今日は日曜日。
11時に昔アルバイトしていた塾の同僚と
7年ぶりに会って昼食をとる約束をしていた。
ずっと年賀状だけの付き合いになってしまっていたが、
彼のほうからアプローチしてきてくれた。

先週はちょっと忙しくて土曜日の夜にはぐったりしてた。
授業中にもちょっとボケたことを言って生徒に
指摘されたりと、自分でも疲れているのがわかった。
そんなんで、ちょっと早めに塾を出させてもらって、
珍しくまっすぐ家に帰って食事をした。

食事が終わってしばらくテレビに向かって
ボーっとしていたら、知らない間に眠ってしまっていて、
気がつけば朝の6時になっていた。
机に突っ伏して寝ていたので、
体が痛くて目が覚めた。
そしてベッドで寝なおす。
9時に起きたらいいやと思って眠ったけど、
目が覚めれば10時半になっていた。

あわてて用意して11時に上野芝駅へ着いて、
なかなか来ないから手帳を確認すると、
11:30の約束だった。。。

彼と一緒に働いたのはたぶん1年半ほどだったと思う。
その塾は、非常勤講師を雇用するシステムがしっかりしていて、
アルバイトなのに職位があがっていくと
社員並みの仕事をさせてもらえた。
僕は社会人になるための経験を早くから
積むことができるこの会社を気に入っていた。
そして、一生懸命に働いて、できる仕事の幅を
広げようと努力していた。

およそ大学生とは思えないような働きぶりは
彼に大きく影響していたのだと思う。
1年遅れで入ってきた彼は、
同い年の僕に対しても敬語を使ってくれた。
いろんなトラブルがあって、
ぶつかったり、言えないことがあったり、
僕に対して腹を立てたこともたくさんあっただろうと思う。
けど、一緒に働きながらいろんなことを一緒に学んだ。
対策授業の前は塾に泊り込んで
プリントや予想問題を作ったりした。
泊まりのときは夕食は駅前のモスバーガーだった。

彼のすごいところは、大学の勉強もきちんと
両立していたところで、朝まで仕事をしてても
ちゃんと大学に行っていた。

仕事が終わってから朝までボーリングや
ビリヤードをしていたこともあった。
1ゲーム100円のボーリング場をもとめて、
泉南や阪南まで車で行ったこともあった。

そんな大変ながらも楽しい時期をいっしょに過ごした彼と
7年ぶりに会って、同じようなテンションで食事ができる。
すごい嬉しいことだ。

お土産までもらって、上機嫌で塾に向かう。
塾では夕方から、元上司とシステムの打合せをした。
6時ごろから始めて終わったのが10時ごろだっただろうか。

僕はいろんな塾長がいる中で、
割と実務ができてITスキルがあるほうだと思っていた。
ところが、ここ数年はまったく勉強していないため、
新しい情報についていけてない。
例えば、HPを作ったり、CGIを設置したりとか
ある程度できていて、その上司よりは豊富な知識を
持っていたのに、今となってはすっかり
取り残されてしまっている。

今年は年賀状に、いろいろと外に出かけて
勉強することを書いたので、早速それを実践しようと思った。
手始めに3月から管理システムの構築を
スタッフとその元上司と行おうと思う。
そして、それを売ることも視野に入れようと思う。

人と話してばかりの1日だったが、
収穫の多い、楽しい1日だった。
バームクーヘンありがとう。

今日は朝から会計事務所の所員が
打合せに来てくれていた。
源泉所得税の納付が近づいている。
また税金だ。頭がイダイ。
角印や丸印を押したりしながら
納付の書類を作成する。

12時になると銀行と打合せ。
偶然にも、ウチの会計事務所の得意先でもある。
銀行との打合せが終わると
事務のスタッフと会計事務所の所員とで
昼食に出かける。
今日は天気がよかったので、
こんな写真が撮れた。

市役所方面を望む

雲が低いなぁ。

食事の後はスタッフは校舎に戻って仕事の続きを。
僕は郵便局と銀行へ。
の予定だったが、
書類を作成するときに
印鑑を机の上に出したままだったため、
郵便局での手続きができなかった。。。
残念。

そして校舎に戻りミーティング。
小学生の授業をしてから、
小5の保護者と入塾面談。
最近、中2と小5の問い合わせが増えてきている。
特に中2はもう残席がないから、
新たにクラス分けを行う3月まで
入塾を待ってもらわなければいけない。
来年は、このメンバー全員の成績を
きちんと伸ばせるように考えないといけない。

塾って箱物商売だって言われていて、
その箱にどれだけ「集客」できるかってことを
考えるんだって、ずっと言われてきたけど、
何人になって、どのような環境を作り出すことができれば、
急速な口コミが発生するのかということが
今年でようやくわかってきた。

満席になったり、口コミが多い学年には
その学年独特のクセがあり、
ウチのスタッフのクセとマッチすることがある。
そのマッチする条件のようなものがわかってきている。
来年はコレを煮詰めてうまく利用していきたい。

保護者との面談が終われば、
中2の生徒の補習をして歴史の授業をする。
授業が終われば、他塾から頼まれている
チラシ印刷の仕上げをして、
自塾のチラシの印刷の準備もする。

明日は「新・中1準備講座」が始まる。
数学と英語の授業があるのだが、
申し込みを過ぎて今日になって
2名の新たな受講希望者が出ていた。
ということで、今からテキストを印刷して
製本に出しに行こうと思う。

今日はPEN Osakaの新年会だった。
11:30~13:30の食事会だったが
豊中の塾長と泉大津の塾長と
打ち合わせのために10:30に
スイスホテルで待ち合わせ。
来年度に向けての準備を少しずつ進める。

新年会の会場は「蓬莱本館」というところ。
僕はここをてっきり「551のHORAI」のことだと
思っていたら、どうやら違う会社らしい。
店も隣り合っていてとてもややこしい。
数人が会場に着くまでに迷っていた。
ここはもともと兄弟で経営していて分裂したんだとか。
どこにでもある話だ。
何でわざわざ店をとなりあわせでやってるんだか・・・

オーダーバイキングという形式だった。
朝食を抜いて、気合十分で参加したつもりだったが、
ぜんぜん食べないうちに暇になってしまった。
みんなよく食べるなぁと思う。

久々にあった塾長たちと今年のイベントの話になる。
今年はPEN Osakaを立ち上げて5周年になる。
視察旅行なんかを企画してもいいかもねという話が出た。
視察旅行の話から、子供手当ての話になり、
これは成功するのか失敗するのかとか、
そこから台湾や韓国、中国の教育事情の話になる。

最近業界誌でも、台湾や中国に塾を出して
うまくいっているとか、いっていないとかいう話題がある。
中国や韓国の教育熱はとても高い。
親の子供に対する投資額は日本のそれに比べるとずっと高い。
だから塾の生徒一人当たりの授業料単価も2~3倍ある。

生徒に一度NHKのドキュメンタリーをDVDに焼いて貸したことがある。
農村と都市部との経済格差の話だった。

両親は上海などの臨海部の都市に出てきて
出稼ぎをしている。収入のほとんどを田舎に送る。
そこには夫の両親と自分たちの幼い子供が暮らしている。
ある村は親のほとんどが出稼ぎに出てしまっているため、
農村には子供たちと老人しかいない。

子供たちは学校で一生懸命に勉強する。
貧困から抜き出すためには、
勉強をがんばってよい成績を取って、
科学者などになり、親孝行するのだと信じて、
本気で勉強している。
そのドキュメンタリーを見たとき、同じころに
渋谷で店の前で座り込んでたまっている
日本の若者たちの映像が目に入る。
「日本は大丈夫か?」と思ったのと同時に
確実に中国に抜かれるだろうと感じた瞬間だった。

そんなのを肌で感じにいくのも面白かもしれない。
上海万博で今の中国バブルがはじけるという予測がある。
そのあとの安くなるだろう時が狙い目かもしれない。

今年はPENの活動も積極的にしていきたい。
SBSH0271

2007年に仲のいい塾長が業界を去って、
南アフリカへ青年海外協力隊に行った。
そのときはとても驚いたが、
尊敬していたし、尊重して無事の帰国を願っていた。
年末に帰国の連絡があり、
食事の機会があり、この2年間の様子を聞いた。

「自殺者が年間3万人という日本の社会はおかしい。」
という言葉が印象に残っている。
彼はやりたいことがあって、
今度はケニアに飛び立った。
エイズ患者の自立支援をするのだそうだ。
その彼のブログがこちら

彼のしていることを支援したいと思う。
ウチの塾でも協力できるイベントがある。
彼がしようとしていることは、
僕がこれからしようとしていることに近い。
さっそくメールを送り返した。

遠くにいて、途上国での生活は
想像を絶する厳しさだろうと思う。
そして、たくさんの年収を得ていた
自分の塾を人に譲り、
より厳しい環境に自分の身をおき、
他人の幸福のために頑張っている。
素直にすごいと思う。

彼は南アにいたときから
マラソンを始めたらしい。
僕も引っ越してから走り始めている。
知り合いの塾長も
マラソンに参加するために
ジムに通い始めたらしい。

それぞれおかれた環境は違うけど、
志を高く持ってお互い頑張りたいね。
この次会うときもお互いの
成長の様子を報告できるよう、
無事に過ごして欲しい。

フィンランドにサンタクロースのオフィスがあり、
そこにはサンタクロースがいるんだと
生徒たちに話をしたことがあった。

そこのサンタは年中クリスマスカードを書いている。
そんな話をしたら、いろいろと調べた生徒が、
そこからクリスマスカードを送ってくれた。

christmas1

christmas2

メッセージもナイスで、もらってかなりうれしかった。

10月30日に引越しをした。
小学校の1年生のときから
高校3年生のときまでずっと住んでいた、
上野芝で一戸建てを買った。

以前住んでいたところとは
駅をはさんで反対側だけど、静かなところで、
一人で住むにはあまりにも広いところだけど、
6年ぶりの一人暮らしを今はとても楽しんでいる。

家の近所に大仙公園という大きな公園がある。
仁徳天皇陵(大山古墳)の向かいにあり、
中学・高校時代はよく遊びに来ていた。
ジョギングをしたり、友達と語り合う場所だったりした。

この前、買い物の帰りに久しぶりに歩いてみた。
以前、この公園を横切っている道路があったのだけど、
それがなくなって、公園が広くなっていた。
けど、そこにある木々や遊具や池、
ベンチなんかは以前のままちゃんといてくれている。
変わらない風景を見てなんだか安心したりする。

この公園はダウンタウンがロケに使ったこともあって、
それをネタに中学2年生のときに、
大好きだった2つ年上のポニーテールが良く似合う、
先輩をデートに誘い出したことがある。
そんなことを歩きながら思い出していた。

僕は小さい頃から人付き合いがあまり上手じゃなくて、
そのことで随分と苦労したと思う。
中1のときにその先輩と出会い、
いろんなやり取りの中で、
相談をしあったり、喧嘩をしたり、
様々なことを教えてもらったりした。
そして、少し自信を持つようになっていた。

「そのときに言っていたら、
 今、何かが変わっていたかもしれない。
 伝えたいことは伝えなあかんよ。」

印象的に残っている彼女の言葉は、
今でも時々、そのときの状況といっしょに思い出す。

不器用で、思慮が浅く、
他人の立場に立って物事を考えるのが苦手な僕は、
違う考え方をする人のことを思いやることが苦手だと思う。
それでも、多くの人よりもコミュニケーション能力が
必要とされる仕事をしていて、それなりになっているのは、
自分の経験値が他人よりも多いという点で、
役に立てているからだろうと思う。

いろんなことを、前向きに一生懸命にできることが
自分に与えられた賜物だと思う。
決して能力が高いわけじゃない。
勉強だって得意じゃないし、
ずば抜けて速く走れるわけでもない。
上手に絵が描けるわけじゃないし、
見栄えがする外見でもない。

そんな人がほとんどで、
でも、そういう人たちがいるからこそ、
一部の人が輝けるんだと思う。
僕は、ずっと陽のあたる場所を目指して、
思い通りにいかないことを苦に思っていた。
周囲にはそうした陽のあたる場所に、
自ら望まなくても選ばれる人が多かった。

羨ましいという気持ちが先を行き、
自分のできることに目を向ける余裕がなかった。
ある時期から、本との出会いがきっかけになり、
「他人からの評価に自由になる」
ということを意識しだした。
いろんなことが少し楽になり始めた。
馬鹿げたことだけどそれくらい、
人との関わりの中でしか
自分の評価ができなかった。

それにしても、自分のやっかいな性格は
なかなか直らないものだなぁって思う。

たくさん失敗をした。
その失敗を地面に叩きつけて、
踏みにじって見ないことにする時期もあった。
そういう時期から、少しでも何かを拾おうと
努力する時期を迎える。
そして、少し謙虚になる。
けど、調子に乗ると同じ失敗をくり返す。
くり返すと落ち込む。
けど、前向きに一生懸命に頑張るしかない。
そんな中でいろんな出会いや別れがある。

失敗と別れは僕の中で切り離して考えることが難しい。

別れというのは突然くるもので、
「もうこいつとは一生会わないだろうな。」
なんて思うことは少ない。
今はちょっと失敗と向き合うことに
疲れてきている気がする。
それでも、一生懸命に、誠実にすることしか
僕にはできないのだと思う。
自惚れることなんて許されていない。

先日、ある生徒が別の生徒に手紙を書いて
僕に渡すように託していった。
「逢いたいよ~。」ととても素直に書かれていた。

「そのときに言っていたら、
 今、何かが変わっていたかもしれない。
 伝えたいことは伝えなあかんよ。」

という言葉を思い出したりした。
言っていいことと、悪いことの区別は難しい。
誰かとの間に起きた問題は、
その人との間でしか解決できない。
寂しいからといって、
残念に思う気持ちを誰かの胸の中で
なかったことにすることなんてできない。
でも、死んでしまった人に対しては、
どう向き合えばいいのだろうか?

生徒のとても素直な手紙を見て思う。
僕は大切なものを大切にする方法をなかなか知らない。

 

 

さて、今日は弟の命日だ。
中学校の試験対策期間中なのに、
スタッフが気を利かせて、
早くあがれるように時間割を組んでくれた。
それなのに、僕は時間が空いているからと、
補習を入れてしまった。。。
でも、そうした気配りをしてもらえるスタッフがいることを
とても幸せに思っている。
ありがとう。

みんな今日という日が穏やかに過ごせる日でありますように。

今日は朝から登美丘の文化祭に行ってきた。
高3の英文法の授業で教えている生徒が、
今年が最後で、去年文化祭を見に行ったときは、
見ることができなかったので、
今年はどうしても見に行きたかった。

塾生を4人ほど連れて行った。
「どこにおる?」とか言いながら
探してたのだけど、
頭に何か巻いていたからすぐにわかった。
時間の関係でダンス部を見たら
すぐに帰らないといけなかったが、
見に来たことがわかったらしく、
ダンスが終わると寄ってきてくれた。
そして、お母さんにまで声をかけていただいた。

渉外担当の先生には、
「来たときに受付で声をかけてくれたら、
 ご案内差し上げますから。」
と行って頂いていたのだが、
短い滞在にわざわざつき合わせるのも何だからと思い、
声をかけなかったのだけど、ダンスを見終わった頃には、
近くにいて会いにきてくれていた。びっくりした。

その他にも保護者の方や卒業生と話ができた。
貴重な時間だったと思う。

一言、「若いって眩しい。」(おっさんになったなぁ・・・)

急いで塾に戻ってから、昼からは梅田の大阪第一ビル3Fで
行われるセミナーに行ってきた。
本当ならセミナーは、もう限られたものだけにしたかったのだが、
今回は松原の大学受験塾の塾長の紹介で、
どうしても断れなかった。
「サカイさんは若手経営者なので是非紹介したい。」と言われちゃあ・・・
普段から年齢より年取って見られるから、思わず行ってしまった。

セミナーをウトウトしながら聞いてて思った。
このセミナーはすごい。
是非ウチやその身内の塾以外の全ての塾が、
そのスキームをマネして欲しい。
そんなセミナーだった。
知った顔ぶれも多く、
こういった会に参加するメンバーも、
決まりきっていて発展性がないなぁと思ってしまった。
やれやれというテンションで帰ってきたのだった。。。

登美丘文化祭

 

 

 

 

今日の日付を覚えていてくれて、
ここに来てくれた人、ありがとう。

7月3日はトム・クルーズの誕生日で、
映画字幕でお馴染みの戸田奈津子さんや
ナイナイの岡村氏も同じ誕生日。

そして、なんでそんなこと知っているかと言うと、
その7月3日は弟の誕生日だから。

最近、家を探している。
昨日はグランアベニューを見てきた。
4LDKのすごい大きいマンションだった。
ウチのマンションにも空き部屋があり、
そこは3LDKだけど、半額ぐらいだ。
グランアベニューなら、一戸建てを買うことも
比較検討に入れてもイイかもしれない。

いろんなひとがアドバイスしてくれて、
それを聞くのも楽しい。
みんないろんなこだわりがあるみたい。

家を買うのなんて、一生のうちに何度もあることじゃない。
先のことなんて何にも決まってないけど、
結婚して子どもができたら、
ここなら、三国丘中学校の校区だなとか、
ここのマンションはいいいけど、校区が・・・とか、
校区はいいけど、学校まで歩くとかなりの距離になるとか、
そんなことも考える。

ちなみに、ウチは今は4LDKのマンションに
両親と住んでいるけど、その前は2DKの社宅に
一人暮らししていた。
その前のときは大学生で、1DKのマンションに、
年上の彼女と同棲していた。

小学1年生のときから高校3年生の9月まで、
僕ら家族は上野芝の60坪の一戸建てに住んでいた。
小学生に上がる前には30坪ほどの家に住んでいたけど、
母の話によると、幼稚園の年長のときに
「僕、小学生になったら勉強する机ない。」
と言ったので、気の毒に思って家を探し出したのだとか。
最近、そのことを母から聞いた。

そういえば、父が
「お前らはみかん箱ひっくり返してそこで勉強しといたらええねん。」
って言ってたのを思い出した。
当時、まだ5歳でとても素直だった僕は、
みかん箱をひっくり返して作られる自分専用の勉強机を
楽しみにしていたんだそうだ。笑える。

僕が高校3年生になるまで家族で過ごした上野芝は
やっぱり思い入れが深いと思う。

弟のことについての一番古い記憶は、
一番最初に住んでいた、
百舌鳥梅町の自宅でのことだ。
まだ、立つことができなくて、
這っている弟の上に乗っかり、
「トマレ!」「ススメ!」とか言ってて母に怒られた。
弟は泣くでもなく、ポカンとした顔をしていた。
それが一番古い記憶だ。

一番新しい記憶は、
「お前が入ってんかよっ!(トイレ)」
「この辺にソフトバンクの店ある?」
と話しかけたことだ。
なんて生活感あふれる会話だろうか。

今は弟が使わなくなった部屋を
僕がちょっとずつ使うようになってきた。

弟が読んでいた本を順番に読んでいっている。
毎日、晩御飯を食べてから、
風呂に入って、寝るまでの間に読むのが日課だ。
今、「あずみ」というマンガを読んでいる。
18巻まで読んで、なかなか面白いなぁと思っていて、
まだ時間があるから、本棚から19巻を取り出そうとした。
20巻~27巻までは見つけられたけど、
19巻だけ何故かない。。。
深夜に部屋で一人「おいっっ!!」って
ツッコんでしまった。

こんな感じで、毎日何かしら思い出す。
いたらいたで鬱陶しいし、いなけりゃいないで寂しい。
何でも同じようにやってきたし、
お互いうらやましい部分もあったと思う。
僕の影響を強く受けていて、音楽の趣味はとても似ている。
CDやDVDは僕が持っているものと結構かぶっている。
どこにでもいるような兄弟だったんだろうか。
それだけに、突然いなくなったことに対しては、
「勝手なことをしやがって。」と腹が立つ。
「オレの弟のクセに。」と情けなく思う。

そうやって、本当に毎日、何かしら思い出す。
そして思う。勝手なことをしやがったけど、
そうじゃなければ、僕は弟に素直に向き合えただろうか?
というか、素直に向き合ってるんだろうか?
理屈っぽく考えてみたりするけど、
それでも確実に言えることがあるとしたら、
僕は自分よりも大切に思える他人が
以前よりずっと増えた。

年齢を重ねたせいもあるかもしれない。
でも、カッコつけずに、本当に素直に
「好きだよ。」といえる人が増えた。
そして、何の下心もなく、
「あなたが大切ですよ。」
「いつもありがとうね。」
と言う意味で「好きだよ。」を
伝えたいと思えるような人間関係を
築けるようになってきたんじゃないか?と思う。

昨日も中3の生徒と遅くまで話しこんだ。
今回は生徒のほうが嬉しいことを言ってくれた。
生徒も成長しているようで、
そうした成長に携われるってすばらしい仕事だと思う。

なぁ、お互い口下手だったよな。
いろいろと辛かったんだよな。
楽になったのかな?もう大丈夫か?
何もしてやれなかったけど、
オマエがいてくれてよかったと思ってる。
オレは毎日、とても幸せ。
今度自慢してやるから元気でな。

みんな、今日一日が穏やかで
楽しくて幸せな日になりますように。

狭山遊園地