「聖霊の風に乗るということ」

 

 第一段階:バタバタと我力で行っていた自分を認め、悔い改めの祈りをし、方向転換させていただいた。我力でするのをやめ聖霊によって業を成す。肩の力が抜け、力まず自然体、「聖霊の風」を待っている。その風に乗ろうと信仰という翼を開き始めている。

 第二段階:「聖霊の風」は吹いてないのか?いやすでに吹いている。私の霊がその風を感じていなかった。私が信仰の翼をしっかり広げて、その風を受けていなかった。メッセージの準備のためや聖書の学びのために聖書を読むが、自分の霊性の養いのために、手の業を止め、心を静め、意識を集中してみ言葉を味わうことが不十分であった。祈ることもそうであった。他者へのとりなしの祈りはするが、自分をとりなす(黙想の中で自分と主イエスとの霊の交わり:主イエスに抱きしめられる経験)の祈りが不十分であった。だから、自分の知識や経験に頼り、我力でバタバタし、時には疲れ、時には自己憐憫し、時には愚痴っていたのであった。

 口語訳では、箴言3章5~6節に「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識に頼ってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」である。

 聖霊の風に乗ろう。まず自分のために、自分を愛するために、主の愛の言葉によって包まれ満たされて。