「風の歌を聴け]の最初のほうに表れる年月日を限定的に記した文章に照準を当て、たった十九日しかない、この物語の日数経過表を作る事から始まる。これは十九日を小説に出来るのかという疑問符のもとに、緊張感を読者に持たせる斬新な書き出しである。そして冗長な物語を様々な視点から図式化し、解体している。村上春樹の何処が面白いのか、印象的な文を中心に読み解いていく。結果的に、貧しさから脱した日本におけるポップスの誕生を語った村上龍を引きながら、[風の歌を聴け]はポップスの気分で書かれた日本で最初の小説であると語る。次の章の[1973年のピンボール]では、一貫した話がなく、ばらばらな物語が3つ四つ、互いに没交渉の形で並ぶが、読後感は深いという。ここで村上春樹の方法論として、重要なアイデアが書かれている。それはレイモンド·チャンドラーのfindした時はseekすべきものが変質しているというテーマを純文学の土壌に持ち込みたいという事だ。この方法論により、近代文学の魂というべきものが解体されていると語る。また物語年表を作成し、この小説がかけがえの無い友人の死という主題が欠落している事を指し、回復不可能なものの喪失というモチーフ自体を喪失する新しい喪失を表現していると読み解く。また次の章の[羊をめぐる冒険]は最初から物語の空転を目指して書かれた、自分を否定する教養小説だと評価する。その根拠はコッポラの[地獄の黙示録]を思想性、歴史性の欠落があり、それがプライベートなものを浮上させている故に、優れた作品と評価する村上春樹の視点が、[羊をめぐる冒険]にも採用されると踏んでいるからだ。村上春樹は[地獄の黙示録]は何も信じられない限り、世界の輪郭はそのまま自分の輪郭に重なり、その内容物を溶解させ、カオスとなり、それと対峙させると書く。つまりは思想、歴史を信じられないなら、最後は自分にぶつかる他ないということである。これがそのまま[羊をめぐる冒険]の主題に通づる。最後の章は[世界の終わりとハードボイルド·ワンダーランド]を弁証法的に読み解くものだった。