SF映画のCGかミニチュアセットと思しき姿のこの写真。実は、シルク・ドゥ・ソレイユの『コルテオ』が上演された特設テントなのだから、撮影しておきながら自分でもびっくり。夕闇に浮かぶ空想的な造型は、異界へと誘うサーカスの新時代そのもののようで象徴的だ。
『コルテオ』を観に行ったのはしばらく前のことで、東京公演はひとまず終了している。といっても、興行はまだまだ続き、これから名古屋、大阪と回り、11月には再び東京。来年には、福岡、仙台での公演が予定されている。
『コルテオ』は、これまでのシルク・ドゥ・ソレイユとは随分違った、冒険的な演目だった。
コルテオとは「行列」を意味するイタリア語と宣伝では謳われているが、プログラムに載せられた演出家のインタヴューを読むと、どうも「葬列」が本義らしい。実際、舞台は、一人の老道化師マウロが、自分の葬列の夢を見るところから始まる。開幕前、いつものように客席に大勢の道化師たちが現れ、おどけてみせ、観客たちを沸かせている。と、いつのまにか道化師たちがいなくなり、客席の明かりが消え、こんなセリフが流れる。
「夢を見ていた…自分が死んだ夢を。葬儀に集まった人々…だが本当にそれは夢なのだろうか…」
円形の劇場を横断するようにしつらえられた長い舞台に、賑やかな音楽とともにマウロの死を弔う華やかな葬列が現れる。老道化師マウロが夢見る葬列に並ぶのは、彼が人生において出会い、別れた人々だ。そして、サーカスのさまざまなアクロバットや技芸も、すべてマウロの人生を彩った人々によって演じられていく。死と道化というモチーフと、演劇のような物語性を持ったサーカス。そのことにまず驚いた。
山口昌男さんの本によると、道化はもともと死と深いつながりを持つのだそうだ。「道化は、生と日常に対する最大の否定である死に立ち向かい、手なずける術を人に示してくれる存在だ」 たしかそんな趣旨のことを書かれていた。狂言回しのマウロを始めとし、巨人のクラウンや小人のクラウンとクラウネス(女性のクラウン)まで登場する『コルテオ』は、たしかに道化師たちのサーカスだった。ヘリウムの巨大な風船で宙に浮かび、客席と舞台を行き来するクラウネス。クラウンたちの演じるドタバタ「ロミオとジュリエット」。弾むように楽しく、どこかはかない手ざわりのある演目が印象的だった。演出はいつも以上に洗練されており、透かし絵を施した紗幕とカーテンを二重にステージに垂らし、繊細なライティングで魔法のようにあざやかに操ってみせる。さすがに凄い。
ほんの少し欲をいえば、音楽とアクロバティックな技芸がいつもに比べると抑え気味だったこと。でも、こういうサーカスを演じるのもシルク・ドゥ・ソレイユならではかもしれない。2時間半は、やはりあっという間に過ぎていった。