熊取町7人連続怪死事件
1992年(平成4年)6月から7月にかけて、
大阪府熊取町で、17歳から22歳の若者が一週間ごとに、
決まって水曜日か木曜日に連続して自殺するという事件です。
この事件は警察から自殺と正式に発表されているので、
未解決事件ではないのですが、不可解な点が多く、
ネット上では未解決事件として位置づけられています。
※以下常体にて失礼いたします。
◆事件の概要
平成4年(1992年)4月29日、
大阪府泉南郡熊取町の板金工A君(当時17歳)が
シンナー吸引後池に転落して死亡した。
この事故死を発端に、わずか40,000人ほどの町で
しかも半径600m以内で七人の若者が連続して死亡した。
04月29日(木) 板金工A君(17歳)
シンナー吸引後貯め池転落し死亡
┗Aさんは不良グループに属していて当日も仲間とため池で遊んでいた。
05月29日(金) 無職B君(17歳)
シンナー吸引による心不全で死亡
┗Aさんと同じ不良グループ。中学の同級生。
この二人は事故死と警察は発表。
これ以降1週間ごとに若者が自殺していく。
06月04日(木) 無職C君(17歳)
自宅そばのタマネギ小屋で首吊り自殺
┗Aの先輩にあたり、Bとはバイク仲間でもあった。
カゼという暴走族の初期メンバーでもあった。
シンナーも服用していた。
当日は午前0時に帰宅し、午前2時に外出し
その3時間後に遺体で発見。
遺書はないが、ポケットにメモがあり
【借金を返してほしい】と書かれていた。
他情報では周囲に【白い車】に追いかけられている
と言っていた。
06月10日(水) 土木作業員D君(18歳)
かつて住んでいた家の納屋で首吊り自殺
┗C所属の暴走族のリーダー。シンナーも服用。
Cさんの死亡に「なぜ死んだんだ」と驚いていた。
周囲にはCの分もみんなで生きようと前向きな発言を
していた。
Cさんは自宅の会社が倒産していたが、
自分が稼いで母親を楽にするとポジティブな思考の人物。
彼女は妊娠しており、結婚間近。
周囲にも子供が生まれることを嬉しそうに話していた。
このDさんも【白い車】に追いかけられていると話していた。
※母:首吊り死体を見た際に「肩をいからせて拳を握りしめ
、前方を睨みつけた不自然な状態でロープにかけられ
て吊るされていた」と話す
警察にこれでも自殺ですかと聞くと
「最近こういった死に方多いんだよ」と言われた。
母親の証言によると遺体が発見される前日の夜からDは
「友達と会う」と言って家を出ており、9日の夜に母親と
夕食をとった際には「外でも食べるかもしれないから」
と、早々に食事を切り上げていたという。
06月17日(水) 旅館従業員E君(18歳)
農作業小屋で首吊り自殺
┗CとDと同じ暴走族に所属。自殺当時は三重県の旅館で勤務。
勤務態度もまじめだった。
Dさんが亡くなり、職場には「友人の葬式がある」と
休暇取得。6月12日に熊取町に戻る。
13日に職場に連絡し「明日帰ります」
と伝えているが三重には戻らず、死体となって発見される。
死体は後ろ手に縛られていた。
衣服に乱れはなく、近隣住民も争う声を聞かなかった。
戻った際に元恋人に会っており、その元恋人が結婚する
ことをしり、落ち込んでいたという証言もある。
※D母:自殺を疑い、E君に電話で「Dが白い車に追われていたと言っていたが本当?」と聞くとEは「おれとDは白い車は見たことあるよ」と答えている。
06月25日(木) 熊取町在住の岸和田市職員F君(22歳)
町内の森で首吊り自殺
┗A~Eとのつながりはない。
木につるされていたが、ロープではなくシャツを結んで
首を吊っていたが、枝は高すぎる場所にあり、
周囲に上る手段も形跡もなかった。
近隣住民が自殺を疑ってしまうほどだった。
07月02日(木) 熊取町内の体育大に通うG子さん(19歳)
胸を果物ナイフで刺し自殺
┗ A~E、Fとの接点はなかった。
陸上部で自己ベストをなくなる前日に更新しており
喜んでいる姿を周囲も見ている。
また親にはドラマの録画も頼んでいた。
Gさんは住宅地にあるグラウンドを背にした道路側溝に
挟まっていた
ナイフで、左胸にナイフで刺された傷があり、
首にもナイフの切り傷があった。
発見時はまだ息があり、意識朦朧としながら
「ちがう、ちがう」と伝えていた。
その後、周囲に落ちていた果物ナイフで刺したと分かった。
警察は首の傷は、自分で切ろうとした際のためらい傷で
あろうと判断し自殺と発表した。
自殺した推定時刻は20時頃のことだった。
Gさんは生前、「黒い車に追われている」と
周囲に話していた。
◆不思議な点
①Cさんの死亡までの時系列とメモ
※遺書はなくメモのみ。死にに行くかのような時系列。
②Eさんがなぜ後ろ手を結んだのか
③Cさん、Dさん、Eさんの言っている「白い車」はなにか
Gさんのいう「黒い車」は関係があるのか
④Fさんはどうやって木にシャツをかけ、
自身も首を吊ることができたのか
また動機は何か
⑤Gさんの志望動機と「ちがう、ちがう」という意味は
なにか 自殺にしては20時は早くないか
⑥だれも遺書は残していない
ウェルテル効果としても、
遺書がないことは紐づかないのではないか
⑦自殺の統計
自殺が多い曜日は統計として月曜か火曜が多い。
しかし今回は水曜、木曜が多い
⑧誰が得をするのか
◆様々な説
原発説
熊取町には京都大学複合原子力科学研究所があり、1992年
当時、施設内の原子炉実験所の危険性が取り沙汰されていた。
この研究所には東日本大震災で注目を集めた反・原発を訴える
原発研究者「熊取6人衆」がいることで知られており、
原発の利権絡みで熊取6人衆に脅しをかけるために
7人の若者が殺されたのではないか?とも囁かれた。
祟り
信じるわけではないが、出ている話なので紹介する。
熊取町には「七人塚の祟り」という伝承がある。
七人塚というのは落ち武者など非業の死をとげた者を
祀るために立てられた塚である
儀式殺人
もう一つが儀式殺人。
これはネットに書き込まれたもので、出所はわかっていない。
某宗教団体ではないかともいわれている。
内容としては
これは儀式殺人であり、そのヒントが『殺した側』から
キーワードとなって示唆されているという。
それが『七』だ。
◆以下【七】にまつわる事件
▽松野愛子ちゃん行方不明事件
1988年12月4日 福岡県飯塚市で松野愛子さんが
行方不明となる。当時7歳潤野小学校1年。下記の飯塚事件で死刑となった久間三千年(くま・みちとし)の関与が疑われた。『白い車』が目撃されている。
▽飯塚事件
1992年2月20日 福岡県飯塚市で中川さん梅野
さんの2人が誘拐、殺害された。
2人とも当時7歳で上記の松野愛子さんと同じ潤野小学校に
通っていた。久間三千年の犯行とされる。冤罪の可能性が
指摘されるが真偽は不明。中川さんの父親が
「(娘は)7年7月7日しか生きれなかった」と話した
告発の書では、この松野愛子ちゃん事件と飯塚事件をまとめて
『七山路線バス連続象徴殺人』としている。
▽仙台高校生連続自殺事件
1992年2月~3月 仙台市立七郷中学の同窓生3名が
相次いで自殺。
▽熊取町7人連続怪死事件
1993年4月~ 熊取町七山、七山病院前で7人が不審死
▽忍野村ガス中毒死事件
1993年5月 山梨県南都留郡忍野村忍草の
リゾートマンションにて7人の男女がプロパンガスによる
酸欠死。
▽海南市保育園児水難事故
1993年8月 和歌山県海南市七山の貴志川で、
遊びに来ていた近くの『ななさと保育所』児童4人が水死。
▽宮城県汚職事件参考人変死
1993年9月 宮城県刈田郡七ケ宿町の砂利採取を
めぐる贈収賄事件で、参考人聴取を受けていた同町の
収入役が、七ケ宿ダム湖の橋付近で水死体となって発見される。
▽愛媛母子4人無理心中
1993年9月 愛媛県伊予郡砥部町川登の銚子ダムの
外周道路で、軽乗用車の中で、母子4人が無理心中。
近接する路線バスの停留所が七折。
▽千葉県富里男女児童水死事故
1995年07月 千葉県富里町七栄の町立ごみ処理場で付近に住む児童2人が水死。周囲は七栄の付くバス停留所が散在。
◆私の意見として
自殺ではないと思います。
というのも、これだけ小さな半径の中で連続することは
考えにくく、原発説かと考えています。
実際にこの事件以降、反原発のニュースをメディアが
取り上げなくなってきていることは、だれが得をするのかに
当てはまります。
皆様の意見もおしえてください。