2022年3月25日(金)初日を迎えた花組『冬霞の巴里』の感想です。
今回からネタバレも含みます。
知りたくない人は読んだらあきませんえ?
なるべくネタバレは抑えたいと思いつつ、そうなると奥歯にモノを挟みまくりそう。
ポロッと書いてしまいそうなので。
ごめんなさい。
それでは、参りますよ…?
★同じだけど違う物語
『冬霞の巴里』を2回観ました。
初日3/25(金)と、3日目の3/27(日)11:30の部。
初日と2日目では、異なる物語に見えました。
それは私の視点が変化したからでしょう。
種明かし後に見え方が変わる作品は幾つもあります。
ただ、そうそう単純でもないと言うか…。
『冬霞の巴里』は表情や台詞はもちろん、物語の根幹までもが別の意味を帯びました。
初見の時も「ん?…もしかして?」と想像はできました。
ただ、台詞も物語自体も、二重三重に別の意味を被されていて。
複合的な解釈ができる上、「こちらだよ」とリードされてたなと。
決してミスリードとまでは言えません。
(その解釈もアリなので)
ただ、巧みにはぐらかされた感はありました。
2回目は、ある視点で見始めたら、別の物語に見えてきました。
初回はあくまでも復讐譚として観ていました。
2回目は、復讐は無意識の口実だったのかな…と。
共通の目的。
共通の敵。
それがあるから結びついていられる。
そんな切なくて狂おしい物語なのかな…と。
叔父ギョーム(飛龍つかさ)と母クロエ(紫門ゆりや)もまた、彼らの正義があり、苦しみがありました。
そして、記憶とは異なる父オーギュスト(和海しょう)の顔を知るオクターヴ。
オクターヴ(永久輝)は叫びます。
「何が本当なのか、わからない」
「誰か命じてくれ」
物事は視点により、別の顔が浮かび上がります。
何が正しいか?
それは誰にも判らないのかもしれません。
途中、オクターヴはアンブルを巻き込む事をためらい始めます。
彼女の人生をぶち壊してしまう。
僕自身のエゴで。
アンブルは揺るぎなく、オクターヴと共にあろうとします。
…と書くと、ストレートに感情を伝えているように見えますが、そうでもない。
むしろ、逆かもしれません。
「私達は姉弟ですもの。これからもずっと一緒よ」と言うアンブル。
「姉さんはそれでいいの?」
オクターヴの問いかけに、それで良いと微笑むアンブル。
これは肯定であると同時に、拒絶とも受けとめられます。
ここでもまた、オクターヴとアンブルの間に(本当はないのに)埋めがたいズレが…。
寄り添い合って生きて行くオクターヴとアンブル。
二人はとても近くて深い。
同時に、とてつもなく遠い。
オクターヴとアンブルの物語は続いていきます。
今後、彼らはどんな道を歩み続けるのか?
余韻と共に、様々な想像が広がります。
…うぬ。
奥歯に何か挟まってますね、ごめんなさい。
∇しのぶれど…