フシギバナ研究会 -2ページ目

フシギバナ研究会

未解決事件・怪奇事件を中心に紹介します。
日本では未解決事件は時効成立後は捜査はしません。
しかしそのまま忘れていい事件ではないと思っています。
フシギバナ研究会では、読んでいただいた皆様と
事件について話し合っていければと思っています。

こんばんわ、フシキバナ研究会です。

 

今回は渋谷区のちょっと気になる場所について書いていきます。

よかったら最後まで読んでいただければ嬉しいです。

 

渋谷区といえば、表参道に原宿、渋谷と常にどの年代からも流行の先端の町ですよね。
渋谷区も話したいことの多い町なので、今回は一か所だけに

絞って書いていきます。

【表参道】についてです。
私も知ったときに驚いた話しで表参道に戦争の跡が

クッキリ残っているってご存じですか?
高級ブランドの旗艦店が集まり、ファッションの最先端の街

というイメージが強いですが、その入り口である

表参道交差点には、印象的な2つの石灯籠が鎮座しています。


表参道に行くと、

信号待ちの際に目に入ったり、

待ち合わせで腰を掛けてたりするのも見たことがあると

思います。


これは1920年の明治神宮創建時に建立されたものです。
この灯籠は、太平洋戦争中に表参道が山の手空襲で

壊滅的な被害を受けた生き残りです。


山の手空襲は東京大空襲で焼け残った地域を

標的とされ1945年5月24~25日の2日連続の大規模空襲で、

当時の麹町区、渋谷区、赤坂区などで約3000人の死者が

出ました。
東京大空襲の後ということもあり、

この場所は当時埋葬など手が回らずに、

死体をこの場所に集め死体の山ができていたそうです。

 

灯籠を見ると、土台が一部ひび割れていて、黒ずんでいます。

ひび割れは空襲のダメージを表し、

黒い部分は焼夷弾で燃えた人々の脂が染みこんだものです。


今も碑のそばにある、

安田銀行(現みずほ銀行)の建物が丈夫なために、

人々はその陰で火を逃れようとしたが、

及ばずにみな亡くなってしまったようです。
翌朝は表参道中に黒焦げの遺体が横たわり、

安田銀行前には2階まで届くほどの亡骸がたかく積まれました。ちなみに表参道のけやき並木の中でも「太いもの」は、

当時から焼け残っているものだといいます。

 

 

最後まで読んでいだだきまして、有難うございます。

よかったらこちらも宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 


 

こんにちわ

フシキバナ研究会です。

 

今回は東京都千代田区についてです。

 

本当に簡単な内容ですが最後まで読んでくれたら

うれしいです。

 

千代田区といえば皇居に東京タワーと日本を代表する名所

の宝庫ですが、その千代田区の怖い土地を紹介します。

 

※以下常体で失礼します。

 

【東京都千代田区 九段南4丁目と5丁目の境】にある

 

         「帯坂」 


江戸時代、現在の市ヶ谷周辺は番町と呼ばれ、

現在も一番町などの名前は残っている。


番町と聞くと、女の幽霊が「一枚、2枚・・・」と

皿を数える番町皿屋敷が有名。

ここがその怪談の舞台である。


そしてそのお菊が働いてた青山主膳(しゅぜん)の屋敷は

この近くにあった。

そのお菊が血まみれで逃げた坂が市ヶ谷駅近くにある。


番町皿屋敷は創作だと言われているが、その地名、名前が残る

訳はなぞにつつまれている。

※江戸時代、この界隈に青山主膳の屋敷があった。

そこでお菊という女が働いていたが、ある日主膳の大切に

している皿を10枚のうち1枚わってしまった。

それに腹を立てた主膳が菊の中指を切り落として監禁したが、

菊は髪を振り乱し血だらけの帯をひきずりながら逃げ出して
井戸に身を投げて命を絶った。

その時に帯をひきづり逃げたのが、この坂であり

名前がつけられた。

もし本当にあった出来事がもとになっているのであれば、

どんな気持ちでこの坂を駆け上がったのか、

想像するだけで痛ましい。

 

 

最後まで読んでいただきまして、有難うございます。

よかったらこちらもお願いします。

 

 

 

こんにちわ

フシキバナ研究会です。

 

今回は東京都港区についてです。

 

本当に簡単な内容ですが

最後まで読んでくれたらうれしいです。

 

港区といえば六本木に東京タワーと観光にも来る方の多いエリア

です。

そのなかでも【乃木坂】についてです。


乃木坂といえば、アイドルグループのイメージが強くなり

明るい印象を持たれる方も多いと思います。

場所としては赤坂8丁目と9丁目にある坂のことですね。


しかし、この乃木坂、元の名前をご存じでしょうか?

 

 

その旧地名は【幽霊坂】なんですね。

この名前ではアイドルは生まれなかったでしょう。

 

 

幽霊坂という名前の坂は他にも十数か所ありますが、

ほとんどがお寺や神社の近くにあること、

昼間でも暗く幽霊がでる雰囲気があったためつけられたこと

が多いです。
なので昔住んでいた人々がこの場所を怖がったのは確かですが、何か事件があったとかではないのでご安心ください。

 

最後まで読んでいただきまして有難うございます。

よかったらこちらもお願いします。

 

 

 

こんにちわ、フシキバナ研究会です。

 

今回は東京都墨田区についての怖い歴史です。

今週、墨田区に用事があるのでせっかくならと、

墨田区を調べてみたので書いてみます。

よかったら最後まで読んでください。

今後、土地関連のこともYouTube(ラジオ)にもあげようと

思っているのでよかったら聞いてみてください。

 

~~~~~
墨田区といえば、スカイツリー、両国国技館といった、

近代と古代がひとつになった町ですよね。


その墨田区についての少し怖い話をお伝えできればなと思っています。


1つ目は両国橋について、
『両国橋』
両国橋は江戸時代の1659年に隅田川に架けられました。
名前の由来は西側が武蔵国(むさしのくに)東側が下総国(しもふさのくに)で、2つの国に架けられたから『両国』という説が

一つあります。


もうひとつは、江戸の大半を焼き尽くした明暦の大火です。

隅田川には小さな橋しかなく、多くの人が川の向こうに

逃げられずに亡くなってしまいました。


川を境にして生死が分けられたため、

あの世とこの世を分けたのが隅田川でありそこにかかった橋

だから両国橋と呼ばれるようになった説があります。


明暦の大火は戦禍・震災を除くと日本最大の大火であり

死者は3万~10万といわれています。
どちらの説にしてもこの周辺で大勢の死者が出たことに

変わりはありません。


現在の両国橋は昭和7年に架けられた近代的なデザインでは

ありますが、江戸時代では隅田川に身投げする人や子供を

捨てる人が多かったそうです。

そんなことからも隅田川に死のイメージをもつ人が多いのかも

しれません。



2つ目は、墨田区に昔からお住いの方はご存じの方も多いと

思います。
墨田区住民の誇りともいえる怪談話です。


【本所七不思議】
いわゆる江戸時代の都市伝説・本所七不思議
学校の七不思議などのもととも思える話です。

①    おいてけ…と不気味な声が追いかけてくる「置行堀(おいてけぼり)」
江戸時代、本所界隈は水路の多い場所で、町人たちは魚釣りを楽しんでいました。

そんなある夕暮れ時、釣り人が釣り上げたたくさんの

魚を持って帰ろうとしたところ。。。
「おいてけ……おいてけ……」と、どこからともなく不気味な声が追いかけてきました。辺りを見回すも誰の姿もありません。
ゾッとして一目散に家へ逃げ帰ったところ、魚籠に入っていた

たくさんの魚が一匹も残っていなかった。

→いわゆる「置いてけぼりにされてしまった!」というときの

置いてけぼりの語源は、この話が由来だそうです。

 

②    夜中にどこからともなくお囃子の音「狸囃子」
稲穂がなびく頃のことです。

どこからともなく聞こえて来る笛や太鼓のお囃子の音に

心惹かれ、つい家を出て探してみたものの、

音は逃げるように遠ざかってしまいました。
いくら追いかけてもつかまらず、歩き疲れ家に帰って

寝てしまいますが、明け方に目覚めると家だと思ったのは

野原でした。たぬきに化かされたというお話です。
※幼少期を本所で過ごした芥川龍之介は、

自身について触れた作品の中で「狸囃子」を聞いたと

書いています。

③    燈なし蕎麦(消えずの行灯)
夜になると、二八蕎麦屋の屋台が並ぶ本所南割下水付近。

その中の1軒だけ、いつも店の主人がいません。

屋台の行灯の火も消えています。
もし、その行灯に火を点けると不幸に見舞われます。

逆に、店主がおらず、油を注いでいないのに一晩中消えない

行灯を掲げている蕎麦屋があり、その店に寄ると不幸になるという話もありました。

 

④    巨大な足が天井を突き破る「足洗邸」
本所のある旗本の上屋敷。

夜になると、「足を洗え」という不気味な声と共に、天井をバリバリとつきやぶり、すね毛に覆われた巨大な「足」が降りてきます。
家の人間が足を洗うとまた天井裏に戻っていきます。

洗わないでいると、家中の天井を踏み抜いて暴れるので、

その旗本は同僚と邸を交換したところ二度と現れないよう

になったそうです。

「足洗邸」があったとされる場所
墨田区亀沢4丁目12付近、三つ目通りと北斎通りの北東。
    ※この怪異の面白いところは、複数の目撃例がある点です。



⑤    いつまでも追いつけない「送り提灯」
提灯を持たずに暗い夜道を歩いていると、自分を導くかのように提灯の揺れる灯が目の前に。
灯を追いかけていくとふっと消えてしまいます。

そしてまた灯が現れるので追いかけると消えてしまいます。

この繰り返しでいつまでも追いつけません。



⑥    なぜか葉が一枚も落ちない「落ち葉なき椎」
本所の平戸新田藩松浦家の上屋敷にある、見事な椎の木は1枚も葉を落としたことがなく気味悪く思った松浦家は引っ越ししてしまったそうです。



⑦    殺された娘の無念か「片葉の葦」
本所に住む若く美しい娘に横恋慕した留蔵という男が、駒留橋付近で娘をさらい片手片足を切り落とし掘りに投げ込み殺しま

した。

以来、この掘りの周囲に生い茂る葦は片方の葉しか付けなくなってしまったそうです。

 

 

 

最後まで読んでいただきまして、有難うございます。

 

※こちらも聞いてくれるとうれしいです。


 

こんにちわ。

フシキバナ研究会です。

 

今回は東京都中央区についてお話させていただきます。


中央区といえば、銀座に日本橋といった昔の流行の中心地、

今でいう渋谷新宿のようなイメージでしょうか。

その中央区について気になる土地の話しをさせていただきます。

日本橋といえば徳川家康が初めてかけた木製の橋がかかった

場所なんですが、現在は20代目とかですね。

 

東京の守護を獅子、東京からの発展で麒麟の銅像があります。

 

 

吉原、遊郭といえば台東区にある印象だとおもいますが、

そもそもはその日本橋にあったとご存じでしょうか?
吉原が台東区千束にうつってできたのが日本橋なんです。



江戸時代、慶長18年(1613)に庄司甚左衛門が、

現在の日本橋人形町2、3丁目のあたりに遊女屋を開業

しました。

その場所は、海岸近くに葦が茂るとても寂しい場所だった

ために、「芳原」から「吉原」と名称が名付けられたといい

ます。
その後、明暦2年(1656)に幕府は吉原の移転を命じました。

候補地としては浅草寺の裏の日本堤か、本所とされており、

沼地だった日本堤を島のように遊廓の形に整え、

現在のようになりました。


もともと幕府が庄司甚左衛門に許した土地が日本橋ですが、

ここはそもそも当時の江戸では僻地でした。

ただ遊郭は大盛況で町も栄えていったそうなんです。


でも幕府は遊郭を1640年に遊郭を禁止しました。

このことで市中に風呂屋者(湯女)が多く現れるようになり、

その勢いは吉原内にも風呂屋が進出するほどだったそうです。

現在の吉原の形ですね。


しかしそんな栄えた吉原も1656年に幕府から移転を命じられてしまいました。


このころの遊郭は多くの下級遊女たちの悲惨な境遇にも

かかわらず、吉原遊廓は新しい文化の発信地でもありました。

さまざまな女性の髷や、衣装などが、吉原遊廓から新しい

ファッションとして始まったことからも分かります。

そして、それらは芝居と呼ばれた歌舞伎と相互に作用して、

音曲や舞踊、その他の雑多な芸能とともに江戸市中で

評判となりました。


ここからが闇深い話なのですが、幕府の許可を得て江戸の

僻地で開業した吉原。

しかし幕府から1656年に移転の命令がでました。
吉原の歴史の中でも、その後移転して現在の吉原に移動と

なっているのですが、ちょっと疑問に思いませんか?
 

文化の発信地としてまで影響力があった吉原が、

簡単に移転すると思いますか?
 

現在に置き換えても簡単に立ち退きなんかしないですよね。

 

そしてその翌年に起きた有名な事件はご存じでしょうか?
1657年に起きた事件、それは明暦の大火です。
江戸の大半を焼いて、約10万人の死者を出した世界三大火災

の一つです。

明暦の大火は江戸時代の3大火事で江戸の約6割を焼失し、
江戸城天守も炎上し、死者は10万人を超えたと言われています。


1657年に起きた江戸最大の火事ですが、

その出火、火元の原因として本妙寺出火説、火元引受説、

幕府放火説とたいへん謎めいています。
幕府は放火と決めつけ20名を放火犯として
処刑し終わらせたわけですから余計に怪しくも感じます。

本妙寺出火説は明暦の大火が振袖火事と言われている説です。
17歳の娘が寺小姓に恋をし、
彼が着ていたのと同じ紫縮緬の振袖を仕立ててもらうが、
彼に会えずに亡くなってしまいました。

娘は本妙寺に葬られ、振袖は古着屋に売られました。

翌年今度はその振袖を古着屋から買った娘が
同じように17歳で亡くなり本妙寺で葬られ、
再び振袖は古着屋に引き取られていきました。

また次の年に本妙寺で同じことが起き因縁に驚いた住職は

供養の為に振袖を護摩の火に投げ込んだ。

その瞬間に風が吹きつけてきて火のついた振袖が舞い上がり

本堂へと燃え広がったのが大火の原因と言われています。

火元引受説は本妙寺の隣の老中阿部忠秋邸が本当の火元で

あるが幕府に頼まれて本妙寺が火元であると引き受けたのでは

という説です。

理由はこれだけの損害を出したにもかかわらず火元の本妙寺が

なんのお咎めもなく、現地に再建を許され、
大火の10年後に触頭職に任命され寺格を上げているからです。

さらに恐ろしいのが幕府放火説です。

放火の理由は飽和状態の江戸の町を
一挙に整備したかったからと言われています。

前年に吉原を日本橋から浅草に移す計画も決まり、

いろいろと整備計画を始めている時期でした。

しかし江戸城も被害を受けていますし、
火元が3か所もあるのは不自然ではあります。

江戸最大の大火の真相は謎のままのようですが、
その後の江戸の町づくりと防火対策にはかなりの進歩が

あったことには間違いありません。

私個人としては3番目の幕府放火説が有力かなとは思ってます。
その時の江戸の人口過多はかなりひどく、毎日のように殺人も

あり、区画整理したいが古くからそこに住んでいる有力者、

特に神社やお寺は猛反発していたようなので、

話が進まない状態での火災。

しかも火が収まりそうになるとまた火災というのは

少し怪しい気もします。

幕府説ではないという意見の火元が3箇所というのは

逆に自然に燃え広がったものではないとも取れるので、

前二つの説ではない根拠にもなると思います。

また、江戸城や幕府関係者にも被害者は出ているという説も、

まったく被害がなければ怪しいので、少しは被害を出させる

のは当たり前のように感じます。


ただこの事件で元吉原は甚大な被害がでて、

生き残った方が燃えてしまった元吉原から千束に移動して

今の吉原ができたというわけです。
そして元吉原には現在三越本店や高島屋などそうそうたる

商業施設ができ、道路から建物まで区画整理も終わったのです。火災後に区画整理した地図をみるとほぼ現在の東京になるんです。
なにか不思議なお話ですよね。

重大な事件があったときはだれが一番得をするかを

考えるようにするのですが明確な気がしますね。
 

最後まで読んでいただきまして有難うございます。

 

よかったら他の話もあるので聞いてみてください。

 

 

こんにちわ

フシキバナ研究会です。

 

今日はかなり暑いですね、、、

夏という感じもしてきたので、今日はちょっと怖い話を書きます。心霊体験とかではなく、土地がらみの怪談です。

よかったら最後まで読んでください。

 

1回目は怪談が豊富にある土地、台東区についてです。

 

台東区清川、花川戸に昔から残る怪談を。


このエリアは浅草寺すぐ横のエリアで、

隅田川も近くて、大きなスポーツセンターに公園と

住みやすいエリアです。

そのエリアで有名な怪談が浅茅ヶ原の鬼婆です。

(あさぢがはらのおにばば)


昔清川は浅茅ヶ原という地名だったそうです。

橋場の総泉寺のあたりの奥州街道にそった荒れ地で、

草ぼうぼうの湿原、大小の池があったそうです。
これが浅茅ヶ原の鬼婆の伝説がある地です。


西暦580年代花川戸の周辺に浅茅ヶ原と呼ばれる原野があり

陸奥国や下総国を結ぶ唯一の小道がありましたが、

宿泊できるような場所がまったくない荒地で、

旅人たちは唯一の人家であるあばら家に宿を借りていました。

 

この家には老婆と若く美しい娘が2人で住んでいましたが、

実は老婆は旅人を泊めると見せかけ、寝床を襲って石枕で

頭を叩き割って殺害し、亡骸は近くの池に投げ捨て、

奪った金品で生計を立てるという非道な鬼婆でした。

 

娘はその行いを諌めていましたが、聞き入れられることは

ありませんでした。

 

老婆が殺した旅人が999人に達しました。

 

ある日、ひとり旅の稚児が宿を借りました。

 

老婆は躊躇することなく、寝床についた稚児の頭を石で

叩き割りました。

 

しかし寝床の中の亡骸をよく見ると、それは自分の娘でした。

 

娘は稚児に変装して身代わりとなり、自分の命をもって

老婆の行いを咎めようとしていたのでした。

 

老婆が自分の行いを悔いていたところ、

家を訪れていた稚児が現れた。実は稚児は浅草寺の観音菩薩の

化身であり、老婆に人道を説くために稚児の姿で家を訪れたのでした。

その後、観音菩薩の力で竜と化した老婆が娘の亡骸とともに池へ消えました。



鬼婆が身を投げたとされる池は姥ヶ池(うばがいけ)と

呼ばれており、現在も花川戸公園に残っています。

池の大きさは、古くは隅田川に通じるほどの水をたたえた

大きなものでしたが、明治時代に宅地造成などのために

大部分が埋め立てられており、かつての姿とはかけ離れた

ものとなっています。 

 

もし興味がある人はいってみてください。
 

 

最後まで読んでいただきまして有難うございます。

 

他の話もYouTubeで聞いてくれたらうれしいです。

 

 

 

 

こんばんわ、フシキバナ研究会です。

 

今回は世界の未解決事件です。

よかったら最後まで読んで下さい。

 

※以下常体で失礼します。

 

【ヒンターカイフェック事件】

日本ではあまり知られていないが、

切り裂きジャックの事件と並ぶ、

世界で最も有名な未解決事件の一つ。

▽事件の概要

1922年3月31日に、ヒンターカイフェック

(ミュンヘンから約70km北の農場の名前)で

事件が発生。

被害者は

・アンドレアス・グルーバー(当時63歳)農場の主

・ツェツィーリア・グルーバー(当時72歳)アンドレアスの妻

・ヴィクトリア・ガブリエル(当時35歳)グルーバー夫妻の娘

・ツェツィーリア・ガブリエル(当時7歳)ヴィクトリアの娘

・ヨーゼフ・ガブリエル(当時2歳)ヴィクトリアの息子

・マリア・バウムガルトナー(当時44歳)使用人

 

事件当日の目撃者が一人もいなかったため、

いつ頃に何が起こったかなどは正確には分かっていない。

グルーバー夫妻・ヴィクトリア・ツェツィーリア

(ヴィクトリアの娘)の4人は、納屋で殺害。

1人ずつおびき出され順番に殺害された。

この4人を殺害後、犯人は納屋から母屋へと侵入し

ヴィクトリアと子供たちの寝室でヨーゼフを、

使用人部屋でマリアを殺害。

 

 

▽事件発覚

事件発生の4日後

発見が遅れた理由としては

①    農場が他の住宅から離れていた

②    近親相姦の噂のある家族

(アンドレアと娘の子がヨーゼフではないか?)

③     非常にケチだと有名な家族

 

2、3でわかるのはあまり近所から好かれてはいなかった

ということ。

 

そんな家族も、こどもが学校にこない、日曜の教会もこない、

郵便もたまってるとなると不信におもって近隣住民数名で

農場にいったという。※カトリック勢力の強い場所

このとき、農場家屋のすべてに鍵がかかっていたため、一つのドアを壊してはいり、遺体を発見。

 

▽不審な点

①被害者アンドレアの話

アンドレアは近隣住民に事件の数日前に

こんな話をしていた。

「雪の上に怪しい足跡があった」

「その足跡は森から農場に向かっているが帰りの足跡がない」「屋根裏から音がする気がする」

「農場のカギがいくつかなくなった」

「普段見ない新聞が農場に落ちていた」

→アンドレアは近隣住民に話すものの、警察には話していない。

 

②教会への多額の献金

先程あったように近所ではケチで有名な変人家族、

事件数日前にヴィクトリア(夫妻の娘、子供の母)が

教会の懺悔室に多額の献金を置いていった。

 

④ 前任の使用人

マリア(使用人)の初勤務は事件当日。

というのも前の使用人は事件の前に

「農場が何かにとりつかれている」といってやめている。

 

 

▽捜査

事件発見の翌日から捜査が開始。わかってきたこととして

①     屋根裏に足音を消すために藁が敷かれていた。

②     屋根裏には犯人と思われる人間が寝ていた形跡があった。

③     外を見られるように瓦が何枚か外されていた。

④     凶器はつるはしの可能性が高かった。

⑤     現金は一切取られずに残っていた。

⑥     犯人は事件後数日は農場に残っていた。

┗家畜への餌やり、煙突からの煙、牛から搾乳した形跡など

 

100名超える容疑者が捜査対象とされ、

懸賞金もかけられるが事件に進展はなく、

翌年に農場を取り壊した際に

屋根裏からつるはしが発見される。

 

 

▽容疑者の説

①ヴィクトリアの夫、カール・ガブリエル説

あれ?ビクトリアの夫は?と誰もが思ったはずで、

やはりこの説は出てくる。

 

以前、近親相姦によりアンドレアスとヴィクトリアは

実刑判決を受けていた。

そんな中、ヨーゼフが産まれた。※これが近所の噂の原因

夫のカールは、1914年12月に戦地で亡くなったとされている。

つまり、ヨーゼフがカールとの子であるならば、

事件当時1922年にヨーゼフの年齢が2歳と言う事が

絶対にあり得ない。

カールは第一次世界大戦で戦死したとされているが、

遺体を見たものは誰もいない。

実は生きていた夫カールが戦地から帰国後、

妻ヴィクトリアと義父アンドレアスの近親相姦により

ヨーゼフが産まれた事を知り、激怒して犯行に及んだのでは

ないかという説。

※個人的にはないかな??

 YouTube内では理由も言っています。

 

 

②ヨーゼフの戸籍上の父親である、シュリッテンバウアー説

だれ?初登場の人物。

隣人兼、カールの死後4年後にビクトリアと交際していたシュリッテンバウアー。

結婚も視野に入れて交際していた二人だが、

ヴィクトリアから「あなたとの子だ」と妊娠を告げられた

シュリッテンバウアーは、妊娠時期が合わないと否定し

アンドレアスとの子ではないかと疑う。

また、アンドレアスからは結婚は認めないが、

ヨーゼフの認知と養育費の支払いをしろと

理不尽な内容を突き付けられる。

これに怒ったシュリッテンバウアーは警察へ行き、

アンドレアスがヴィクトリアと近親相姦を行っていると訴え、

アンドレアスは身柄を拘束される。

これが、変人と噂された始めた理由のひとつ。

 

これに対しヴィクトリアは、訴えを取り下げ欲しいと

頼み込み、シュリッテンバウアーに金銭も渡した。

 

結果、シュリッテンバウアーは訴えを取り下げ、

ヨーゼフの認知もし、養育費の支払いにも合意。

しかし、その後も近親相姦の件などで何度か裁判を起こして、

アンドレアスとシュリッテンバウアーはもめていた。

 

このようなトラブルや恨みで、犯行に及んだのではないかとの

疑いがあったが、証拠不十分だったり村長が

シュリッテンバウアーの潔白を捜査官に訴えた事で

、容疑者リストから外され逮捕までには至らなかった。

なぜこの説がでるかというと、

シュリッテンバウアーは第一発見者の中の1人で、発見時に

「俺の息子はどこだ」と叫びながら母屋へ向かったとの事。

その際に畜舎から母屋へと進み正面玄関のドアの鍵を

内側から開けたのだが、そのドアは内側からも鍵を必要

とするドアで、その鍵はアンドレアスが無くしたと

言っていた鍵だった。

 

アンドレアスが無くしたはずの鍵を、なぜかシュリッテンバウアーが持っていたのだ。

シュリッテンバウアーいわく「鍵は玄関の内側に置いてあった」との事。

 

以上が世界的にも有名な未解決事件です。

 

最後まで読んでいただきまして有難うございます。

よかったらYouTubeでも聞いてみてください。

 

 

こんにちわ

 

今回は東京都板橋区の高島平団地についてです。

 

むかし近くに住んでいたのですが、小さいころに寒気がしたこと

を思い出したので今回のテーマにしました。

 

あくまで昔の出来事ですので、

流し見でお願いします。

 

 

※以下常体で失礼します。

 

高島平団地(たかしまだいら 団地)
昭和40年代に、マンモス団地の先駆けとなった東京都板橋区に

ある高島平団地。
当時は高級マンションで利便性もよく、14階建てと当時では

かなりの高層ビルだった。
その高島平団地に住むことはステータスになるほどの人気。

 

団地内には今も1万6000人もの住民が暮らしている。

団地周辺の住人も入れると板橋区の人口の11%が

住んでいることになる。

この高島平団地、、、、

自殺の名所として有名。


正直、今は合計で何人自殺者がいるかもわかっていない。

見たことのある人はわかると思うが
3階以上は踊り場もバルコニーも柵がつけられ、

屋上は入れないようになっている。

ほかの団地とは少し見た目から雰囲気も違っている。


心霊スポットとしても有名なので、

なんで今も1万6000人も住んでいるの?と思うかもしれないが
利便性の良いエリアで、高齢者が多いので高齢者向けの

サービスも充実している。

敷金礼金更新料もなしと、人によってはいい住まいなのかも。


ではさらに詳しく・・・・・


そもそもここに大きな団地ができた理由は、

江戸時代のとき、現在の高島平エリアは水はけが悪くて

農作物ができないエリアだった。

明治になってお米の収穫もできるようにと整備されるも、

戦後は工場地帯にかわって、水質も悪化、農作物は

できなくなった。
この工場地帯で働く人、その家族向けに団地の建設が始まり1972年に完成した。

そしてその団地が自殺の名所になる事件が1977年4月13日に

起きる。
 

親子3人が飛び降り自殺。

 

その事件をマスコミが報じたところ「自殺の名所」として

有名になり、1980年には自殺者が133人に達し社会問題と

なった。

 

それ以降は報道も規制がかかったのか高島平団地での

自殺報道も減り、133人以上の死者は数えられていないが、

孤独死、焼身自殺、殺人と事件は続いている。

ではそもそものきっかけになる親子3人の自殺について

詳しく話していく。
これがかなり闇が深い。

1977年4月13日。
東京都板橋区高島平の団地の高層建物から、

合板会社勤務の、山中了(さとる)さんと、

長男の小学校四年生、敏弘君(としひろ)(九歳)、

次男の同一年生、正人君(まさと)(六歳)が、

飛び降り自殺をした。

父親は二人の子を抱きかかえるようにして死んだ。
 

なぜ子供と一緒に心中してしまったのか。
そもそもこの父親は自家用ダンプカーで運転手をしていて、

奥さん、子供2人の4人家族だった。
事件の3年前、1974年に第一次オイルショックの影響で

父親の仕事がうまくいかなくなり、母親は板橋区内で

水商売を始めることになる。

 

そして母親は働き出して数日でお店の客と駆け落ち。

 

子供もおいて消えてしまった。

父親は子供の世話ができるようにと、子供と3人で埼玉県の

工場で住み込みで働いていた。

子供は父親が働いている時は工場内で過ごしていた。
 

部屋の壁には「おとうさんの言うことをきく」

「お仕事のじゃまはしない」など、子供ながらに
一生懸命に父親をサポートしていた。


そんな苦労が報われてか、母親が家族のもとに帰ってくる。


父親も子どもも喜んで、会社の人にも報告にいって、

「これから家族4人でやり直す」と話していた。


しかし母親は数日でまた蒸発。

ここで父親の精神に限界がきてしまった。

生活はすさんでいき、周囲にも「疲れた」言っていた。


そして1977年4月13日の事件が起きてしまう。
 

父親の遺書には「迷惑をかけてすいません」と

団地の人に向けて書かれていた。
 

そして長男の紙には

「ぼくたちは天国からお母さんをうらむよ。

お母さんはじ国に行け」
と書かれていた。

おそらくじ国は地獄のことであろう。


父親のポケットには10円硬貨が1枚入っていただけであり、

この高島平団地に来るまでになにがあったのか、

どれだけ苦しかったか。

ただこの話はここで終わりではなく、

この事件の報道後に母親は父子が住んでいた工場に
もどってきたことがわかっている。

しかし荷物を引き取るときに、子供のものはすべて捨てる

ように伝え、旦那の家族へ遺骨について話すこともなく、

残された愛犬とはしゃいでいたという。

これが高島平団地が自殺の名所になるきっかけの事件である。



嫌な気持ちの残る話でしたが、最後まで読んでいただいて

ありがとうございました。

 

今回の高島平とは関係ないですが、

よかったら以下 後味の悪くなる話も聞いてみてください。

 

 

 

こんにちわ

今回はエドワード・ゴーリーについてです。

先日【エドワード・ゴーリー展】にいってきたので

興味のあった事件をかいてみます。

 

 

以下常体で失礼します。

 

◆エドワード・ゴーリーについて(簡単に)

絵本という体裁でありながら、残酷で不条理に満ちた世界観、

モノクロで高い芸術性のあるイラストが印象的なアメリカの

絵本作家。

アナグラムをつかったペンネームを幾つも使い分けて出版して

いたことで、熱狂的なコレクターも多くいる。

エドワード・ゴーリーは2000年に心臓発作で亡くなる。

死後、自宅は「エドワード・ゴーリー・ハウス」として

一般公開さているそう。

 

エドワード・ゴーリーの作品の中には、

いろいろな死に方の子供が描かれた

【ギャシュリークラムのちびっ子たち】 

 

裕福な家庭の少女が不幸になっていく

【不幸な子供】

など多数。

 

その中でも一番の問題作。【おぞましい二人】

 

出版社からなんでも載せるよと言われたエドワードゴーリーは

出版社に持って行った。

その際には、担当から「冗談だろ」といわれた作品。

発売当初は各書店から「これはおけない」と非難が続出し

返品の山ができた。

購入した読者からも多くの反感をかっていた。

しかしエドワード・ゴーリーはこの作品をどうしても

この作品を書きたかった。

というのもこの絵本は実際の事件がもとになっており、

エドワード・ゴーリー自身がこの事件を「史上もっとも

不愉快な事件のひとつ」と語っており、この事件でひどく

不安になり、ひどく動揺したという。

 

◆【おぞましい二人】の内容※簡単に

ハロルド・スネドリーは、5歳にして小動物を叩き殺した。

成人後は頻繁に本屋で春本を万引きしていた。

 

モナ・グリッチは酒浸りの両親のもとに産まれ、

成人後は装身具売りの職につき、売り物にすぐ痛むよう

細工をしていた。

 

似た者同士のこの2人の男女は自己啓発協会の後援会で出逢い、一目で似た者同士だと気づく。

 

犯罪映画を見るなど交際をするようになり、

やがて共に暮らし始めた。

 

しかし愛し合おうとしても成果は出なかった。

 

やがて2人は一生をかけた仕事として殺人を計画し、

数か月の準備を終え、1人の子供を家に誘って一晩かけて

殺害し、埋めた。

 

翌朝の朝食はコーンフレーク、糖蜜、カブのサンドイッチ、

合成着色のグレープソーダだった。

 

殺した子供の写真をアルバムにおさめた。

 

その後も2年をかけて3人の子供を殺害した。

 

後にハロルドが殺した子供の写真をバスに落としたことで

罪が明らかになり、2人は裁判にかけられた。

 

罪状は有罪だが精神疾患と診断された。

2人は精神病院に入れられる車を最後に

一生会うことはなかった。

 

ハロルドは43歳で肺炎により死亡。

 

モナは生涯の大半を壁の染みを舐めながら過ごし、

82歳もしくは84歳で死亡した。

 

 

◆実際の事件

ムーアズ殺人事件

1963年7月から1965年10月にかけて、

イギリスのサドルワース・ムーア

(現在のグレーター・マンチェスター)で起きた連続殺人事件。

犯人はイアン・ブレイディとマイラ・ヒンドリーであり

被害者の遺体をサドルワース・ムーアと呼ばれる

荒野に埋めていたことから、この一連の殺人事件は

「ムーアズ殺人事件」と呼ばれる。

 

ブレイディは平均以上に知性があり、

平均以上の生徒のためのアカデミーに入る。

しかし彼が唯一強く引き付けられたのは第二次世界大戦だった。

彼はナチスドイツで起こった人間の残虐行為に夢中になった。

アドルフ・ヒトラーの我が闘争をドイツ語で読みこなしていた。

 

ヒンドリーは虐待的な両親のいる貧しい家で育った。

父親は元軍のアルコール依存症でモットーとして

目には目を信じ、幼い頃にヒンドリーに戦う方法を教えた。

16歳のときカトリック教会への正式な受け入れの指示を

受け始めた。

 

ブレイディは教師、ヒンドリーは学生。

ふたりは1日もかからずにソウルメイトと気づいた。

 

ふたりは一緒にヒトラーの我が闘争、ニーチェなどを読み、成人映画、ポルノ雑誌を見るのに時間を費やした。

 

ブレイディが彼女に神はいないと言ったとき、

ハインドリーは教会の礼拝に出席するのをやめ、

彼女は家族、友人とも距離を置いた。

ブレイディのヒンドリーに対する支配力が増すにつれて、

彼の怒りの要求も増し、彼女は疑いなく満足するために

あらゆる努力をしていった。

そして事件が起きる。

 

1963年7月12日

16歳のポーリン・リード(ヒンドリーの妹の友人)

手袋を探すのを手伝ってほしいと頼み、

その後湿原に連れていき、彼女を暴行し、のどを切り殺害。

そして土に埋めた。ブレイディによれば、ハインドリーは

性的暴行に加わった。

 

その後も少年少女への殺害を行っていた。

 

妹の旦那の通報で捜査される。

そして殺害された被害者の写真がみつかった。

 

ブレイディは19年を刑務所で、その後は精神病院にうつった。

ヒンドリーは2002年に心臓病で刑務所内で亡くなる。

彼女の遺体は20以上の葬儀屋が火葬を拒否した。

 

最後まで読んでいただいて有難うございました。

こちらもよかったら聞いてみてください。

 

 

こちらはブログに書かないので

よかったら聞いてください。

 

 

 

こんにちわ

 

未解決事件を趣味で調べているものです。

今回は簡単な内容ですが、皆さんも自宅玄関に同じような

マーキングがないか確認してみてください。

 

というのも私自身、数年前まで外回りの営業をしており、

その際によくマーキングを見たことがありました。

 

主に見たものとしては

表札、ポストに記号のような傷です。

擦ってできたような傷ですが、どこか時計のようにも見える

傷でした。

5月、6月は犯罪も増えてくると聞いたことがあります。

念のために自宅の玄関周辺を確認してみてください。

 

これから書くのは、そんなマーキングの話です。

 

※以下常体で失礼します。

 

~~~~~~~

2019年 富山県富山市水橋地区の

「住宅街、駐車場、電柱といたるところに5色のシールが

張られていた。

近隣住民は「気持ち悪い」「誰がしたかわからない」と

はなしていた。

調べてみると富山市水橋ののどかな住宅街でおよそ40件の

家にシールが貼られていた。

事件は起きていなかったため警察ではなく、

富山市議の押田さんが住宅に張られていたシールの目的調査を

開始した。

住宅街に貼られていたシールは白・黄・緑・青・赤の5色。

結果生活環境と年齢を表しているのではないかとわかった。

それぞれの色の意味は、

①白→空き家 

②黄→日中人がいない

③緑→たくさんの人が住む(大家族、二世帯)

④青→高齢者が住む

⑤赤→若い人の家

 

結果犯人は見つからず未解決となっている。

 

~~~~~~~

 

最後まで読んでいただきまして有難うございます。

雑談ベースでYouTubeもやっているので、気が向いたら

聞いてみて下さい。