NODA MAP『パイパー』 | 脚本家/小説家・太田愛のブログ

先日、野田秀樹作・演出の『パイパー』を観てきた。松たか子さん、宮沢りえさんの二人の女優さんを軸に大倉孝二さん、橋爪功さんら豪華なキャストと錚々たるスタッフによる野田さんの最新作だ。
舞台は1000年後、未来の火星。はるかな昔、人類は夢と希望を託して火星へと移住者を送り出した。彼らは新たな故郷・火星に幸福な営みと繁栄を築き上げるはずだった。ところが1000年後の今、赤い大地に築かれた都市の多くは廃墟と化し、しかも僅かな数の末裔たちが荒廃した町の一角に生き残るばかりだ。いったい火星では何が起こったのか。『パイパー』は火星に移住した人類の歴史をめぐって1000年の時空を往還する壮大な物語だ。


脚本家・太田愛のブログ-パイパー

「パイパー」という不思議なタイトルは劇中で複数の意味を持っている。その一つがSF的なガジェットとして登場する生体機械の名称なのだが、この着想がとても面白かった。かつて人類と共に火星に渡ったパイパーたちは、人間を幸せにするためにひたすら献身する生体機械であり、幸福な未来を象徴する存在だった。ところが、1000年後の現在、パイパーたちは人々を脅かす存在となって荒涼とした火星の地を彷徨し、破壊の限りを尽くしている。パイパーの変貌に隠された謎は、移住者の歴史を解く鍵でもある。
舞台では、このパイパーをコンドルズの6人の方々が演じている。ひびのこづえさんがデザインした全身銀色チューブの衣装をまとい、抑制された動きで舞台に現前するパイパーは、人が演じていることを忘れるほどにリアルに虚構を生きており、それだけで充分に劇的だった。コンドルズの身体能力を活かした躍動的な演出があったほうがよかったという劇評もあったが、そうは思わなかった。この“動く舞台装置”のように背景に溶け込んだ演技はパイパーとしてのリアリティであり、むしろ俳優と演出を含めたスタッフワークの勝利だと思った。


俳優とスタッフワークの勝利というのは、実はこの舞台全体に感じたことでもある。というのも、今回の戯曲はいつもどおり豊穣な劇的イメージにあふれてはいるものの、後半で「物語」を束ねていく力がめずらしく弱かったからだ。久々の壮大な絵巻物的虚構にはモチーフが多すぎるほどつめこまれており、「物語」として回収しきれなかったように思えた。だが、それでも舞台は充分に、並外れて面白かった。それだけに、演劇は「物語」とは別の“体験”であり、戯曲はその土台を作るものだと痛感させられる舞台でもあった。


もっとも印象深かったのは、廃墟と化した火星の町を母娘が彷徨する場面だ。身ごもった若い母を演じるのは松たか子さん、四歳の娘を演じるのは宮沢りえさん。ある悲劇的な事件が起こったのち、若い母と幼い娘が絶望に打ちひしがれながら瓦礫の中を行く、という一場だ。
だが、二人は、実際には舞台の上を歩かない。何もない暗い舞台の中央に、黄昏のようなスポットライトを浴びて立っているだけだ。まっすぐ客席の方を向き、そこにあるはずの廃墟の町を見つめて立つ。崩壊の轟音も悲劇的な音楽も消え去り、昏くさびしい光の中に取り残されたように立ち尽くした二人が、短いセリフだけで廃墟を語っていく。


「レンガ」 「四角い平たい石、赤茶けた石」 「夥しい」「こわれそう」「かつて電気を発光していたと思われる」 「細いガラスの管」「巨大な看板『Happyをかなえる力きっと見つかる』と書かれている」 「ガラス、ちりぢり」 「歪んだ金属の棒」 「骨、骨、頭蓋骨」 ………。


長い長い時間、言葉だけが舞台にある。音楽もない。二人の役者も動かない。言葉が二人の“声”となり、それだけが静まり返った舞台に響く。“声”となった言葉だけで観客の想像の中に廃墟の町が現れる。そして、その見えない廃墟の無惨に劇場全体が震撼させられる。松さんと宮沢さんという素晴らしい二人の舞台女優を得てこそ可能だったと思える、何よりも劇的な瞬間だった。この場面だけでも何度でも体験したい。心底、そう思うほど凄かった。もちろんすべてのスタッフとキャストが劇中のこの場の意味を理解し、それにふさわしく全体を作り上げてきたからこそ、この瞬間が生まれたのだろうと思う。演劇は凄い、と息を飲む場面だった。


『パイパー』はシアターコクーンにて2月末まで上演中。毎日、当日券が発売されるそうです。

興味のある方は、是非。