敬愛して止まなかった先輩が逝った。享年83歳。
半世紀にわたる往来であった。自らを語ることの少なかった人だったが、東大理Ⅰからトップ企業に入り、当初は種子島に長らく赴任していたように思う。ロケットを飛ばす仕事だという人がいた。
昨年11月15日には、ともに青春時代を過ごした仲間が、茨城や都内からも含め12名が集まった。当の先輩、高齢化による多少の衰えは見られたがまさかの急逝、無念至極である。
住まわれていた地域では連合老人会長を長らく務められ、面倒見のよさと粘り強さと優しさは誰もが口にする人柄であった。
お通知を戴いたお別れの会に伺いご焼香をさせて戴いた。あの前年秋の集まりが《最後》と知りせば、もっともっと話が出来たのにと悔恨の情が暫し止まなかった。
葬儀室入り口には、ご生前のご家族との思い出の写真が並べられ、お別れの寸言を書き込めるコーナーやDVDの上映も。
人の最後の姿を考える。この先輩はいつものように元気に自転車で走る姿を見せていたという。夕飯時、様子がおかしいと救急車で運ばれて4日後に旅立たれた。
俗に《病い上手に死に下手》という。逆に《病い下手に死に上手》というのもある。
加齢ととともに自身の場合を考える。連れ合いも当然思いを致す。それなりの普段の覚悟が出来てくる。であれば、相応の時期にポックリがいい。そうなるかならぬかは本人の生前の行い次第か。切ないことだ。







