名残があります。今はそのうえに普通の家が建ってしまっている、とのことですが、それでも「ちょっと残してみた」という感じで、ローマの街道の一部分を見ることができます。


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 すごいでしょ?普通の家のような建物のなかに、少しだけローマの街道が残してあるのです。ローマ時代の敷石をこの足で踏む、というのもなかなか感動します。道の広さは馬車が行きかうことができるだけの幅、とのこと。この街道の一部分には、「昔ローマ人がゲームをしたあと」というのも残されています。なんのゲームだか知りませんが、マルバツとかそんな類のことを道に書いて遊んでいた跡が残っているのです。ああすごい。何千年たっても人間って変わりませんね。


メディナ・シドニアでは、そのほかなぜか珍しいタイル飾りが多かったのが印象に残っています。何枚か写真にとりましたが、ここでは一つだけ。今までにタイル の話は何回かしましたが、こんなのは見たことがありませんでした。鳥の模様ですよね。あまり動物柄のタイル、というのも見たことがないのですが。このほか白鳥の形をしたドアのノッカーなどもあったので、ひょっとしたらメディア・シドニアとなにか関わりがあるのかもしれませんが。


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そんな感じで最後の町を後にして、セビリアへの帰途につきました。小旅行でしたが、いろいろ見ごたえがありました!まあ四泊五日くらいの旅行になると、そろそろ家に戻って自分でつくったご飯が食べたくなるので、ちょうど帰り時だったかも。セビリアに着いたのは夜でしたが、ナベだかなんだか、思いっきり野菜たっぷりの夕食をつくって連れと食べたのを覚えています。




今日は仕事も一段落したので、もう少し旅行の話を続けますね。エステポナからはジブラルタルに向かったのですが、前もって予定していなかったため、なんとパスポートを携帯していなかった私は入国?拒否!されてしまい、すべてに抜かりのなく(というわけでもありませんが)パスポートを持っていた連れは、一人でジブラルタルに買い物をしに行ってしまいました。スペインの南にいきなり出現するイギリス、を私も見てみたかったのですが。あとサルがたくさんいるらしいし。仕方ないので、信じられないほど青い海を見ながらぼーっとしていました。本を読む気にもなれないくらい、この日の海も青かったです。ジブラルタルは英領なので、イギリスの食品などがイギリスと同価格で売っているそうで、ベークトビーンズの缶などを買い込んだ連れは幸せそうな顔をしていました。私はあの豆はもたくたして、あんまり好きではないんですが、イギリス人で「私はベークトビーンズが嫌いだ!」という人に今まで会ったためしがないです。


さて、そこからスペイン最南端の町、カディス州のタリファへ。もうモロッコはすぐそこ、向こう岸に見えています。ここからタンジールまではフェリーで35分、本当に最南端です。


この町はレバンテ(東風)とポニエンテ(西風)の風が強いことで有名です。実際、町に入る前から、周りの山々にはびっくりするくらいたくさんの風力発電装置-背の高い、ほっそりした風車ですね-が林立していて、何百本と立つそれがくるくると絶えず回っている光景は、ちょっと異様です。スペインはヨーロッパでも有数の風力発電国で(意外ですが、そうなんです)、ここまできて、なるほどねーと納得したりしました。

風の町はもう一つ、サーファー達が多いことで有名でもあります。実際まだ寒いのに、町のバルではドイツから来たサーファーのグループを見かけました。


タリファは人口2万人弱、というところでしょうか。小さな町です。でも広がりつつある新市街を抜けて門をくぐると、素晴らしく魅力的な旧市街が広がっています。とても南国らしく、そして古い古い歴史をうかがわせる、風格のある町です。


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タリファの歴史は、フェニキア人の時代まで遡ることができるそうです。その後ローマ時代、ムスリム時代を経て、キリスト教徒に再征服されたのが1292年ということです。タリファの名前は、710年にモロッコから攻め込んできたムスリムの将軍、タリック・イブン・マリックがここに上陸したところからきているそうです。実際、すぐ目の前なんだから攻め込むのも簡単だろうなあ、いう感じです。


ただ歩いているだけで楽しい、雰囲気のあるところでした。ちょっとしたお洒落が多い、というか。例えばこれは、散歩道のベンチに埋め込まれていたタイルです。綺麗でしょ?


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小道が多く、階段も多い散歩にはもってこいです。そしてとてもノスタルジックな感じがしました。建物などがあまり磨きこまれておらず、古びているからかもしれません。


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そしていたるところに、ムスリム時代の名残の建築が見られました。このアーチもそうです。海を隔てたすぐ向こう岸にも、やっぱり似たような街並みが広がっているんだろうなあ、と考えると、当たり前のことのような気もしますがちょっと不思議です。最南端、というのはロマンがありますよね。


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小さな町ではありますが、活気がないわけではなく、夜はバルもレストランもにぎわっていました。モロッコへはアルヘシラスからも行けますが、タリファのほうが小さくてもずっとずっと風情があります。スペインからモロッコへ渡ることを考えている方には是非お勧めです。


夕暮れの、これはマーケットの建物です。なんだかアラブの街のメディナ、という感じがしますが。噂どおり風の強い、そしてとても美しい町でした。

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いやーPC崩壊問題ではお騒がせいたしました。失礼いたしました。相変わらず我がThinkpadはまっくろですが、新しいモニターを抱えてグラナダまで帰ってまいりました・・・17インチのモニターですが、目にはこちらのほうがよさそうです・・・今後どうするかも考えていかなきゃいけませんが。


それはとにかく。旅行の話に戻りますね。ネルハの洞窟を見て感心したあとは、小さな山の村をいくつか周りました。海でも山でもここらへんの村は全部真白です。なかなか風情がありますが、思うにこれは空の色と一番マッチしている、からなんでしょうか。それとも単に夏が暑いからなんでしょうか。


写真はそんな村の一つ、フリヒリアナです。小さな小さな村で(人口は・・・どれくらいでしょう、数千人だと思いますが。)、大きめの広場が一つと教会、バルがいくつか、という感じです。でもどんな小さな村でも、歩いていてああ綺麗だな、と思うもの-小さなみどころですね-がアンダルシアの村にはあります。


Frigiliana


こちらも同じく山の村、コンペタです。これは村のメインの広場にある教会です。ここではワインを作っているらしく、この広場には葡萄の収穫をしている若者と娘さん(!と言いたくなる感じです)の大きな銅像がありました。ガイドブックによれば、コンペタの人口は3000人弱。しかしこういう小さな山の村でも、引退したイギリス人が家を買ったりしているようで驚きです。この広場に座ってバルで食事をしたのですが、隣も後ろも観光客のテーブルで、ちょっとびっくりしました。


Competa


山道には、アーモンドが花盛りでした。桜に似ていますが、もっとおおぶりな花をつけます。白と薄いピンクがあるようです。地面には菜の花のような黄色い花がたくさん風に揺れていて、車からそれを見ていると、ようやく春が来たんだなあ、という気がしました。


山の村をいくつか訪ねたあとは、再び海へ。本日の宿はマラガ州のエステポナ、人口4000人程度とあるのですが、ビーチ近くなるとやはりぐっと観光化します。ホテルも多いし、英語の不動産屋さんも多い。町自体は特に面白いものもなかったのですが、やはり海は綺麗でした。足をつけるにもまだ寒い気候でしたが、誰もいない砂浜、というのもなかなか贅沢な光景です。


Estepona


なぜかこの町で、一目ぼれで靴を衝動買いしてしまいましたよ・・・それも海のように真っ青(!)な革靴です。まだセールだったこともありますが、それに昔真っ赤な靴も真っ黄な靴も、紫の靴も買ったことがありますが、真っ青な靴を買ったのは初めてです。一体何とあわせればいいんだか。ちょうどこの写真の空のような色です。isabella cordon というお店で、私は初めて聞きましたが、店主によれば日本人の客も多いとのこと。セビリアにもお店があるそうですが、かなり好みのものがあって危険なので、当分避けておこうと思います。

旅行の話の途中ですが、それはまたゆっくりいたします。とりあえず昨日あったショッキングな出来事の顛末について、ちょっとお話しさせてください。いや、たいしたことじゃないんですが。


昨日の土曜日、いつものごとくセビリアに行くために、朝もはよから起き出して荷作りをしていました。土曜日なのに8時おき・・・これは10時に友人と朝食を一緒にする約束をしていたからでもあるのですが、前日大学の友人たちとなんと4時まで飲んでしまったので、かなりきつかった。

モーローとしたアタマで、着替えを詰め、本を詰め、仕事の原稿を詰め、そしてコンピューターを-私はIBMのThinkpad R40eを使っているのですが-パタンと閉じて、ケースに入れて、家を出ました。かなり仕事がたまっていたこともあり、バスのなかでちょっと寝て、ちょっと仕事しよう~、とぼんやりしたアタマで考えながら。


グラナダからセビリアは、バスで2時間半強です。通常1時間は熟睡し、1時間から1時間半は仕事をしたり何か読んだりしています。それで昨日も熟睡したのち、さー仕事でもちょっとするか、とPCを取り出して開けたら・・・まっくろ。


実はこの時点ではそう驚かなかったのです。充電したのにー・・・とぼんやりと思ったくらいで。まだ寝ぼけていたのかもしれません。その後なんど終了して立ち上げてもまっくろ。ウイルスバスターは入れてるし、今朝はなんともなかったのに・・・とちょっとぞぞーっとしましたが、その時点では何もできないので、考えないようにしていました。仕事は締め切りがかなり続いていて、日曜の夜、月曜の夜、水曜の夜、と出さなければならない原稿があるので、今PCに壊れられたらもうお手上げだ・・・という感じだったのですが。


セビリアで、バスターミナルで待っていた連れにそれを言っても、どうせアンタはPCオンチだからたいしたことじゃないだろう、との反応。でも家でいろいろやってみてもスクリーンはまっくろのままです。もうこの瞬間、どうしようかと思いました。海外で日本から持ち出したPCで生活していて、それで仕事も何もすべてカバーしている、というのはこういうとき本当に恐ろしいです。保証期間はとっくにすぎているし(そもそもスペイン国内では修理ができなかったと思います)、そこらへんでノートPCを衝動買いして・・・と思っても、入っているOSがスペイン版Windows XPでは日本語で入力はできても、辞書などのソフトウェアが入れられるかどうかはわかりません。


まっくろな画面を前にきゃあああああとパニックしている私をよそに、連れはインターネットで調べて、Thinkpadの問題点として、マニュアルには載っていないけれどよく見られるのが、画面のバックライトの故障らしい、と見つけ出しました。これはどうも画面を後ろから照らすライトの故障らしいのですが、確かによーくよーく目をこらすと、ものすごく薄く画面が見える・・・こともある。


それにしてもそんなのってあり?!と騒いでいても仕方なく、日曜になるとお店も閉まってしまうので、とりあえず画面モニターを買わねば、といろいろ歩き回り、最終的に郊外のカルフールでLGの17インチモニター(250ユーロでした)を購入いたしました。重かったけれど家に戻ってつないでみると・・・ああ美しい。


でもラップトップの利点というのは「どこでも使える」ということにあるので、これにつなぐとなると、モニターでも少なくともグラナダとセビリアの二つ必要になるわけです。いろいろ訪ねている途中に、「もう一つ中古でもノートがあれば、うちの店でハードディスクの内容は全部コピーしてそっちに移してやる」などという店もあり、日本のPCからでも本当に全部写し取れるのか、一体どうすればいいんだ?とかなりアタマを抱えました。正直いって、仕事も勉強も(特に仕事ですが)ブログもすべてこのノートに依存しているので、辞書をはじめとした日本語のソフトウェアを入れられないとかなり苦しいことになるのです。


それで今朝は、セビリアの日曜市(バルケッタという橋の近くでやっています。盗品でもなんでも売っているかなり安いマーケットで有名です)に二つ目のモニターを探しに行きました。ありましたよ・・・盗品ではありえないほど古い、でっかくて重たい、でもきちんと作動するモニターが、なんと15ユーロで売っていました。ケーブルつき。歩いていったので、持って帰るのどうしよう?と悩みましたが、結局買いました。連れの背中が痛くなったかも・・・申し訳ない(途中でタクシーをつかまえましたが)。今週末はモニター二つを計265ユーロで購入したことになります。二つ買ったと思えば安いが、二つ買うところがばかばかしい、という微妙な感じです。


仕事には一応支障なく、こうやってブログも書けるようになりましたが、今の問題はどうやってこのうち一つ(当然軽い新品のほうですが)をグラナダまでもって帰るか、ということ。グラナダに帰ってから買えばいいようなものですが、現在一日でもこのPCが使えない日があると仕事が滞ってしまうのです。ああどうしてくれよう。また肩が痛くなりそうです。


この不便さ。Windows XPで多言語対応になった、といっても、キーボードはやはり違うし、スペルチェックなどの機能も違うでしょう。そもそも私がPCオンチなのがいけないのですが。しかも悪いことに、日本語版のOSのディスクが手元にないので、そこらへんでノートを買って、これを最初からインストール、ということもできないのです。「今のPCの中身をそっくりコピーして、スペインで買う新しいノートに移しますよ」というお店を信用していいものかどうか、まっくろな画面を睨みながら悩んでいるところです(どなたか詳しいかたがいたら教えてください~)。


というわけで、さんざんな週末でした。連れにも申し訳なかった・・・今の課題は、今年の夏に帰国するまでノート購入を待つべきかどうか、ということです。そうするとモニターのあるグラナダまたはセビリアでしか作業ができなくなってしまうのですが。ああ不便。といってこちらで購入しても、完全な日本語環境が入れられるのかどうかがわからない・・・とまたお勉強することが増えてしまいました。



二日目は、マラガ州のネルハに向かいました。ネルハといえば、ミハスと並んで、「白い村」の代名詞のようになっていますが、実際はアンダルシアのここらへんの村はどこも白いのです・・・海辺でも山の中でも。私の大好きな作家の須賀敦子さんが、確か何かの文章で、白い村のことを「山の中にかたまって咲く白い花のような」と表現していたと思います(うろ覚えですが)。これはイタリアの話ですが、スペインでも全く同じです。


でもネルハは山ではなく、海辺の村です。マラガの海岸沿いの村は、だいたい完全に観光地で、観光どころかイギリス人やドイツ人、スエーデン人が大挙して暮らし、スペイン語の通じないコミュニティを作り上げていたりします。アンテケラに比べれば、ネルハの人口は2万人弱と小規模だと思いますが、観光地という意味では多分アンテケラなどおよびもつかないでしょう。いたるところに英語の不動産屋(引退した夫婦がイギリスから移住してくるのです)やバル、インターネットカフェなどがありました。びっくりしたのは飲みに行って、ふらりと入ったバルのオーナーがイギリス人だったこと。客層もイギリス人、店の中に張ってある広告(「部屋貸します」の類)まで全部英語でした。そのせいかあらぬか、物価の高い村でした・・・。


などとぶつぶつ言いましたが、美しい村であることに変わりはありません。着いた日はちょうどカルナバルで、音楽にあわせて長い長い仮装行列が踊りながら練り歩いていました。


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彼女たちも楽しそうでしたが、その後ろには大きな羽飾りをつけた孔雀に扮した色っぽい一行が続いていました。感心したのは、踊り歩きながら、しっかりビールだか何だかを飲んでいたことです。アンダルシアとは言えまだ二月、確かにお酒でもなければ寒いかも。


カルナバルは、アンダルシアではカディスが有名ですが、どの街でもあるわけではありません。例えばセビリアやグラナダではやらないのですが、これは連れがいうには「聖週間(セマナ・サンタ)の準備でそんなヒマないんだろ」とこのと。なんとなく納得してしまいました。確かにセビリアやグラナダでは、既にセマナ・サンタの行進の準備を密かに行っているらしく、独特の物悲しい音楽が聞こえてきたりします。前夜祭的なカルナバルなんてやってる時間ないよ、ということなんですかね。でも楽しそうでしたよ、とっても。


さて、ネルハでいいなあと思うのは、メインの広場にあるこの真っ白い教会です。小さな村らしくとてもシンプルですが、優雅ですよね。村のほかの建物とあわせて、白く塗ってあるところも好きです。内装もシンプルで、うっとびっくりするバロックの教会などとは対照的です。

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翌日は、ネルハの見所である洞窟にいきました。村からはちょっと離れているので、車かバスでいくのですが、この洞窟はある知人によればマドリッドのプラド美術館、グラナダのアルハンブラ宮殿に続き、スペインで三番目に訪れる観光客の多いところだそうです。さもありなん。圧倒されるような場所でした。スケールも非常に大きいのですが、とにかく幻想的な場所です。私の携帯にはフラッシュがないため、あまりいい写真が撮れなかったのですがちょっとご覧ください。


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生物と静物の間のようなこんな壁が、見上げるような高さの天井まで続いています。天井は多分一番高いところで25メートルくらいはあるでしょうか。自然に形作られた数多くの部屋があり、大ホールもあり、このホールでは毎年7月に音楽祭が催されます。天然の舞台装置で、バレエを踊るのですが、この世のものとも思われないだろうな、という気がしました。機会があれば是非訪れてみたいです。


この洞窟は500万年前に形成され、紀元前1万5000年頃(!)には人間が住んでいたそうです。壁画もあるのですが、公開はされていません。ライトアップされ、神秘的な今の洞窟と違い、ほとんど暗闇の中に住んでいただろう彼らの目に、この場所はどう映ったのでしょうね。あちこちに突き出ている不思議な形の岩に登って、高いところから足をすべらせたりしたのかな、などと思ったりもしました。

旅行の話の最中ですが、ちょっと今日行き当たった光景のことなど。セビリアからグラナダに戻るのに、ガラガラとスーツケースを引っ張りながら(小さいですが)バスターミナルへと向かっていました。目抜き通りのC/Tetuanでは、いつも音楽を演奏していたり、ストリートパフォーマンスをしていたり、似顔絵を描いていたり、果ては「ビール用」「ワイン用」「タバコ用」「二日酔い手当て用」と看板をたて、「少なくとも正直な物乞いです」と開き直っている(そう書いたポスターを掲げています)物乞いなど多種多様な人たちが、多種多様なオカネの稼ぎ方をしています。今日は例の開き直り乞食(ちゃんとホームページもあるようです。横目で見てきました:http://www.lazybeggers.com/es/index.html )を通り過ぎたあたりで、生演奏っぽいピアノの音が聞こえてきました。


生演奏ってことはないだろう、と思いながら歩いていったら・・・ナマでした。しかもいきなりグランドピアノ。道のど真ん中で、スーツのピアニストで。ショパンの「別れの曲」など弾いていましたが、完全に演出勝ち。確かにいい演奏でしたが、それ以前に度肝を抜かれた・・・。


そして演奏だけではなく、となりで妖精のような女の子が踊っていました。「別れの曲」のあとはモーツァルトの「トルコ行進曲」でしたが、黒い髪に表情豊かな緑の目の彼女は、このテンポの速い曲にあわせ、飛び跳ねたり笑ったり、まるで体中がバネのようでした。踊りが上手だったのかどうかはわかりません。でも何かを「伝える」という意味ではとてもパワフルな踊り手だったと思います。音楽のメッセージを体現する、というか。これもある意味では翻訳と言えるのでしょうか。


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二曲ばかりぼんやりと見入ってしまいました。もちろんコインを置いてきましたが、となりの閑古鳥の「開き直り乞食」に比べて、こちらはどんどんお金を入れる人がいたのが印象的でした。よくわかりませんが、踊りや音楽が「素晴らしい」ということも確かに大切だけれど、人が「ありがとうね」と少しでもお金を置きたくなるのは、彼や彼女がいかにも楽しそうに幸せそうに音楽を創りだしていたからなのかな、という気がしました。軽やかに弾く彼と、飛び跳ねる彼女を見ている通行人は、みんななんだか楽しそうな顔をしていましたから。


晴れたセビリアの午後、そこにいたみんなが一瞬楽しくなるような、いい光景でした。


帰ってまいりました・・・2月の28日はアンダルシアの日でこちらはお休み(アンダルシア州のみ)、それでその前日もla puente 「橋」として、お休みにしてしまう人が多いのです。まあ私の仕事の時間割はあってないようなものですが、連れもお休みだったので、金曜日から火曜日の夜までぐるっとアンダルシア巡りをしてまいりました。

Antequera - Nerja - Frigiliana - Competa - Estepona - Gibraltar - Tarifa - Medina Sidonia - Sevilla と、全行程で車で800キロくらいでしょうか。仕事も勉強もしっかり忘れ、見て食べて飲んで・・・という日々を過ごしてまいりました。少しずつご紹介していきたいと思います。


金曜の夜に連れとアンテケラで落ち合ったのですが、人口5万人程度、アンダルシアの中心に位置するこの街は、わが同居人アントニオくん(23歳、心理学および文学専攻、詩人および大学教授志望、あわせてバーとレストランの経営も希望)の出身地でもあります。泊まったホテルの受付にいたのが彼の高校時代の友人だったりして、ちょっとびっくりしました。


夜着いたので、あまり見物できなかったのですが、美しい街でした。人口比にしてスペイン中でもっとも教会の数が多い(1000人に1つの割で教会があるそうです。これは結構すごい)というだけあって、建築物は見るものが多く、旧市街は本当に美しいと思いました。


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夜のアンテケラの街並みです。奥の丘の上に見えるがアラブの城。小さな街ではありますが、風情がありました。位置的にはマラガ州に属していて、そのせいかインド料理のレストランを発見(マラガはイギリス人の旅行者が多いため、インド料理の需要があるのですが、基本的にスペイン人は辛いものがニガテなようで、アンダルシア地方の首都、人口80万人のセビリアでもインドレストランは一軒しかありません)。パキスタン出身でなぜか韓国の国籍を持つというオーナーと、パキスタンはカシミール地方からやってきたというシェフの店で、以外なところでスペインで今まで食べたなかで一番おいしいカレーをいただくことになりました。アンテケラには一軒しかないようですが、やっぱりスペイン人の味覚の理解は得られないのか、あまり商売繁盛というわけにいかないようでした。セビリアに移ろうかと思っている、というマスターに、連れと二人で「是非!!!」と力説してしまいました。


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そして翌日。アンテケラは市からちょっと離れた「みもの」として、石器時代の「Dormen」と、この写真の「Torcal」があります。Dormenは人口の、なんというかストーン・ヘンジみたいなもの(ものすごく原始的な建築物といえばいいんでしょうか)ですが、今回はTorcal を見にいきました。こちらは・・・・古代寺院の遺跡です、とか真っ赤な嘘をついても信じてしまいそうですよね?実はこれ、完全に自然にできたものなのです。1億5000万年くらい昔(!)に形作られた石灰石で、そのころは水に浸されていてこのような形になったということです。とても人口とは思えない、平たい石の層が重なったものがずっとずっと続いていて、なんとも異様というか、この世のものとも思えないような風景でした。観光客用にハイキングのコースが印されているのですが、雪がちらほら舞うなか、ぐちゃぐちゃにぬかるんだ石だらけの道(ともいえない・・けもの道のようでした)を泥だらけになって歩きましたが、まあそれだけのことはありました。異様な石の街、という感じです。


Torcal2


こんなのがごろごろしている。高さは7,8メートルから10メートルくらいでしょうか。うーんすごい、と感心してみていると、ずっと向こうのほうのこの石の山を、いとも軽々と鹿だかヤギだかが登っていきました。





なんだかゆっくりした日々を過ごしているんですよー、というような記事を書いた直後から、ばたばたとあわただしくなりつつあります。何かのバチがあたったんでしょうか(それはそうと、バチは「罰」でこう読むらしいですね。知りませんでした)。


まあ自業自得といえばそれまで。仕事が仕事が・・・と言いつつ大学のほうをすっかりさぼっていたため、担当教授から「君を信じているからね」と無言(というかすごく有言)のプレッシャーをかけられてしまい、ここ数日はちょっとしたレポートの作成に明け暮れていました。なんといってもスペイン語。私の論文(になる予定・・・)は「日本語の擬音語擬態語は、スペイン語および英語でどのように訳されるか」というものですが、日本語の文法や音についてスペイン語で書く、というのはかなり頭のこんがらがる作業です。


東京にいたとき密かに(でもありませんが)日本語教師の勉強をしたので、手元に何冊か外国人に日本語を教えるための教科書や教師用のマニュアルはあるのですが、もう久しぶりに「音韻」だの「音素」だのという言葉を堀っくり返しました。もともとは「文芸翻訳」に関しての論文になるはずだったのに、なぜか気がつけば言語学や音声学に近付きつつある・・・。やれやれ。昔々大学で勉強したのは心理学なのですが、そのときもなぜか言語学や音声学が入ってきて「勘弁してくれ」と思った覚えがあります。どうも祟られているらしいです。


ただ私見を述べれば、翻訳に関する研究で「文学」の要素が大きなもの、というのはやはりかなり無理があるのかな、とこの頃思います。言葉が大きな要素を占める分野、という点では共通していても、通訳翻訳の分野は(実践にしても理論にしても)「言葉そのもの」を扱うのであり、「言葉を通じてどんなテーマを扱うのか」という命題とは本質的に違うからです。これを「でも両方好きだから!」といって混ぜると焦点がぼやけてしまいがちです。単に私の力量不足かもしれませんけれど。


などと堅苦しい話をしてしまいましたが。明日の朝イチで問題の教授さまにレポートを献上(といいたい雰囲気です)します。何年たってもやっぱり間違える定冠詞(英語でもスペイン語でも。日本語に「冠詞」という観念がないせいですね。一生マスターできないかも、と思うこのごろです)など気になる点は多いのですが、そこは「giri(「ギリ」 - 日本語の「ガイジン」に相当するでしょうか)だから!」と開き直ろうかと思います。


仕事面でも、どうも嵐がきそうな予感です・・・まあでもそんなこともありますよね。すべてできるだけ楽しんでいくつもりです。


などと言いながら、アンダルシアでは土曜日から大型連休なので、明日の夜からちゃっかり小旅行にでかける予定です。久々に違う街のお話ができるよう、しっかり見てきますね。

昨日グラナダに戻ってまいりました。1週間ぶりです。やはりこちらのほうが寒いですが、でも日中はコートなしで歩けるようになりました。アーモンドの花もちらほら。桜よりも大きな花ですが、色や形は似ています。


何がどう変わったというわけでもありませんが、春が近いせいか、日々の底に流れるトーンが少し変わったような気がします。妙に幸せな感じです。なんででしょうね。


そんな日々の徒然を少し。


土曜日はセビリアでオペラを観にいきました。Vincenzo Bellini のLa Sonambula (夢遊病者)です。今までBelliniの作品は聴いたことがありませんでしたが、繊細かつ全く毒のない、心地よい音楽でした。特筆しておきたいのは、歌い手もさることながら、照明や舞台装置が素晴らしかったことです。村人たちの話ですが、衣装はなぜか1920年代くらいのニューヨークを思わせる感じで、しかもすべてモノトーン。照明は(「夢遊病者」だけに)夜の場面が多かったのですが、湖の底を思わせるような青が素晴らしかったです。一箇所レーザーを使っている場面があって、客席の上を緑の明かりが生き物のように動いていきました。手元のパンフレットによれば、照明はJuan Manuel Guerra、衣装はLola Chavarriaとなっています。


その後は友人達と朝まで飲み明かしてしまいました。夜中のバルには独特の空気があります。セビリアに、オーストラリア人のダンディなマスターのいるアートバル(若いアーティストの作品を随時展示しています)がありますが、パティオもあり、ピアノもあり(弾きたい人が勝手に弾いていいボロピアノです)、なかなかいい雰囲気でした。Anima(魂)というバルです。そこでなんと日本人のお姉さんが働いていたので、お知りあいになりました。ピアノを弾く方だということ。この頃音楽関係の人に縁があります。


当然次の日に起きたのはもうお昼すぎ。連れのリクエストで塩鮭、ごはん、お味噌汁(蕪とその葉っぱ入り)という非常に日本的な朝食を作ってしまいました。一杯に日の差す部屋で、ゆっくりと食事をしたり、その後何をするでもなくだらだらとする時間、というのは人生最高の贅沢の一つですよね。この頃なぜか「数読(SUDOKU)」に凝ってしまっているので、だらだらとパズルをしたり(キオスクで数読の本を買ってしまいました)、ちょっと仕事をしたりしながら一日を過ごしました。今回の原稿は犯罪心理学について、相変わらず脈絡なくいろいろな分野をのぞく仕事です。


・・・などと書き連ねてしまいましたが。特筆するようなこともなく、でも幸せな時期ってありますよね。このまま時間が流れていってほしいと感じるような。


今ちょっと、そんな日々のようです。