「神の右手と左手」

 父なる神は霊なる方であり、肉体をお持ちでありませんので、父なる神に右の手と左の手はありませんが、聖書にはそのように記しております。それは、「神の御業が伸びて私たちの上に届くこと」をそう表現しているのです。

 初代牧師の大川博道先生が、「神の右の手は愛、神の左手は義。神の右手は左手より大きい」とよく語っておられたことをひとりの姉妹から聞きました。神の愛は神の義に先立つということでしょう。「先行的恩寵」という言葉をよく、聖書学院長でありました小林和夫牧師が語って下さったことも思い出します。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました」(ローマ5:8)です。人は神の義によって罪を示され、認罪いたしますが、これだけでは真の悔い改めには至りません。真の悔い改めは、主によって裁かれるのが恐ろしいから悔い改めるのではなく、主が赦してくださるから、主の愛に触れて悔い改めるのです。「恐れるな、私があなたと共にいる。たじろくな、私があなたの神である。私はあなたを奮い立たせ、助け、私の勝利の右手で支える」(イザヤ書41:10)とあります。今日も神の愛の右手があなたを包んでいます。