以前 、「うーん、詩のほうが散文よりパワフルかも」と思ったのは実はスペイン語を習っていたときでした、という話をちょっとしましたが、実はそれはこの詩の朗読を聴いたときのことです。昔も難しい~と思ったし、今読んでみても結構難しいなあ、と思うのですが、でも言葉の難しさを超えて何か感情をわし掴みにするものがある。


これはホルヘ・ルイス・ボルヘスの”El uno,el otro” からの一編です。アルゼンチンのこの文筆家(というかインテリというか)は、どちらかというと摩訶不思議な短編のほうが有名ですが、創作の初期には、ちょっと短編のドライさからは想像のつかないような、瑞々しい詩も多く書いています。


これは"El uno, el otro" からの一編です。サロニカはギリシアの一地方で、キリスト教のレコンキスタ(再征服)後に、改宗を拒んだユダヤ人が逃れていった場所です。これらスペインから逃れてきたユダヤ人はセファルディと呼ばれ、ギリシア、トルコ、モロッコなどに追放されたのですが、ちょっと感動的なことにこれらの場所には今でも彼らの言葉が残っています。いわゆるセファルディ語ですが、500年くらい昔のスペイン語を、ヘブライ文字で書き表したものです。グラナダ大学の文学部では、科目のひとつで「セファルディ語とセファルディ文学」を教えていますが、スペイン人の学生が「違う文字だけどスペイン語だから簡単なのよ」などといいつつヘブライ文字で書かれた詩などをすらすら読むのでびっくりしてしまいます。


それはさておき。この詩で扱われているテーマもセファルディであり、アバルバネルもファリアスもピネドも、スペインのユダヤ系男性の名前です。トレドにはユダヤ人の大きなコミュニティがあり、レコンキスタののち彼らはスペインを追放されるのですが、当時の慣習に従って「いつか帰る日のため」家の扉を閉め、その鍵を持って逃げ延びるのです。追放先のギリシアで、モロッコで、鍵は家族代々に受け継がれ、500年がたつ今でもかの地には、トレドにある先祖の家の鍵を持っている人たちがいるのだそうです。この詩で一番胸をつかれるのは、この目にしたこともない故郷への望郷の念です。


最後に出てくる「神殿」はソロモンの神殿であり、ローマ人の侵略により神殿に火が放たれたとき、誰かが空に向かって投げ上げたその鍵を、神の手が受け取った、という伝説に基づいています。


拙訳をつけておきます。もう本当に本当に拙訳で、私がこの詩を聴いたときのショックの100分の1も伝えられるか自信がありません。力量不足ですね・・・どうかお見逃しを。



Una Llave en Salonica


Abarbanel, Farías o Pinedo,

Arrojados de España por impía

Persecución, conservan todavía

La llave de una casa de Toledo.


Libres ahora de esperanza y miedo,

Miran la llave al declinar el día ;

En el bronce hay ayreres, lejanía,

Cansado brillo y sufrimiento quedo.


Hoy que su puerta es polvo, el instrumento

Es cifra de la diáspora y el viento,

Afín a esa otra llave del santuario


Que alguien lanzó al azul, cuando el romano

Acometió con fuego temerario,

Y que en el cielo recibió una mano.


サロニカの鍵


アバルバネル、ファリアス、さもなければピネド、

信心なくしてスペインから追放されたものたちよ、

迫害を受けて

いまなおトレドの我が家の鍵を護る


希望も恐怖もとうに消えうせ

日暮れ時にただ鍵を見つめる

青銅に残るのは遠い昨日

失われた輝きと静かな苦しみと


かの家の扉はすでに崩れ落ち、ここにあるのはただ

離散と吹きすさぶ風とのしるしのみ

神殿のあの鍵とまるで生きうつしに


羅馬人が荒れ狂う火を放ったあの日

限りない青の中へと誰かが放り投げ

空から伸ばされた手が拾い上げた、あの鍵と