とことん、バッシングを浴びている日本高校野球連盟である。
昨日、都内のスポーツイベントに参加した日本トップリーグ連盟機構の川淵三郎会長が、
と日本高野連を痛烈に批判したとか。
これは、高知商業の野球部員がダンス部の発表会に参加したことを問題視した日本高野連に対して、川淵さんが噛みついたものだが、ここのところの世間はというと、何かと日本高野連をバッシングしている。
いや、バッシングしていなくても、そう受け取れる。そう聞こえてしまうのだ。
野球界が抱える問題点を指摘したという点では、
先日、日本外国特派員協会で会見を開いたDeNAの筒香嘉智選手の言葉も、日本高野連に「も」向けられたものといっていい。
日刊ゲンダイでは、「聖域にも踏み込んだ」と筒香の発言を大々的に取り上げている。
筆者も、筒香の記者会見には出席したが、ここ最近、ものすごく感じていることがある。
それは、日本高野連には処理能力がないから、誰かが教えてあげないといけないのでは?ということだ。
高校野球は昨年夏100回記念大会を迎えたが、どうして、100回大会を迎えることができたかというと、伝統を貫いてきたからだ。
ちなみに、これは褒め言葉ではない。
いろんな人を苦しめながら、続いてきた。
そういったら、分かりやすいか。
ただ、それは、日本高野連が私利私欲に走ったから、そうなったのではなく、彼らはそれまで続けてきたことを「守る」ことしかできないからに他ならない
諸々のルールを変更することに対して、威厳を保ちたいわけでも、見栄を張っているわけでもなく、彼らには知識がないから、「今までの伝統を守る」という選択肢しか持ち合わせていないのである。
筆者は、何度か、日本高野連の方々と取材を通して話をさせてもらっているが、その取材で感じるのは、彼らには「知識がない」ということだ。
「球数制限?」「プレイヤーズファースト?」
そんな概念が彼らには存在してこなかったのだ。
海外の野球に携わった人を連盟の中に入れて、改革をしようとしてきたことがなく、全て、自分たち内部だけの意見で決めてきた。メンバーたちは、教員などになって、学校現場に携わり、高校野球に関わるようになった。その流れで連盟にいる人がほとんどで、彼らの目的は「任期」を滞りになく進めるという使命だけなのだ。
そんな彼らに何が分かる、何ができるというのか。
日本高野連には、戦前、自分たちの意図にそぐわない形で、大会を中止させられた「悔い」みたいなものがある。
だから、戦後に日本高野連という「独立国家」を作った。
先人たちが築き上げた独立国家を「守る」。申し送り事項があるわけではないのだが、それが彼らの使命なのだ。
球数制限の問題。
新潟県高野連とのやりとりは置いておいて、彼らはこの問題の根本をわかっていない。
恐れているのは「変える」ことをして発生する世間のバッシングだ。
球数制限の何が良いかも理解できていなくて、それを教えてあげる人が必要なのである。
その背景には、プロとアマが断絶してきたというのがある。
プロ側は、どうも、アマチュアに何か意見具申をしてはいけないと思っているようだ。プロ側から日本高野連に助言したという事例をこれまで聞いたことがないのが何よりの証だ。
実際、日本の高校野球のあり方が色々と問われ出したのは、2013年選抜大会で安楽智大投手(当時、済美)が1試合234球を投じたことだと思うけど、それまで僕たちジャーナリストが声だかに何かを言っても、かき消されてきたというのが現実だった。
しかし、あの時、海外から多くの「クレイジーだ」という言葉が届き、日本も異変に気付き始めた。
日本側からの声は全くなかったわけで、それは僕のようなジャーナリストの小さな声ではなくて、プロからの大きな声であるべきだった。
日本高野連には知識がなく、それなのに、プロ側からも忖度してか、意見を言う人がいなかった。
だから、彼らの頭の中はアップデートされないというわけである。
筒香は、今回、「日本高野連」と名指しで意見を言っているわけではないが、日本のアマチュア野球界全体に対して啓蒙をしたという意味では、彼らも含まれていると言っていい。
一人が発言しただけでも、翌日は大きなニュースになっているのだ。
これが筒香だけでなく、もっと多くのプロ野球選手や元プロの選手たちが声だかにすることで、日本高野連にとっても、いいヒントを与えられるのではないか、と僕は最近、そう思っている。
彼らには知識がない。
だから、教えてあげてほしい。
それには、やはり、プロ野球選手の声が必要なのだ。
筒香の勇気ある行動は、日本高野連を救う。
僕はそう思う。
だから、もっともっと、プロからの声を届けてあげてほしい。
