先日、インドの映画監督Deepa Mehtaの作品、"Agua"(原題"Water")を観ました。この監督については何も知らずに、あ、インド映画だ、観たいなあ、と軽い気持ちで思っていて、ちょうど連れが来ていたので出かけたのですが、この映画がすごかった・・・。きれいなポスターとは裏腹に、ばりばりに社会派の映画で、見終わったあとはしばらく呆然としてしまいました。インド社会における未亡人がテーマで、舞台は1940年くらいに設定されています。ガンジーが解放を求めた人たちのなかには、不可触民だけではなく、未亡人もあったのですね。主人公は7歳の少女(にして未亡人。そのころは幼児婚が普通に行われていたようです)ですが、その時代の名目だけの「未亡人」が、社会的な権利を完全に剥奪されて生きていかなければならない様子が、残酷なほどにはっきりと描かれています。調べてみると、この映画の製作にはいろいろ問題があったようで、一度は「インド女性を侮辱するものだ」とインド国内でヒンズー過激派などの妨害に合い、撮影中止においこまれたこともあったようです。


未だ全く知らない世界で、非人間的な生き方を強いられている人たちがどれだけいるのか、と考えさせられます。恐ろしいのは、自然災害や貧困(ももちろんありますが)というより、人工的に作り上げられた社会のノルマ(この場合はカースト制度や、宗教の定める未亡人の社会的地位ですね)が、檻の中に押し込められたような生き方を作り出しているということです。


すばらしい映画だと思います。機会がありましたらぜひどうぞ。


サン・テグジュペリと言えばもうこれは「星の王子さま」で、私も小さなころ内藤濯翻訳の岩波少年文庫を買ってもらいました。まあこの本を本当に素晴らしい!と思ったのは、もう成人してからのことだったと思いますが。砂漠と星との素晴らしい光景の描写や、どこかに薔薇の咲く星があると思って見るからこそ宇宙は美しいのだ、などといった考え方の不思議さは、子供のころにはよくわからなかったような気がします。

  

それでサン・テグジュペリのその他の本を読んだのも、ずっと後になってからのことでした。直接の動機としては、須賀敦子という大好きな作家のエッセイに彼の作品のことが書かれていたからだったと思います。「夜間飛行」「南方郵便機」、そしてこの「人間の土地」。

  

サン・テグジュペリは郵便飛行士だったので、作品の軸に「空を飛んで上空から人間の世界を見る」という視点の転換があります(今の宇宙飛行士のコメントを聞いているようです)。それをただ「めったにない経験」として語るのではなく、とかく井の中の蛙になりがちな人間社会を抜け出して、外からこれを見たときの経験として語っています。基本的には彼のメッセージは「自己に目覚めろ、飼いならされるな」ということではないかと思うのですが、俗社会で生きている俗人に対する見方があまりにも厳しい、と今回読み返してみて思いました。単に私が年をとったのかもしれませんが。

  

それでも彼の考え方や比喩の美しさ、純粋さには、常にはっとさせられます。砂漠に不時着して、ほとんど水もなく三日間も砂と星の間を彷徨ったり、アンデス山脈で行方不明になった同僚の救出に赴くなどの極限の体験を静かに語りながら、著者は「本当に意味のあること」とは何か、という実に本質的な命題に対する自分の考えを述べていきます。それは砂漠での会話の一言や、アラビア人との一度限りの邂逅、朋友の死などのエピソードに託されて、読む側の心に直接響いてきます。

    

私の持っているのは新潮文庫ですが、堀口大學の独特の文体も素晴らしいです。詩的とも言えるこの本の世界をあらわすのにぴったりの訳文だと思います。少し抜粋してみますね。

   

   

あのともしびの一つ一つは、見渡すかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇蹟が存在することを示していた。あの一軒では、読書したり、思索したり、打明け話をしたり、この一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭したりしているかもしれなかった。また、かしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。それぞれの糧を求めて、それらのともしびは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っていた。中には、詩人の、教師の、大工さんのともしびと思しい、いともつつましやかなのも認められた。しかしまた他方、これらの生きた星々のあいだにまじって、閉ざされた窓々、消えた星々、眠る人々がなんとおびただしく存在することだろう・・・・・。

 努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。

   

  

真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。

 物質上の財宝だけを追うて働くことは、われとわが牢獄を築くことになる。人はそこへ孤独の自分を閉じ込める結果になる。生きるに値する何者をも購うことのできない灰の銭をいだいて。

   

   

ああ!家のありがたさは、それがぼくらを宿し、ぼくらを暖めてくれるためでもなければ、またその壁がぼくらの所有だからでもなく、いつか知らないあいだに、ぼくらの心の中に、おびただしいやさしい気持ちを蓄積しておいてくれるがためだ。人の心の底に、泉の水のように夢を生み出してくれる、あの人知れぬ塊を作ってくれるがためなのだ。

   

   

たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。


  

うーん。なんだかたくさん抜粋してしまいましたが。リンドバーグ夫人の「海からの贈り物」などと共に、私にとっては数年ごとに読み返したい本のうちの一冊です。どうにも相性の悪いフランス語に何度もチャレンジしているのも、実はこの本を原文で読みたいからなのですが、しかしそれはちょっと・・・見果てぬ夢かもしれません。かなり。

今週末は久々にグラナダで過ごしました。日中と夜との気温差が激しいのですが、もう日が出ている時間は暑くて、Tシャツ一枚で歩き回っています。


ヨーロッパの街で感心することの一つに、「細部にこだわる」ということがあります。なんというか、細かな実用的な道具であっても、「こうしたほうが見ていて楽しい」と思うのか、いろいろ飾ったり形に凝ったりしているんですね。それが公園の柵であっても、マンホールの蓋であっても。実用的なだけ、というデザインよりも、「このほうが綺麗だ!」というこだわりが感じられる気がします。まあそれがときには噴水にヘンなカオを彫る、というようなことにもなってしまうわけですが。


そんなわけで、街を歩いているときに注目してしまうものの一つに建物のドアがあります。手すりもノッカーも、別に用が足りればいいものですが、古い様式の建物の場合、つまらない直線的なデザインにはほとんどお目にかかりません。いろいろ凝っている。今日はちょっとノッカーを見てみましょう。


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これはセビリアで撮ったものですが、竪琴の形をしています。とても綺麗ですが、あまり見ないデザインです。もっとよくあるノッカーは、こんな感じ。


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これはリアルすぎてちょっと怖いですかね。綺麗な手だなあ、とは思いますが。この手はモハメッドの妻であった(たしか・・ちょっとうろ覚えなのですが、確か一番愛された妻だったと思います)ファティマの手で、この手は「ファティマの目」と同様にお守りのモチーフになっていますよね。長年ムスリムだったこの地では、宗教的な意味は失われたとしてもデザインとして残っているようで、手の形をしたノッカーをよく見かけます。


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これもファティマの手・・・だと思うのですが、袖口がついているところがちょっと変。何を着ているんでしょうか。でも飾りにしてもお守りにしても、ドアから手が生えている、というのはやっぱりちょっとヘンかも・・・などと考えるのは、まだまだ甘い。

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・・・・。グラナダのヌエバ広場にある家の一つですが、手じゃなくてひげもじゃのオヤジ顔がついていました。しかも結構ヘンなカオだし・・・。これをもってガンガンとノックしたら、「痛いよう」と言い出しそうな、情けない顔ですが、なぜわざわざここに顔をつけるのか、不可解なんですよね、いつも・・・。


まあ今はどの家にもブザーがついていて、正面の扉のこのノッカーは実用的、というよりは飾りになってしまっているのですが。それにしてももともと扉を叩くためだけのものに、こうやっていろいろ凝るのは・・・散歩している人を楽しませてやろう、という思いやりでもあるんですかね。

以前 、「うーん、詩のほうが散文よりパワフルかも」と思ったのは実はスペイン語を習っていたときでした、という話をちょっとしましたが、実はそれはこの詩の朗読を聴いたときのことです。昔も難しい~と思ったし、今読んでみても結構難しいなあ、と思うのですが、でも言葉の難しさを超えて何か感情をわし掴みにするものがある。


これはホルヘ・ルイス・ボルヘスの”El uno,el otro” からの一編です。アルゼンチンのこの文筆家(というかインテリというか)は、どちらかというと摩訶不思議な短編のほうが有名ですが、創作の初期には、ちょっと短編のドライさからは想像のつかないような、瑞々しい詩も多く書いています。


これは"El uno, el otro" からの一編です。サロニカはギリシアの一地方で、キリスト教のレコンキスタ(再征服)後に、改宗を拒んだユダヤ人が逃れていった場所です。これらスペインから逃れてきたユダヤ人はセファルディと呼ばれ、ギリシア、トルコ、モロッコなどに追放されたのですが、ちょっと感動的なことにこれらの場所には今でも彼らの言葉が残っています。いわゆるセファルディ語ですが、500年くらい昔のスペイン語を、ヘブライ文字で書き表したものです。グラナダ大学の文学部では、科目のひとつで「セファルディ語とセファルディ文学」を教えていますが、スペイン人の学生が「違う文字だけどスペイン語だから簡単なのよ」などといいつつヘブライ文字で書かれた詩などをすらすら読むのでびっくりしてしまいます。


それはさておき。この詩で扱われているテーマもセファルディであり、アバルバネルもファリアスもピネドも、スペインのユダヤ系男性の名前です。トレドにはユダヤ人の大きなコミュニティがあり、レコンキスタののち彼らはスペインを追放されるのですが、当時の慣習に従って「いつか帰る日のため」家の扉を閉め、その鍵を持って逃げ延びるのです。追放先のギリシアで、モロッコで、鍵は家族代々に受け継がれ、500年がたつ今でもかの地には、トレドにある先祖の家の鍵を持っている人たちがいるのだそうです。この詩で一番胸をつかれるのは、この目にしたこともない故郷への望郷の念です。


最後に出てくる「神殿」はソロモンの神殿であり、ローマ人の侵略により神殿に火が放たれたとき、誰かが空に向かって投げ上げたその鍵を、神の手が受け取った、という伝説に基づいています。


拙訳をつけておきます。もう本当に本当に拙訳で、私がこの詩を聴いたときのショックの100分の1も伝えられるか自信がありません。力量不足ですね・・・どうかお見逃しを。



Una Llave en Salonica


Abarbanel, Farías o Pinedo,

Arrojados de España por impía

Persecución, conservan todavía

La llave de una casa de Toledo.


Libres ahora de esperanza y miedo,

Miran la llave al declinar el día ;

En el bronce hay ayreres, lejanía,

Cansado brillo y sufrimiento quedo.


Hoy que su puerta es polvo, el instrumento

Es cifra de la diáspora y el viento,

Afín a esa otra llave del santuario


Que alguien lanzó al azul, cuando el romano

Acometió con fuego temerario,

Y que en el cielo recibió una mano.


サロニカの鍵


アバルバネル、ファリアス、さもなければピネド、

信心なくしてスペインから追放されたものたちよ、

迫害を受けて

いまなおトレドの我が家の鍵を護る


希望も恐怖もとうに消えうせ

日暮れ時にただ鍵を見つめる

青銅に残るのは遠い昨日

失われた輝きと静かな苦しみと


かの家の扉はすでに崩れ落ち、ここにあるのはただ

離散と吹きすさぶ風とのしるしのみ

神殿のあの鍵とまるで生きうつしに


羅馬人が荒れ狂う火を放ったあの日

限りない青の中へと誰かが放り投げ

空から伸ばされた手が拾い上げた、あの鍵と



久々にグラナダに帰ってきたところで、(脈絡ありませんが)ヘンなカオをご紹介したいと思います。以前噴水 にちょっと注目しましたが、ヘンなカオは日々生み出されているらしく、セビリア市庁舎や噴水のような歴史的建造物に彫り込まれたものだけではなくて、新しいものもそこらでたくさん発見することができます。


今回はちょっとお店のウィンドウに注目してみました。


まず、街で唯一のデパートなどがある、グラナダの目抜き通りの一見小洒落たお店で発見。可愛らしい?七人の小人・・・なんでしょうか、真白なのが七人ならんでウィンドウからこちらを見ていました。


hennakaogranada


・・・・。あまりのインパクトの強さに、なんのお店か確認するのを忘れてしまいました。洋服かアクセサリーだったと思うのですが、ウィンドウには小人が七人ならんでいるばかり。他には何もおいてありませんでした。まあ目立つことは間違いありませんが、怖くて客が入らないのでは、と老婆心ながら思ってしまった。


次はもうちょっとはっきりメッセージの伝わるヘンなカオです。セビリアの中心街にある、補聴器などの器具を売っているお店のウィンドウから、こちらを見上げる二人組み・・・。


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こ、この人たちは・・・と思ってよくよく見たのですが、どうも補聴器の一部分をかたどっているらしいのです。でもどの部分かよくわからないのですが。しかし、これを見たからって「このお店ならよさそう!」って入りますかね、普通・・・二人とも(カップルなんでしょうか)なんとなく人がよさそうではありますが、それよりキモチが悪い・・・。まあとにかく、体をはって補聴器の宣伝をしているわけですね。


次は、セビリアのお店・・・で見かけてほれ込んでしまい、買って家に持ち帰ったうえ中身を飲んでしまいました。ので、空き瓶の写真です。


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ちょっと画面が暗くてごめんなさい。これはどこか東欧の国のイチジクいりのお酒(ウォッカと書いてありますが、そんなに強かったかな?)です。気持ち悪くリアルな手足が顔から生えたイチジクが、重量挙げをしている・・・微笑みが不気味です。このお酒のシリーズには、他にものすごく色っぽいアプリコットが描いてあるものもありました。やっぱり顔から手足が生えていましたが。


・・・どうもヘンなカオを作りたくなるのは、歴史を超えた?人間のサガのようですね。行くところ行くところで出会ってしまう、これも縁があるっていうんでしょうか。

土曜日の朝、ぼんやりとベッドで眼を覚ましかけたときにいきなり浮かんできたのが、なぜか溜池山王のANAホテル界隈、そしてそこを通る高速道路を下の横断歩道を向こう側に渡って、細い路地を抜けていく夏の暑い午後でした。なんでだろう、と思ってぼんやりとその光景を追っていくと、どうも陽炎が揺らめきそうな熱い昼の時間、そのあたりにある小さなカレー屋さん(ラポー、というお店だったと思います。メニューはタイグリーンカレーしかなかったような気がする)に行くところを思い出しているようなのです。小さなお店で毎日お昼どきは行列ができるので、行くときは会社の同僚や先輩と待ち合わせて急ぎ足でその細い路地を抜けていったおぼえがあります。


その後脈絡なく、やはりANAホテルに向かう途中にあった小さな本屋さん、昔ながらの古びた定食屋さん、ちょっと洒落た居酒屋の二階から見下ろした夜の赤坂見附駅、などの光景が浮かんできました。東京で最初の職場が虎ノ門、二つ目の職場が新橋だったので、ずっと溜池山王や虎ノ門、新橋のあたりで働いていたことになりますが、一体なぜいきなり土曜日の朝にセビリアでそんなことを思い出すのか、人間の記憶ってよくわかりませんね。そのまま東京のいろいろな場所をベッドの中で追っていました。


今は桜の時期だから、四谷や飯田橋のあたりはさぞ綺麗でしょう。飯田橋は東京で私が一番好きな街のひとつですが、駅を出てすぐの河沿いにあるカフェで、桜の枝がかぶさってくるようなテーブルで、向こうを通る電車を見ながらぼーっと(なんだかいつもぼーっとしているようですが、実はそのとおりなのです)コーヒーを飲んだり、瀬戸物や何かのごちゃごちゃしたお店をひやかしながら神楽坂をのぼったことを思い出しました。


そして二年間一人暮らしをした文京区。洗濯機はあったのですが不器用・不精なもので電源をつなぐことができなくて(周り中の笑いものになっていましたが)、結局ずっとコインランドリーを使っていました。土曜日の昼下がりに洗濯物を入れて、洗い終わるまでの間東大前の駅の近くのカフェで、グラスワインを飲んでいました。雨が降ると、カフェの大きな窓の外に置いてあった鉢の植木が生き生きとしてきて、葉の先からしずくが滴り落ちるのをずっと見ていたりしました。このカフェには有名な人が来ることが多かったらしく、壁中にサインがしてあったのを覚えています。


家の近くの東大農学部の塀の上からはみ出ているような銀杏の鮮やかな色。銀杏の紅葉(紅ではなくて黄色ですが)は不思議ですよね。中のほうがまだ緑色なのに外側が黄色く色付いて、色の境目がどこだかよくわからないのです。


そして銀杏も紅葉も桜も、その葉や花びらの小さなこと。これらの木の下にたって、黄色や紅や桜色が細かく細かく空を区切っているのを見て圧倒されたことを覚えています。着物や千代紙の模様の繊細さは、天然の模様のこの細かさから来ているのに違いないと思ったりしました。やっぱり何年間か住んでいた浦安には-ここはあまり好きな街ではありませんでしたが-駅への道で、歩道橋の近くに一本桜の大木が生えているところがあって、花の時期には通るたびにその下にたって少し灰色がかった薄い桜の色を堪能しました。


どこかの景色が浮かんでくるときには、その頃考えていたことなどを一緒に思い出します。またそれは、何かが思い出に変わりつつある、ということでもあるような気がします。夏に帰ったら、一人で昔働いていたあたりや、住んでいた場所を訪ねてみようかなと思いました。






インターネットで購入した新しいPCが月曜日にセビリアに着くはずだったのですが、やっと今日到着。足止めをくってしまって、未だグラナダには戻っていません。かなりやることが山積みになっていてあせりますが、まあ仕方ない。今日はセビリアで散歩中に見つけたものの話でもしましょう。


このタイトル・・・何が出たのかというと、これです。

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この不気味な人形はいったい何か。高さ大体20センチくらいでしょうか。色とりどりのがズラリと列になって、セビリアで一番おいしいと噂のお菓子屋さん、「ラ・カンパーナ」のショウウインドウに飾られていました。お菓子屋さんなので、一応「ボンボン入り」なのですが。怖い・・・。


このちょっとオソロシゲな人形は、ナザレノと呼ばれる、聖週間(復活祭ですね)の行進に参加する人たちの衣装をかたどったものです。クー・クルックス・クランに似ていますが、なんでも真似したのはあっちだとのこと。色がいろいろあるのは、各町内会(といいたくなるノリですが、実際にはhermandad、「青年会」とでもいうんでしょうかね?という感じです)により色の組み合わせや紋章が異なるからです。それじゃ子供は、自分の住んでいるエリアの衣装を着たこのボンボン入りの人形を買うのか・・・というと、それはわかりませんが、セビリアの聖週間には、これを買ってもおかしくないだけの情熱が注ぎ込まれています。


セビリアの聖週間、セマナ・サンタは、スペイン中が「一番すごい」と認めるだけあって、並じゃないのです。まず行進の数がすごい。一週間で60くらい、一日あたり7つから8つの長い長い行列がセビリア中を練り歩きます。どれも大体6時間から10時間くらいはかかるので、これがウロウロしていると交通もままならず、通常の機能はまったくストップしてしまうのです。


さて、この「行進」とは何か。この写真は模型ですが、下のような御神輿(パソといいますが)が二つか三つ、そのほか楽隊と上の人形のようなナザレノ、そしてとんがっていない帽子をかぶり、十字架を担いだペニテンテスと呼ばれる人たちが延々と歩いていくわけです。その数、合計にして数百人から数千人。すべて同じ地域(というか町内)の人たちです。


パソの模型↓

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パソは一つ目が新約聖書のさまざまなエピソードをあらわしたもの、二つ目がこれでもか、と飾り立てたマリア様も場合が多いです。いずれの場合も数百キロはありそうな神輿ですが、これを数十人で担ぎます。セビリアに来たばかりのころ、ここ出身の人に、「あんな重そうなのを担いでもらうには教会もお金を払わなきゃいけないの?」と聞いてバカにされた覚えがあります。なんとこちらからお金を払って担がせてもらうのだそうで・・・うーん、奥が深い。


上の恐ろしげな衣装も、「カッコいい」ものなのか、子供でも嬉々としてこれを着て行進しています。乳母車の中の赤ちゃんが怖がって泣いていたのは見たことがありますが。聖週間の時期には、これを着た人たちが街中をうろうろしていて、なかなか迫力があります。


何よりすごいのは、セビリアっ子のセマナ・サンタに傾ける情熱で、「年中セマナ・サンタのことを考えている人」という意味のカピヤーノ、という言葉があるくらいです。この一週間を一年中待ち焦がれ、特製の日めくりカレンダーを購入したり、バル中をセマナ・サンタの写真やポスターで飾ったり、行進のDVDを購入したり・・・そして極めつけが、上記の人形の大人版を買って家に飾ってしまうのです。ボンボン入れではなく石膏でできていて、かなりリアルです。色がついているのもありますが、それよりもっとマニアな人向けに、「自分で塗れる」仕様のものもあります。


↓こんな感じ。本物っぽいですよね。コワイ・・・。

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セビリアに着いたばかりの四年前は、「いったいなんなんだ」と思いましたが、そのうちこの・・・なんというか、説明のしようのないサブカルチャーに「スペイン人は並じゃないね」と思うようになりました。このナザレノの衣装は個人的には最高だと思うのですが・・・こういうものを大真面目で何千人もの大人が着て歩き回るのは、やっぱり並じゃない。


というわけで、今年のセマナ・サンタは4月9日から始まるのですが、セビリアっ子はもうすっかりやる気のようです。

金曜日に帰ってまいりました。今セビリアです・・・ようやく残っていた翻訳を日本に送って一息ついたところです。


せっかくせっかくマドリッドに行ったのに、今回は観光したりヘンな顔を捜したりしている時間がありませんでした。なぜかばたばたとあわただしく(二日半の滞在だったため、ということもあるのですが)、「こんなものを見た!」というご報告は残念ながらできません・・・ごめんなさい。


観光の代わり、といってはなんですけれど、マドリッドでは久しぶりの友人達とあって時間を過ごしていました(他に一応所用もありましたが)。大学院で一緒で、今はマドリッドで働いているイタリア人、もともとマドリッド出身で去年までグラナダで働いていた友人、その彼氏および妹、そして日本で働いていたころからの友人たちなど。それで感じたことなどを、ちょっとつらつらと。


今回マドリッドで友人たちと居て、なんだか人との関係、ということについて考えさせられてしまいました。(いつもながら唐突でスミマセン)。


生まれてくる時間も場所も選べない私たちですから、時間や場所がずれていて一生会えない人たちがどれだけいるのか考えると気が遠くなりそうですよね。私たちが知り合えるのは、同じ船に乗り合わせた客のように同じ時間や場所に生きるほんの一握りのなかの、さらに数えるほどの人たちに過ぎないわけです。


そう思うと、心惹かれる出会いというのは-それが友人であれ恋人であれ(私は恋愛は友情の一種だと思っていますが、まあそれはおいておいて)、それどころか一度だけ意気投合して一緒にアイスクリームを食べたり、一緒になって何かについて心から笑ったりしたことがあるだけの間柄であれ-どれほどの希少な確率で起こっているのだろう、と考えこんでしまいました。一瞬であっても誰かの心に触れるということ、誰かと本当に出会うということ - よりも貴重なことなど、どこにもないような気がするので。


貴重かどうかはともかく、それよりも美しいことは多分ないと思うのですね。なんでだろう。おそらく、一人一人の生きる短い時間など超えた何か普遍的なものが、人と心を交わす瞬間にはあるからではないかと思います。


誰かと話していて、その心に触れているな、と思える瞬間は確かにありますよね。そして言葉ではなく、考えを直接やりとりしているような気がすることも。自分や相手が考えていることを言葉に「翻訳」しているプロセスがはっきりと感じられるような気がするのです(単なる職業病かも)。マドリッドの夜、白ワインで酔っ払った頭で友人と話しながら、そんなことを考えていました。お互いに自国語ではないスペイン語で話していたので、ますますそう感じたのかもしれません。


以前は友情でもその他の人間関係でも、「明日も明後日もずっと続く」ということが大事なのだと思っていました。でもこの頃は、何年間か時間を共有してその後どこへともなく消えてしまう友人関係でも、または火花のように一瞬だけ何かを共有する関係であっても、心が動いた、という意味では同じように美しく、貴重なものではないかな、と思うようになりました。年をとったんですかね。


などとこの頃、人とのつながり、オトモダチについてつらつらと考えております。連れにこんなことを言うと、シニカルな英国人に「中学生の哲学みたいだ」とふふんと笑われてしまいそうですが。






昨日も引き続きカンヅメ状態でしたが、午後7時くらいになって頭のネジがはずれてしまったので、えーいっと外にでました。夕暮れ時のグラナダをふらふら彷徨っていると、カテドラルの近くで同じようにあらぬところを見ながら漂っている知り合いを発見。同じ学部の人ですが、モロッコ人でスペイン語-アラブ語の翻訳者でもあります。


どう?と聞くと、死んでる。とのこと。今まで図書館で仕事をしていて、でもこの会議資料のスペイン語が最悪でわけわからなくて、眩暈がしてきたからもう帰るとこ、とまるで自分の話を聞いているようなので、つい一緒にアイスクリームなど食べてしまいました。同病相憐れむ。翻訳を長時間すると、甘いものが欲しくなるのです。


そこに同じ学部の友人から電話が。今日時間あったら会おうか、といっていたのですが、家に帰ってみたらメールで急な仕事の依頼が入ってて、外に出られない~、とのことでした。彼女はカサレス出身のスペイン人で、英語-スペイン語の翻訳者です。なんだか翻訳者だらけの午後でした。


それはさておき。昨日はそのまま白ワインに突入し、寝てしまったのですが、今朝6時に起きて、なんとか予定の分量を日本に送ったところです。本日から所用で3日ほどマドリッドに行ってくるので、あとは野となれ・・・じゃなくて、残りは帰ってきてからのお楽しみ(・・・)です。


そんなわけで行ってまいます。以前マドリッドの記事はちょっと書きましたが、また何か面白いことがないか見てきますね。

週末は連れがこちらにきて、私のコースメートたちと朝まで飲んだりしてなかなか面白かったのですが、日曜の午後からこっち仕事でカンヅメ状態です。今日は一日中翻訳していた気がする・・・このまま寝るのもシャクなので、ちょっと記事でも書きますね。


今回の原稿はアメリカ(と思われる)のコンサルタント会社が、日本のとある会社のトレーニング用に作成したプレゼン資料です。いわく販売戦略のたてかた、営業の仕方などなど・・・これはどういう分野なんでしょう、セールス分野っていうのでしょうか。少しマーケティングも入っているのかな。


で。こういう「新しい」分野(というか、分野自体は全然新しくないけれど、コンサルタントが入って云々、というのが新しいんですかね)の日本語が私は実は、とても好きじゃないのです。なんのこっちゃと思われるでしょうか。英語から訳していて、「でもこんな言い方日本語であるかなあ」・・・と思ってネットでみると、あるんですね、ぞろぞろ出てくる。曰く「販売の構築」(販売って構築するもんですかねえ。構築っていうともうちょっとなんだか具体的な気がするんですが。せめてプロセスとか)、「データの分量」(わかります。わかりますが、なんとなく「データ」という抽象的な観念と「分量」が結びつかないのです。「大量のデータ」と言うんだから、分量があってもいいんだけど)、「知識を集める」(!えええ~やだあ!と思ってしまいましたが、言うようですね。これは漢語と和語の組み合わせがイヤなんだと思います。でも「知識をかき集める」だったらいいような気もする)その他もろもろ・・・。


これは広告分野だともっとすごくて、広告関連の翻訳は結構アタマを抱えます。思うに、コンサル関連などの新しい分野の知識は圧倒的に英語(アメリカですね)から入ってきているので、そのままカタカナ表記にすることもあるけれど、ものすごい直訳調の日本語の表現が定着してしまっている場合も多いのではないのでしょうか。好みの問題じゃない、といわれればそれまでですが、なんというか美しくない日本語が氾濫している分野のような気がします。


まあ言葉は生き物ですから、需要に従ってどんどん新しい意味や言い回しが備わってくるのも自然なことなのでしょうけれど。でもビジネス文書だろうとなんだろうと、読みにくい表現で書かれていたら頭にも入りにくいと思うんですけどね。


言葉関連というだけで、全然本日の話題とは関係のないこのごろの疑問点。日本語の曜日って一体どこから来ているんでしょう。日本語の月、火、水・・・というのはスペイン語(フランス語も同様ですが)のような天体およびギリシア・ローマの神さまと一致していますよね。月曜日は月で、火曜日は火星でマルス、水曜日は水星でメルクリウス、木曜日は木星でジュビター、金曜日は金星でヴィーナス、土曜日は土星でサトゥルヌス、日曜日が太陽。(あれ、月曜と日曜はローマの神様の名前じゃないですねえ?天体は一致しているけど)。でも、英語は月と土と日は天体は一致していますが、週のほかの日は、どうも北欧系の神様の名前らしいのです。

ということは、日本語の曜日、というのは英語から訳されたわけじゃなくて、ラテン系の言葉から訳したのかなー・・と思うのですが(だってギリシア・ローマの神様の星と一致していますし)、一体いつ、何語から訳したのかが疑問です。明治ごろにえいっと訳したのかな?こんな風に書いてないで調べれば、といわれてしまいそうですね。このごろ密かに疑問なのです。