全ては必然だし、

起こっていることには必ず意味がある

と聞いたことがある。


それがもし本当なら、

今私に起こっていること、

そしてそれに対して私が感じていること、思っていることは

一体何なのだろう。


最近の私は、といえば、

心からの会話のできる人がいないなぁ、と、

そして、本当に自分が思っていること、感じていることを

話していないなぁしょぼんと思う。


中途半端に話して、後になって悔いてみたり、

何か奥歯に物の挟まったような言い方になって見たかと思えば、

反対に、とっても乱暴な、突き放すような表現になってしまったり、と、

何だかおかしい。


相手に合わせるのはいいけど、

健康的にエネルギーを放出していない感じもする。


自分が感じること、思うことを

話した人に批判されることを恐れずに

自然に表現してみるには、どうしたらいいのだろう?


相手を信頼すること?

自分に自信をもつこと?


本心を話していないから

ますます周りはその違和感を感じ取って私に近づけなくて、


私は私で、

「誰にも話せない」とか

「誰もわかってくれない」とかって

悲しがってみたり、開き直ってみたり、


何だか結局は自分がとった言動の結果が

自分に返ってきている気がする。


起こっていることをしっかり見つめて、

まずは今何らかの関わりのある人たちと

誠実に関わることを選択する。


自分から手を離してしまわないで、

顔を背けないで、

心理的に相手を切ってしまわないで、


水槽にふわふわ浮かんでいる小さな羽根を一つずつ集めるような感じで

ていねいに、ていねいに関係を大切にしていくリボン



仕事をしていて、「あー、めんどうくさーいむっ

と思うことがあったとき、時々楽な方を選択していました。


しかし、そんなことの積み重ねが

今の私の一部を作っていることに気づきました。


今週は、「あ、ちっと道を外れているかも」とか、

「めんどうくさいとおもっているなぁ」と思う自分に気づいたときに

「じゃぁ、今なにをしよ?今後のために何ができる?」

という視点をもつことにしました。


相変わらずめんどうくさいことには変わりないけど

「おかしい」と思った時には考える、っていうのをやっていきます。


そういえば、ある友人が先日、

「たいせつなことはめんどうくさいんだよロボット

と言っていました。


本当にそのとおり。


でも、その「たいせつなこと」が指の間から抜け落ちていかないよう、

指を閉じてしっかり受け止めようと思います。

最近、気分が仕事の出来・不出来にずいぶん左右されている。


毎日とにかく目の前のことをしっかりと見ること目

出てきた感情をただただ受け止めること椅子

自分を無条件に慈しむこと宝石赤


を3つを中心にやってきた。


少しずつブロックを積んでいけている気もしている。

できなかったことも見ていきつつ、

できたこともちゃぁんと見ていく。


そんな中で最近特に思うこと。


何かあったときに、ささっと文章が書けるように

簡潔で、でも内容が充実した書類が作成できるようになる

ってことが今の目標。


文章を書くことに対して、まだハードルが高い気がしている。


それを上達するために、

なるべく毎日ここに来て、書き続けようと思うメモ

私にしては珍しく、先日感じた違和感(6月20日の日記で書いた違和感)

で苦しむことはなかった。


前回も書いたように、その感覚にいいとか悪いとかのラベルを貼るのはやめて、

これはどこから来ているのだろう、そして、私はどうしたいのだろう、

とずっと考えていた。


そこで思ったのは、私はその仕事を通じて知り合った仲間から

そーっと離れていくのではなく、

彼らとの関係を大切にしたい、ということだった。


今は何となく一緒にいても居心地が悪いけど、

時が来ればそれが何かわかるかもしれないし、

もっともっと客観的に一緒に関わったプロジェクトのことを見れるかもしれないし、

もしくは、そんなことはどうでもよくなるかもしれない。


いずれにしても、流れに任せて、私は私らしくありのままでいつつ、

彼らとも自然に接していこうと思った。





本音ってどこまでいえばいいのかな、と思っています。


昨日、とりかかっていたプロジェクトが終わりました。

関係する仲間と最後に総括のミーティングをしました。


中には、「この仕事に関われてうれしかった」

という意見もあり、涙ぐむ人も。


私は、といえば、実は

「やっと終わってやれやれ」

って感じでした。


無償の仕事だったのにもかかわらず

拘束時間が長く、正直、疲れました。


今はちょっと、やさぐれモードです。


自分の感覚に正直でいて、

それをいいとか悪いとかではなく、

自分のありのままを受け止め、受け容れようと思います。


そして、そこから出てくるものも受け止めます。