年が明けて、早や五日。
あっという間ですね、お休みは。
タカラジェンヌは年末年始もそこそこに、殆どのジェンヌさんが元旦から始動。
拝賀式だったり、舞台だったり。
年間休日は、とても少なそう。
休演日は週1日ですし。
息つく間もなく、大劇場公演と別箱公演を繰り返していく感じ。
ジェンヌさんの身体…保つのでしょうか?
若くて鍛えているとはいえ。
ジェンヌさんはアスリートのようですね。
フィギュア・スケーターのような。
美しいけれど、ハードな。
内部事情を知っている訳ではありませんが、ある時から、どんどん休みが減っていった気がします。
5組体制になって、東京でも定期公演を打つようになった辺りかな。
5組に増えれば負担が軽減されそうなものですが、逆でしたね。
むしろ休みなく、次の作品に向けて稽古に取り組み、上演日を迎え…というサイクルが出来上がっていますね。
ただ、『宝塚歌劇団なればこそ』の良さもあります。
やはり、常設の専用劇場がある事は大きい。
しかも、本拠地と東京にある強み。
同じ阪急グループがオーナーの劇場もありますね。
専用劇場は、固定資産税や維持費がかかります。
ですが、カスタマイズしやすく、予定も立てやすい。
そういえば、新春の口上で明日海さんが仰ってましたね。
「宝塚少女歌劇は10〜14歳の少女で発足した」
当時、人気があった大阪北浜・三越百貨店(現存せず)の少年合唱団に想を得た、小林一三翁。
宝塚に少女歌劇団を作ろう!とアイディアを出したものの、肝心の人材が集まらず、早くも窮地に立ちます。
当時、歌舞音曲を生業とする女性は、花柳界(舞妓・芸妓など)のイメージが強かったんですね。
肝心の少女が集まらない。
あなたが小林一三さんなら、どうしますか?
一三翁はそこで、社員のお嬢さん達に入団してもらったそうです。
これは、薮下哲司先生の市民講座で拝聴しました。
小林一三翁は養成機関(宝塚音楽学校)を設立しますが、モデルにしたのは東京の藝術学校と、京阪神の高等女学校。
(モデル校については、某国立大学で宝塚歌劇の研究者からお聴きしました)
花柳界のイメージを避けるため、楽器の授業から三味線は外したそうです。
のちに三味線も授業に加えられていたそうですが。
望海風斗・明日海りおは、三味線の授業を選択していた思い出を語っていましたね、かつて対談番組で。
(今はまた三味線の授業はないようですが)
設立当初は、思いもよらなかったでしょうね。
「東の東大、西の宝塚」と呼ばれるほど、志願者が殺到し、狭き門になろうとは。
宝塚歌劇団、その最大の魅力であり資産は「人財」
生徒さんを大切にしてあげて下さい。
まずは、心身を休める時間をもっと確保して差し上げて下さい。
どうかよろしくお願いします。
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