今日は2019年8月9日(金)
8月9日は長崎に原爆が投下された日。
美輪明宏さんが少年時代、長崎で被爆された事を語っていらした事を思い出します。
語り部となる人がお元気でいらっしゃる内に、当時のお話を聴けたらな…と思えるのは、大人になってから。
子供の頃は怖かった。
小学校でたくさん戦争や原爆の話を聴かされ、幼い心身には重たかった。
同時に、そういう恐怖のイメージが、戦争に対する嫌悪に繋がっていることも事実。
敗戦国なのに、植民地にならず、母国語をそのまま使っていられた事がどれほど奇跡的に恵まれていたことか。
そういった事も、伝えていきたいですね。
今はフランス領のアルザス・ロレーヌ地方は、戦争のたび、ドイツ領になったり、フランス領になったり。
領土を奪われるのみならず、言葉や文化も切り替わりました。
それを題材にした小説が『最後の授業』
「今日がフランス語での最後の授業です」と知らされ、それまで学校や勉強が嫌いだった少年が激しい衝撃を受ける短編でした。
普仏戦争でフランスがプロイセンに敗北し、ドイツ語を使わねばならなくなった…という時代背景がありました。
言葉を奪われる恐怖。
よく知らない言語を使わねばならぬ苦痛。
小学生のときに読んだお話でしたが、ショックでした。
今も鮮明に憶えています。
のちに、その小説の舞台になったアルザス・ロレーヌ地方(の、ストラスブール)を訪れ、たいそう感慨深かった記憶があります。
第二次世界大戦敗戦後、宝塚歌劇という日本発祥の文化も、一歩間違えれば、どうなっていたかわかりません。
実際、東京宝塚劇場はGHQに接収され、「アーニー・パイル劇場」と名を変えていました。
占領下にありながら、国土の分断も、植民地化も、言語の剥奪も行われずに済んだ日本。
これは奇跡的な幸運ともいえるし、相応の理由があったともいえます。
様々な要素が絶妙に絡み合い、敗戦を喫しながら、日本は日本のままでいられました。
その話を掘り下げると、歴史を語るブログになるので、とりあえず置いておいて。
今、宝塚を観劇し、楽しめる事は実はとっても奇跡的な幸運の積み重ねにある…と、改めて感じています。
▽神のご加護に感謝
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