一昨年末にご挨拶をさせてもらい、その後、SNSを中心に親しくさせていただいているフリーアナウンサー/ライターの土井麻由実さんがサンスポに寄稿されたコラムが興味深い。

 

 タイガースの外国人がどう日本文化に順応しているかについてリポートしている。その中身も面白いのだけど、記事の中に藤川球児選手が登場する。

 

 なんでも、土井さんのマメな取材のインタビューに、ある一人の外国人選手の通訳を務めてくれたのが藤川選手だったとのこと。これには驚いた。

 

 藤川選手と言えば、MLBのカブスなどに在籍。日本での好成績を経てメジャーリーグへと挑戦した。


 華やかな成績は残せなかったけれど、英語を堪能に使いこなして、外国人選手とコミュニケーションをとっているところに、彼がアメリカに挑戦したことの意義が表れていると思う。

 

 もちろん、英語を話せるようになればいいということではない。あくまで、一つの要素なんだけど、異文化に溶け込もうとした学ぶ姿勢の一つなんだろうと思う。人を大きくさせるのではなかろうか。

 

2~3年ほど前に、日本スポーツ企画出版社「slugger」にて、

「MLBから何を学んだのか」という連載を書いていた。

 

 どういうものかというと、選手を含め、MLBの球団に関わったひとたちが現地で異文化をどう受け入れ、どう感じ、どう自身を変革していったかというものだった。

 

 登場いただいたのは、田口壮さん、白井一幸さん、吉井理人さん、斎藤隆さん、小島圭市さん、高津臣吾さん、井口資仁さん、平林岳さんなどなど。

 

 単純に、向こうで成功したかどうかの取材ではなく、実際はどんな発見があり、今のご自身に生きているかなどを聞かせてもらった。

 

 これは取材をしていても、発見ばかりで、野球だけではなく、いろんな世界にも通じるような貴重なインタビューだった。

 

 「向こうはこっちが何も言わないと、何も教えてくれない」

 「コーチの選手へのリスペクトが日本と違う」

 「指導者の成功は自分ではなく、選手が成功すること」

 「アメリカのブルペンは無駄に投げない」

 「小学生の頃に体験した野球がアメリカに合った」

 「向こうに行って予想外のことばかりが起きるので、じたばたしなくなった」

 

 これ、本にしたいとずっと思いながら(どの業界にも通じるので)、なかなか前に進めていないものではあるのだけれど、連載をしていて勉強になることばかりだった。

 

 土井さんによる藤川選手の話を読ませてもらって、彼はたくさんのことを感じて帰って来たのだろうなと思う。

 

 まだ現役選手の彼にこんなことを言うのは失礼なことかもしれないけれど、そうした「学んだこと」はいまだけではなく、将来にきっと役立つと思う。その学んだことにこそ、藤川選手のメジャー挑戦の本当の意義なのだろう。

 

 成功した、失敗したとか、

 野球に限らず、スポーツ選手の海外挑戦にはどちらかで語られがちだけど、そうじゃない。彼らが何を学んだか。

 

 そして、そうした異文化を知った人たちが日本にどう落とし込んでいくが、さらに大事なことであると思う。

 

 ダルビッシュ有投手の1000奪三振はすごいことだけど、彼がツイッターで日米の違いについて語っている。ああいうのが日本の野球にとって何よりの大きな財産になる。

 

 どうやって人は育つのかとよく考える。

 

 最近、その答えとして浮上してきているのが「考える力」。

 

 自分がなかったからというのもあるけど、やっぱり「考える力」があるかないかは、育成にとって非常に重要なんじゃないかと思う。

 

 例えば、自分がこうなりたいと漠然とイメージしたとして、それを実現していこうとしたときには「考える力」がないと、先に進まないのではないか、と思う。

 

 想像力と創造力。

 

 imaginationとcreation。

 

 野球(スポーツ)とは2つのそうぞう力と記憶力で成り立っている、

 とある人がおっしゃられていたが、まさにそうだと思う。

 

 こんなことがありましたという記憶があって、想像して、創造できたとき、人って成長しくのではないか、と。

 

 では、「考える力」はどうやって育むのか。

 

 強制的な指導からは何も生まれないと僕は思う。

 こうやりなさい、ああやってはいけない、失敗するなという中で生きていると、0ではないとはいえ、「考える力」は生まれてこない。

 

 いろんなものに満たされて、周囲が過保護、過干渉なのもよくない。おそらく、僕はこれだろう。

 

 これは環境面だと思うけど、習慣の力も関係してくる。

 普段から考えているか、どうか。

 

 これを培うのは、勉強や読書が一番早いんじゃないかと。

 

 勉強といっても、頭が良くなることが勉強なのではなく、何かを学ぶことが勉強であり、学んでいるうちに考えることが習慣化されていく。

 

 読者は中身を理解しようとすればするほど、考える力は自然と養われる。市立尼崎高校の竹本監督がおっしゃられていたが、「読書する選手は技術習得が早い」。理解力のある人は自分で考えることができる、今何をしていくべきかがイメージできるということのようだ。

 

 あとは、どうだろう。

 自分というアイデンティティをどう強く意識できるかも、あるんじゃないか。ハングリー精神などからも、考える力は生まれるんじゃないかと思う。

 

 今の日本ではなかなかハングリー精神は培われないけど、時代が時代だけに、両親が離婚をされていたり、あるいは片方の親がご病気でなくなっていたりするケースがある。それを簡単に「ハングリー精神」と言ってしまうのは失礼なのかもしれないけど、取材をしていて感じるのは、ハングリー精神=「自分で切り開く」強さかなと。

 

その観点があるから考える力が備わっていくのかなと。

 

先日、楽天のオコエ瑠偉選手を練習後につかまえて、話を聞くことができた。彼が指導者の言葉だけじゃなく、自分自身で考えて練習の取り組んでいるというのを聞いて、彼ほど自分で考えて行動できる若い選手って意外といないんじゃないかと思った。

 

 どうやって、考える力を持つようになったかと尋ねると、本人は、「ハーフはいろんな思いを持っている」といった。目には決して見えない、彼の中にある存在証明が、彼にいろんな力を生み出しているのかもしれないとその時に思った。自分で切り拓こうとするから、そこに考える力が生まれる。

 

 そんな気がする。

 

 結局、何が言いたいかということ、最近、そういった記事を書いているので、読んでくださいってこと。

 

 上から新しい順番

 

 異色の経歴。大阪桐蔭・根尾昂が示す「アスリートの理想形」

 

 

楽天・オコエ瑠偉、ハーフゆえの“確固たる個”。プロ2年目で見据える10年後の姿とは

 

 

菊池雄星は何を信じ、何を疑ったか。二段モーション問題からの復活劇。

 

 

偏差値75のドラ1候補。履正社・安田、文武両道の真髄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今や見出しに彼の名前を入れるだけで、ヒット数が上がる。

 各媒体の狙いに僕も便乗したわけではないが、今回は彼についてをテーマにしたいと思う。

 

 広陵・中村奨成選手のこの夏の甲子園での記録は凄まじい。

 改めて列挙するまでもないが、清原和博さんが持っていた本塁打数が「6」になったことと、清原さんの翌年に水口栄二さんが樹立した最多安打記録に並んだことは、お伝えしておこう。

 

 甲子園で取材しての印象は、バットに捉えるのが上手い打者だということだ。特に印象に残っているのは、初戦の中京大中京戦で放った一発で、スライダーを右中間スタンドへ運んだ。

 

 ホームランは結果としても、

 あのバッティングのコンタクト能力の高さは、ホームランバッターという印象より、巧打者のイメージだった。

 

 中村選手は、とにかく空振りが少ない。

 決勝戦まで三振がなかったことからも、想像できるだろう。

 ヒットの延長線上の結果として、6本塁打を記録したとみていい。清原超えであるが、水口に並んだということをもっと評価すべきなのかもしれない。

 

 実は、決勝戦前、僕は中村はノーヒットに終わると予想していた。

 

 花咲徳栄の先発・綱脇のスローカーブ、クローザー・清水のフォークに苦慮するだろう、とみていた

 

 でも、しっかり捉えた。

 やはり、歴史に名を刻んだほどのバッターだと思った。

 

 そこで、ひとつ問題が生じる。

 中村には「強肩強打の捕手」という印象がついてしまっていることだ。

 

 6本塁打も記録したのだから、強打であることは偽りない事実なのだけれど、大きな壁となってくるのは「捕手」であるということだ。

 

 周知のように、高校生の時に「強肩強打」と言われて、そのままプロでも強肩強打のまま君臨した捕手は、おそらく、城島健司くらいしかいない。

 

 捕手の強打者がドラフト候補に挙げられるたびに、「強肩強打の」というフレーズはつくけれども、実際、そのまま君臨した選手はいないのだ。

 

 かつては城島2世と言われた、西武の炭谷銀仁朗は、今や守備の人だし、今季、バッティングに開眼の様子を見せているといっても、「粘打」であって「強打」ではない。

 

 光星学院高時代に、「強肩強打の捕手」として圧倒的な存在感を誇ったロッテの田村龍弘だって、強打者ではなくなった。バティングセンスの持ち主なので、今後は、元木大介のような、平尾博志のようなくせ者的な活躍を見せてくれそうな期待感があるが、「強打」にはならないだろう。

 

 彼らはあくまで一例だが、では、なぜ、高校時代に「強肩強打」といわれた捕手がこうも「守備の人」になってしまうのだろう。

 

「バッティング練習する時間が圧倒的に減るからですよ。あと教えられる人がいない」

 

 日本のプロのキャッチャーはやることが尋常じゃないくらいに多いらしい。インサイドワークの勉強はもちろん、キャッチング、ワンバウンド捕球、スローイング、相手の研究…

 

 守備練習に掛ける時間が多くなってしまい、どうしても、バッティングへの取り組みがおろそかになるというのだ。

 

 プロのバッターは、成功するために、日々、バッティングフォームの形成に取り組み、時間の多くを要する。ある試合でタコった場合、居残り練習をしたという話はよく聞く。去年の日本シリーズの後では鈴木誠也がバットを振っていたというのは有名な話だ。

 

 しかし、それが捕手だとどうだろうか。彼らの試合での反省は、バットを振ることより、その日のリードの反省、翌日への予習に励むというのが大勢になるのではないか。もちろん、打つ選手もいるだろうが、他の野手の計り知れない練習量に比べると、捕手はポジションの特性上、少なくなるというのが現状なのではないだろうか

 

 打者として1人前になるまで、1軍には絶対にあげないという気概で取り組めば、話は別だろう。例えば、DeNAの筒香が1軍に定着したくらいの時間を、捕手でだとしても与えることができれば、強肩強打と捕手は誕生するだろう

 

 しかし、現状は難しいのではないか。

 

 例えば、炭谷、あるいは田村。

 彼らは共通して、肩が強い。盗塁阻止率はともに上位を行く二人だから、若いときからでも1軍での起用が早まった。その分、バッティングの取り組みに関しては目をつぶってきたところはあるだろう。

 

 彼らが捕手ではなかったら。。。

 筒香や、中田翔のように、彼らのバッティングが「強打」といえるまで待てたのではないか。

 

 「強肩強打」の捕手というのは育成が難しいのである。

 

 さて、中村奨成捕手。

 彼は捕手としての才能を持ち得ているが、その捕手としての才能を生かしながら「強肩強打」の捕手としてこれからも君臨することができるかどうかは、プロ野球の各球団の育成手腕にかかっている。

 

 なにせ、「強肩強打の捕手」を育成した実績が、この20年では城島健司しかいないのが、NPBの育成だ。。

 

 改めていうけれど、中村は甲子園の打撃の記録をことごとく塗り替えたのだ。

 

プロに入れば、レギュラーになる器であることは間違いない。けれど、彼が、守備の人になっては困るのだ。

 

 甲子園の記録をこれだけ塗り替えた男は、プロでもそのバッターとしての才能を光らせなければならない。

 

 報道をみると、各球団のスカウトは「ドラフトで重複する選手だ」とのんきなコメントを出しているが、プロで強肩強打の捕手として、育てられる覚悟はあるか。その土壌がそれぞれの球団にあるのか、自分の胸に聞いてみるといい

 

 先ほど書いた里崎智也さんのコメントを聞く限りでは、日本の捕手育成には疑問を抱かざるを得ない。。

 

 高校の先輩・二岡智弘のような右方向への打球、侍ジャパンのショートストップ・坂本勇人のようなインコースのさばき。

 

 「ショートで育成する」という球団がいるとしたら、それはそれで楽しみだけれど。