家ごもりの仕事には楽しみが少ない。修羅場になると二時間はかかる映画はご法度。食後の三十分以内が『楽しみ』の必須条件になる。そんな時、志ん朝師匠の落語は『楽しみ』を越えてもはや『至福』。
昨夜の一席は『つき馬』。「つき馬」とは元は吉原の言葉で、無銭で遊興した客から金を取り立てるため、店から自宅まで付き添っていく者の呼び名とか。実際、馬に客を乗せて行ったそうだ。澄み渡る青空の下、馬上に揺られてカッポカッポというのも「のどかな晒し者」という風情だが、それもいとわず何とかただで遊んでやろうという男達の腹の据わり方にも恐れ入る。噺もお題のとおり、一晩、無銭遊興したペテン男に付き添う「つき馬」のお話。つき馬の若い衆がペテン男の口車に乗せられ、ついつい吉原の大門を出て浅草くんだりまで来てしまい、果ては一杯食わされ、煙に捲かれるまでの顛末。このペテン男の語りが噺のヤマのひとつで、志ん朝師匠は憎めないペテン男を軽やかに聞かせる。
さて、タイトルの豆腐の方だが、噺の中にペテン男と若い衆が豆腐屋に立ち寄って朝飯を食う場面がある(当然、代金は若い衆の立て替えだ)。二人がいただくのがごはんに豆腐、漬物に汁という朝食なのだが、これには目から鱗だった。豆腐がおかずの主役なのだ。豆腐は和食につきものだが、朝食の場においても卵焼きやら鮭やらに主役の座を譲り、脇に控えている印象が強かった。ハンバーグ定食の付け合せのマカロニみたいな感じだ。それだけに、出来立ての豆腐をおかずにごはんという意表をついた配置がやたらおいしそうに思え、噺の中の湯気のわく朝の豆腐屋のたたずまいともども、にわかに食欲を刺激した。豆腐には威勢良く生醤油のみをぶっかけるか、おろし生姜にあさつきの小口切りなどあしらうか、悩む所だが近々に試してみる予定。その際、汁は熱々のなめこ汁、漬物は塩のきいた白菜の浅漬けと決めている。ちなみに、日本酒のあてには豆腐に摩り下ろした岩塩をかけて頂くのも美味しい。
余談だが、鬼平犯科帳の第一シリーズに『雨の湯豆腐』という作品があるが、これも傑作。