ミュージカル『レベッカ』は東京(シアタークリエ 5/6~6/30)を皮切りに、全国を巡回公演中。

 

福岡(博多座 7/10~12)

大阪(シアタードラマシティ 7/17~19)

愛知(御園座 7/24~26)

 

そして東京(シアター1010 8/1~2)で大楽。

 

2026/07/18(土)大阪梅田・シアタードラマシティにて『レベッカ』を観劇しました。

 

ネタバレしてますので、知りたくない人は読まないで下さいね。

ミステリ要素が強い作品なので、知らずに観る方が楽しめると思います。

 

 

様々なレベッカ

 

『レベッカ』は1938年(昭和13年)英国の女流作家ダフネ・デュ・モーリアの小説が原作。

(ダフニ・デュ・モーリエと記載される事も)

 

『レベッカ』は恋愛小説とされていますが、心理サスペンスやミステリ要素も。

 

1940年、アルフレッド・ヒッチコック監督が映画化。

80年後の2020年、ベン・ウィートリー監督が映画化。

 

2006年、エリザベートのコンビ(ミヒャエル・クンツェ脚本・作詞&シルベスタ・リーヴァイ音楽)で舞台化。

日本は2008年初演で、今回で4回目。

 

『レベッカ』は小説、映画、舞台、それぞれ謎解き部分やラストが異なります。

大筋は同じと言えば同じかもしれませんが。

 

タイトルロールである「レベッカ」は故人。

最初から最後まで姿を現しません。

生前のレベッカを知る人の語り口から、想像するより他ありません。

 

世間的な評判はおおむね、魅力的な女性。

…かと思えば、レベッカをひどく恐れる人も。

 

若くして、天涯孤独となった『わたし』

アメリカの富裕層・ヴァン・ホッパー夫人のコンパニオン(話し相手、お付き)として高級保養地モンテカルロへ同行。

そこで、英国紳士マキシムと出会います。

 

マキシムに見初められ、結婚。

彼の領地マンダレイへ。

 

そこで『わたし』を待ち受けていたのは、黒衣に身を包んだ家政婦頭・ダンヴァース夫人。

幼少期よりレベッカに仕え、レベッカの死後も屋敷を取り仕切っています。

 

アメリカでも、マンダレイでも、おどおどしてばかりの『わたし』

レベッカの影に侵蝕され、心身ともに追い詰められていきます。

 

レベッカに怯えていたのは、マキシムも同じでした。

事故と判断されたレベッカの死に「殺人」の疑惑が浮上します。

 

愛する夫・マキシムを救うため、『わたし』は「レベッカ」に立ち向かいます。

すなわち、謎めいたレベッカの「死の真相」を調べることに。

 

 

レベッカ

 

完璧な魅力の持ち主・レベッカ。

彼女に夢中になり、結婚を申し込んだマキシム。

ハネムーンで、レベッカは本性をあらわします。

 

これからは好きにさせてもらうわ。

もちろん表向きは、完璧な貴婦人を演じてあげる。

離婚すれば、非難はマキシムに向かうわよ。

スキャンダルは嫌でしょう?

 

各地で複数の男性と関係をもつレベッカ。

あるとき、マキシムに伝えます。

 

「子どもができた」と。

勿論、マキシムの子じゃない。

でも、マキシムの子として産むわ、と。

 

激高したマキシムは…

 

…と、この先が小説、映画、舞台で異なって来ます。

 

共通している事は、レベッカの妊娠は狂言(嘘)ということ。

 

レベッカは、癌に罹患していました。

余命いくばくもない事を知ったレベッカが、マキシムをわざと怒らせた。

 

破滅という形で、マキシムを道連れにしたかった模様。

 

その動機を「実はレベッカはマキシムを愛していた」と解釈する人もいます。

だから、道連れにしようとしたのだろう、と。

 

レベッカを殺せば、マキシムも破滅の道を辿るでしょうから。

実質的な心中ともいえるかも。

 

…が、彼女の真意は不明です。

マキシムを利用したことは確かですが、それが愛情ゆえと判断しかねるかと。

 

私は、ダンヴァース夫人の「レベッカ観」が正鵠を射ているように思います。

 

 

★ダンヴァース夫人

 

レベッカに幼い頃から仕えてきたダンヴァース夫人。

レベッカの信奉者であり、その気持ちは信仰に近いかもしれません。

 

レベッカの魅力にとり憑かれている反面、冷静に見通している面もあるダンヴァース夫人。

 

「レベッカは皆に愛される」

「だが、彼女が誰かを愛することはない」

 

この言葉から、レベッカの強烈な魅力と操作性、他者への共感や関心の薄さを的確に把握している事がわかります。

 

レベッカの表層にコロリと騙される人々を横目に、ダンヴァース夫人はほくそ笑んできたのでしょう。

 

「レベッカを真に理解できるのは私だけだ」と。

 

だからこそ彼女は、レベッカが病を隠していた事を知り、衝撃を受けます。

感情を煽ることでマキシムを操り、自殺を成し遂げたレベッカ。

 

ダンヴァース夫人のレベッカ観をアレンジしてみると、

 

「レベッカは多くの人から関心を寄せられる」

「だが、彼女は誰にも興味がない」

 

 

★ひとつの仮説

 

あくまでも一つの仮説ですが。

レベッカはサイコパスだったのかもしれません。

 

サイコパスというと「連続殺人鬼」を想起されそうですが、皆が皆、犯罪者ではありません。

 

良心や罪悪感がなくとも、「犯罪による不利益を計算し、法を守る」人は多く存在するでしょう。

 

中にはサイコパスならではの特性を生かし、社会貢献する人もいます。

 

例えば、医療(外科手術)や法律関係は、適職という見方も。

「共感性が低く、恐怖や緊張を感じにくい」が故に、冷静に対処できる、と。

 

サイコパスは一般的に望ましくない特徴をもっていることは確か。

 

例えば「良心の欠如」は背筋が冷える特徴です。

「とことん自己中心的」も、「平気で嘘をつく」も…

 

…これらの特性があっても、(外面が良く)魅力的すぎて、信じてもらえない。

恐怖です、これは確かに。

 

同時に、その特性や気質を活かす道もあるかもしれません。

「適材適所」や「バカとハサミは使いよう※」なんて言葉もある通り。

 

※昔の和バサミはコツを知らないと切れなかった事から生まれた言葉

 

「魅力的で、一部の人からカリスマと仰がれる事もある」というサイコパス。

仮にレベッカがサイコパスなら、かなりコマッタちゃん寄りでしょうね。

 

治療法が確立されていない事もあり、一般的にサイコパスの特性を持つ人とは「極力関わらない事」が一番だそうです。

 

マキシムが離れられないよう仕組んでから、本性を顕したレベッカ。

策士…!(怖)

 

そりゃ、怖くて思い出したくないわな…。

 

 

★主人公

 

…と、レベッカについて、あれこれ想像を巡らせましたが。

 

前述した通り、タイトルロールにも関わらず、レベッカは主人公ではありません。

それどころか、姿も現さない。

 

故人といっても、回想シーン等で登場させる手もあるでしょうに。

そこがまた、読者または観客の想像力をくすぐるんでしょうね。

 

主人公は『わたし』

生前のレベッカと会った事がなく、何も知らない『わたし』

 

ミステリと捉えた場合、『わたし』を「探偵役」と言い替えても良いかもしれません。

 

観客は『わたし』を通して、謎の核心へと踏み込んでいきます。

 

 

★私が観た『レベッカ』

 

私はヒッチコック版の映画と、2010年上演の舞台をみました。

 

日本での上演は、2008、2010、2018、2026。

 

2010年版のダンヴァース夫人は、シルビア・グラフと涼風真世でした。

 

ヒッチコック版は、ダンヴァース夫人と『わたし』が屋敷で二人になり、緊迫感マシマシでしたなぁ。

(実際は他の使用人もいたと思うけど)

ただ、主人公にとって、ラストはハッピーエンドと言えるかも。

 

舞台版は、ダンヴァース夫人が舞台上に一人で立ち尽くしているシルエットが今も忘れられず。

『レベッカ』といえば、その脳内映像が浮かびます。

 

2026年版のダンヴァース夫人は明日海りお。

霧矢大夢とWキャストですが、霧矢さん版は拝見しておりません。

偏ってて申し訳ない。

 

次は観劇感想です。

 

∇レェェ~ベェェ~ッカ~~♪(←メインテーマと思しき歌)-

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