ポケットに忍ばせる「夜」。
明るさに疲れた時、
ふとポケットから『アストロ燈』を取り出してスイッチを入れると、
そこには優しく懐かしい闇が広がります……。
大正11年に東洋電氣株式會社によって開発された『アストロ燈』は、見かけは家庭にある懐中電灯にそっくりだが、闇を照らすのではなく、その反対にスイッチひとつで闇を出す不思議な機械だ。闇を「出す」というより、周りの光を吸収する仕組みで、当時は大ヒット商品となったという。その名の由来は、
ア らふしぎ
ス ばらしい
ト うようでんきかぶしきがいしゃ
ロ んぐせらーで
と ばすこと
う けあいです
ということで、命名は社内全員一致で決定。前述のごとく「心の安らぎ」を主たる用途として開発されたものだが、ほかにも『アストロ燈』で足下を照らして自然な幽霊になる隠し芸や、満月の夜、丑三つ時にアストロ仲間を二十名ほど集めて円陣を組み、互いを照らしあう「偉大な闇の創造」など、さまざまな用い方がなされたらしい。
だが、残念なことに、この『アストロ燈』、今ではもう手に入らない。当時、取り扱っていたクラフト・エヴィング商會の『不在品目録』にのみ姿を残す幻の機械だ。明治期、開業当初は舶来科学商品を扱っていたクラフト・エヴィング商會は、やがて国内の「不思議なもの・珍しいもの」を商いはじめる。『不在品目録』には『アストロ燈』以外にも、『硝子蝙蝠』(地球の重力の強弱に反応してガラス版のコウモリの色が変幻する)や、『水蜜桃調査猿』(水蜜桃の食べごろをピタリと教えてくれるゼンマイ仕掛けのおサルさん)などなどズラリ。
さて、どれもが是非とも手に入れたくなるミステリアスで魅力的な機械の数々だが、実はこれらはすべて架空のものだ。欲しくなってしまった人、ごめんなさい。
『どこかにいってしまったものたち』というこの本は、『不在品目録』を模した体裁で、摩訶不思議な機械のあれこれが、本物そっくりに色褪せた取扱説明書、包装、広告などのたくさんの写真つきで紹介されている。これらの魅力的なニセモノを作り出したのはクラフトエヴィング商會こと、吉田浩美さんと国谷千恵さんの制作ユニットだ(現在は、吉田浩美さんと吉田篤弘さん)。お二人は、古い書物から活字の一字一字を切り貼りするという気の遠くなるような作業を経て、これらの品々を作ったのだという。
どこにも存在しないものを博物学的に集めた本には楽しい奇書が多い。ボルヘスの『幻獣辞典』、レオーニの『平行植物』、別役実さんの『道具づくし』など『~づくし』シリーズなど、どれも大好きな本だが、このクラフト・エヴィング商會の『どこかにいってしまったものたち』は、美術作品として作られ、写真つきであるため、眺めているだけでワクワクする(もちろん読むと、何倍も楽しい)。そして、もうひとつ。ほかの本は、スタイルこそ異なれど、どれも架空のものを実在したものとして探究する前進的な姿勢で書かれている。レオーニの『平行植物』など怪物的にエネルギッシュだ。それに対して、この本は「架空の商會」の倉庫から「すでに失われたもの」を目録として並べるという物語的な仕掛けで幻の明治・大正・昭和を現前させる。そのノスタルジックでありながらどこか覚醒しているという、不思議な虚構の追憶装置こそ、この本の独特の魅力だと思う。