「み言葉を土台とした信仰の歩みの確かさ」
「彼らはへりくだったので、私は彼らを滅ぼさず、間もなく彼らに救いを与える。」(歴代志下12:7)。
この言葉は、偶像礼拝の罪を犯し主に背いた神の民(南ユダ王国)が、主からの責めと罪の結果で
あるエジプトの侵略を受け、自らの罪を認め「主は正しい」と告白し、へりくだった時に主からの与え
られた赦しの言葉である。神の民であっても、神に対して罪を犯すならば、異邦人同様、神は裁か
れたのである。しかし、神の民が異邦人と違う所は、神のあわれみ深い方であること、主によって取
り扱われ砕かれ罪を認めること、悔い改める時に神の赦していただけることを知っていることである。
そしてそれを体験し、方向転換し歩めることである。
人の意志や感情は大切であるが、時に上下、強弱、冷熱するものである。信仰の土台を自分の意
志や感情や行動を土台にすると不安定となる。私たちの信仰の土台は、み言葉である。み言葉は揺
るがないので、私たちの信仰も揺るがないのである。神は私たちの信仰の人生を、確かなみ言葉に
よって、ひとつひとつを導いて下さっているのであるから、しっかりみ言葉に立って行こう。