「問題提起や非難から愛することへ」

  「一億総評論家時代」と言われる現代、それは「人の数だけ評論家がいる」という意味であろう。それぞれが自分の考え、自分の基準をもって人を判断し評論するのである。クリスチャンの基準は、自分ではなく聖書である。自分ほど当てにならないものはない。時、状況、感情で基準が変わるからである。神の言葉である聖書は変わらない。神の言葉の前に立つときに、全ての者は自分の罪深さと神の愛を認め、頭を垂れる以外にない。ここで一つ気をつけたいことは、クリスチャンが犯しやすい過ちである。それは、聖書のみ言葉を自分にではなく自分以外の者に適応することである。そして問題提起をし、非難するのである。み言葉の適応は自分にするものである。マザー・テレサは、「人を批評していると人を愛する時間がなくなります」と言われた。大切な時間を何に使っているか。時間も労力も財も知識も、人を愛することに使うものでありたいのです。

「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めです。」(ヨハネ15:12)。