処遊楽 ⅱ

処遊楽 ⅱ

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。力一杯生きよう。衆生所遊楽。

チャップリンの独裁者

 

1940年。制作:米国。監督・製作・脚本・主演:チャールズ・チャップリン。124分。

この映画の価値は、あの世界大戦のさ中に正面から反戦の旗を振ったことにある。チャップリンは芸術家、映画人として不朽の名を残したと言えるだろう。最後の6分間の独裁者ヒンケル(実は床屋)の演説は、そのまま現下の傍若無人の専制国家への告発でもある。チャップリンの洞察と決断と実行力に改めて敬意を表示する。

 

      

 

 

ラスト・エンペラー

 

1987年。制作:伊中米仏国合作。監督:ベルナルド・ベルトルッチ監督。219分。

激動の近代中国を清帝国の最後の皇帝宣統帝溥儀の生涯を通して描いた歴史巨編。

圧巻は冒頭の荘厳かつ広大な故宮でのロケーションによる幼帝の就任式のシーン、よくも実現したものである。胡耀邦、趙紫陽の改革開放路線の故か。戦後生まれの日本人は、近現代の自国の歴史をよく教わっていない。虚実混ぜこぜとは言え、この映画はその空白時代の理解の一助になる。坂本龍一が印象に残る甘粕役。主演のジョン・ローンがいい。

 

   

 

 

ドクトル・ジバゴ 

 

1964年。制作:英米伊国合作。監督:デビッド・リーン。197分。

とにかく自然が美しい。圧倒される。この悠久の大地を舞台に二つの大戦と革命に翻弄された人間たちのドラマ。俳優たちはいずれも余人に代えがたいキャスティング。デビッド・リーン流石である。

 

 

     

 

 

国宝

 

2025年。監督:李相日。174分。

本年6月に公開され約半年間で1231万人の観客動員。これは実写映画では22年ぶりの新記録だそうでリピーターが多いのが特徴という。我が国の伝統文化の筆頭でありながら、その実像を多くの国民は理解出来ていなかったし知ろうともしてこなかった歌舞伎の世界。それが映画という異ジャンルの媒体によって現代ドラマとして気軽に観ることが出来たことが大ヒットに繋がったか。当代人気の若手俳優の熱心な演技学習の姿も好感を呼んだ因か。李相日監督の次作が楽しみ。

 

      

 

 

教皇選挙

 

2024年.制作:米英国合作。監督:エドワード・ベルガー。120分。

新しい教皇の決定は、煙突から昇る煙が白か黒かの合図という知識しかなかったバチカン内部。それが映画とはいえ結構細密に目にすることが出来た。これほど興味をそそるものはない。加えて信仰者として最高位の枢機卿たちの人間臭い跡目を目指す虚々実々。しかもリアルにフランシス教皇の死のニュースが上映期間中に世界に流れた。そのことで歴史に残る作品になるか。

 

     

 

 

1,裁判員候補

 

  昨年秋に突然横浜地方裁判所から分厚い書類が届いたのが始まりだった。

  明年、裁判員候補になる予定なので入院或いは海外長期出張などの理由により担当が出来な                 い場合はその旨連絡せよ、それ以外の皆さんはは法律により裁判員候補となる、との趣旨だ

  だった。

 

   横浜地裁

   横浜地裁

 

  今年5月に裁判員選任手続きの書類が地裁から届き所定項目を記入の上投函。確かこの時に

  裁判員として審議する裁判の日程が告知がされた。

  7月2日13時30分~15時、地裁において裁判員選任手続き。集まったのは老若男女の32名

  。まず室内に副裁判長2、検事3、弁護士3が呼び入れられ紹介される。この3グループに

  裁判員3名が加わり、12人4グループが1つの裁判を担当しますとの説明があった。 

  

  続いて審議する裁判の概要が裁判長から紹介される。事件の発生日時、場所、被害者、容疑

  者名だ。その上でこれらの番地(居住地域)の近隣に住む人、被害者や容疑者の縁者関係者  

      は、自ら挙手して名乗り、部屋から退出させられる。裁判の公正・公平・秘密を期す措置で   

  ある。続いて裁判員の選任に移る。裁判長から「皆さんのキャリアや学歴・宗教・思想信

  条・生活程度の属性は一切関係なくコンピューターが選びます」との説明があり、パソコン

  がクリックされて番号の若い順に1回づつ発表されてゆく。裁判員3名補充員2名の番号が読

  み上げられる。「番号を呼ばれなかった方は、裁判員の選には入りませんでしたので、今日

  の予定はすべ終わりました。お帰り戴きます。お忘れ物のないように」とのアナウンス。

  「本日の日当と往復の交通費は伺っている口座にお振込みさせて戴きます。大変に有難うご

  ざいました」という次第であった。

         

       この裁判員の最初動は、県か市という単位で住民を選定することから始まり、地裁での打ち

  合わせの場がいわば決勝戦。最後の舞台でブログ主はシステムの選に漏れ敗れたのだった。  

         近年冤罪が多い。一体どういうことなのか、裁判の経過はいかなるものなのか、世間の役に           立つものならと年甲斐もない試みは果たせずに終わった。 なおこの裁判は7月のうちに結審

  した。 

  

 

2 ,   国勢調査員

 

  友人が5年に1度の我が国の国勢調査員に3度目の応募をするとの言に触発されて、人生最 

  後の社会貢献と身体運動と小遣い稼ぎのために応募をした。 調査員は年々減少していると    

  ニュース報道の影響も頭のどこかにあったろう。  

 

  

  調査員に配布された関連資料・グッズ。

 

  8月中旬に市から段ボール2箱が突然届く。同じ箱が2個、発送ミスだと担当課に連絡をし

  たところ、住所・氏名を確認され、担当して貰う区域分の資料だとの説明。加えて、9月の  

  調査員の全体打合せまでは絶対開封開封しないとの注意がある。

  その打合せは9月冒頭、地域の市民センターで開催された。参加者は約50名位くらいか。中 

  高年が多く、お互いに「久しぶり」とか「元気でしたか」とか声を掛け合っているところを

  見ると、どうやらベテランの皆さんらしい。

  資料に従って段取りの説明や調査周りのポイントや注意点の対応などが職員から語られる。

  進行の速さとそれを聞く調査員側大部分の首肯の姿で、同種同族同塊の要領確認済みの諸兄 

  姉の集まりなんだと、遅ればせ初心者の当方は気が付いたのだった。

 

  

  当日集まった調査員が賜った任命書

 

  一体どうやればいいのか、どこから始めればいいのか。分厚い3種の調査要綱を繰っては

  読み返し繰っては読み返し、マーカーでラインを引き、注意事項を脇書きし、世帯訪問時の

  口上の練習を重ねる。また一方では担当区域に地図と世帯の一覧表を帯同して調査順路の効  

  率を検討し、天気具合による階段や坂の対策など、不安が消えるまで足を運ぶ。この作業の

  過程で、件の経験豊富な友人に電話をしてはサポートを得る。勿論、市への問い合わせも頻 

  繁だった。「調査対象の世帯には必ず会わなければいけない」そのためには日を替え時間を  

  替えて訪問する。これは相当きつかった。よりによって今年は9月10月も歴史的な激暑、こ

  これには参った。

 

  一切を終えての思いは、こうした調査は今後もやるのかということ。前回の5年前にはトク

  リュウなど存在しなかった。訪問先から「AIの時代、ロウテクでやる方も来られる方も無

  むだ」「突然の見知らぬ人に個人情報を伝えることは果たしてどうなのか」などなど。各世  

  帯の協力意識は極めて低い中で従事する調査員の労働量の負担は増大している。個人情報の

  扱いと人権への取り組みもこのままでいいとは言えなかろう。

 

  担当:2区域,計100余件,労賃10万余円(担当1件につき854円)が12月中旬に入金された。

  

  

 

 

  

 

 

  

  

ブログの引っ越しを余儀なくされて、誘導説明のままに無事転居は出来たものの、ゼロからの制作過程の学習が面倒となり、暫く放っておいた我がブログ。    1980~90年代の中国のマッチ

それから約半年の今日。ロサンぜルスからLINEで届いたのがこの中国のマッチの画像である。懐かしさに突き動かされてブログを再開する気になったのだった。

1980~90年代、仕事での日中間の往来が頻繁であった。殆どの仕事先が官でありこうした官庁組織製マッチを中国側諸兄は接客で使っていた。これには驚かされた。日本ではありえない。
珍しさに日本に持って帰っては机の引き出しにいれていた。
時がたち2014年8月、ロサンゼルス在住の友が一時帰国の際に、わざわざ当方の新しい仕事場に寄ってくれた時に記念に渡したのがこの中国マッチなのである。漢字で《火柴》と書く。
半世紀前、血潮たぎる青春時代に戦野をともにした仲間である。生長らえて異郷にありながらこうして共有できる有難さ。感謝しかない。