処遊楽 ⅱ

処遊楽 ⅱ

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。力一杯生きよう。衆生所遊楽。

 敬愛して止まなかった先輩が逝った。享年83歳。

半世紀にわたる往来であった。自らを語ることの少なかった人だったが、東大理Ⅰからトップ企業に入り、当初は種子島に長らく赴任していたように思う。ロケットを飛ばす仕事だという人がいた。

 

 昨年11月15日には、ともに青春時代を過ごした仲間が、茨城や都内からも含め12名が集まった。当の先輩、高齢化による多少の衰えは見られたがまさかの急逝、無念至極である。

    

 住まわれていた地域では連合老人会長を長らく務められ、面倒見のよさと粘り強さと優しさは誰もが口にする人柄であった。

    

 お通知を戴いたお別れの会に伺いご焼香をさせて戴いた。あの前年秋の集まりが《最後》と知りせば、もっともっと話が出来たのにと悔恨の情が暫し止まなかった。

   

 葬儀室入り口には、ご生前のご家族との思い出の写真が並べられ、お別れの寸言を書き込めるコーナーやDVDの上映も。

   

人の最後の姿を考える。この先輩はいつものように元気に自転車で走る姿を見せていたという。夕飯時、様子がおかしいと救急車で運ばれて4日後に旅立たれた。

 俗に《病い上手に死に下手》という。逆に《病い下手に死に上手》というのもある。
加齢ととともに自身の場合を考える。連れ合いも当然思いを致す。それなりの普段の覚悟が出来てくる。であれば、相応の時期にポックリがいい。そうなるかならぬかは本人の生前の行い次第か。切ないことだ。

 

cinememo  002

  1984年 アメリカ 98分。監督:リチャード・ベンジャミン。音楽:レニー・ニーハウス。出演:クリント・イーストウッド,バート・レイノルズ。アクション・コメディ。

 

 

 

 時代は1930年代のカンサスシティ。刑事と私立探偵、ライバルでありバディでもある二人が張り合いつつ暗黒街のボスと戦う物語。ファッショナブルで洒脱で贅沢。世に出始めたころのT型フォードが走り回るのだから車好きには堪らなかろう。銃撃戦の派手なこと。 

 ジャズが好きなイーストウッドがピアノを弾くシーンがある。挿入曲にはブギウギもある。ストーリーの重要なキーパーソンになるクラブ歌手がいる。エンドロールで気が付いたのだがアイリーン・キャラだった。そうあの『フラッシュ・ダンス』の。一瞬だが彼女の歌う姿を観ることが出来たのは思わぬ儲けものだった。

 

 

 中華人民共和国が日本との友好交流を目的に長い間出版してきた月刊誌『人民中国』の最新号に、なんと愚生の昔の写真が掲載さた。仰天である。ともに対中関係の仕事に従事してきた先輩からの連絡に続き実物の雑誌が届いた。

 

      

 

送り主は、かつての同国の文化部長の劉徳有氏である。先輩とこのお二人は、定年後も趣味の俳句を通して親密な友情関係を続けて来、この雑誌に草の根の付き合いの姿を投稿してきた。劉氏は中国における日本俳諧のトップの立場にあり、日本の伝統文化をより理解・吸収する上で日本人の友達はこの上ないアドバイザーであったことだろう。

 

     

 愚生と劉氏とのお付き合いは古く、国交回復前からである。1960年代後半、両国双方から相手国に駐在記者を置くことになり、氏は、光明日報だったか上海文匯報あるいは新華社だったか、今から見れば帰属組織は大したことではない。思うに、国家がこれから国交を目指す相手国に派遣する重責を担った格別の能吏だったろう。恵比寿に設けられた事務所への往来は数知れない。結婚祝いに額入りの刺繍画を戴いた。もう恐縮至極。その後に続く自身の友好活動の一里塚であった。駱為龍、王泰平氏もいつも一緒だった。

 

    

    右から劉徳有氏、山崎尚見氏、三津木俊幸氏、愚生。90年代場所不明。

 

 国交回復から54年。交流半世紀の軌跡は、山あり谷あり。残念ながら今は谷の時代。季節でいえば冬。

”遠からじ春”は、周恩来の言う以民促官(民を以て官を促す)で招来しよう。この『人民中国』記事は、その温故知新に他ならない。