明日海りお VISAメッセージが更新されました。
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話題は『ポーの一族』と『タカラヅカ・スペシャル』
『ポーの一族』について、例えばエドガーの感情表現について語られています。
回 を重ねるごとに、多様な感情の差をはっきり出した方が良いと思うようになったとの事。
淋しさ、苛立ち、孤独、絶望、諦め…などなど。
『ふて腐れるような感情』
『人恋しくなったり』
『ふと、バンパネラだと思い出して、感情をすっと隠したり…』
…と、エドガーの心象風景を表現する明日海さん。
『エドガーは自問自答を繰り返しながら、葛藤を抱えて生きている。だから、満たされない。寂しさが募るばかりで、空しくなる』
…と、更に踏み込んで分析しています。
エドガーの心に寄り添い、同化しているからこそ、湧き上がる言葉だと思いました。
多くの人々の不幸の源は、何でしょうか。
それは『孤独』『罪悪感』『嫉妬』かな…と、私は思います。
エドガーの場合、他者の生気(時として生命)を奪って生き永らえる事に対する罪悪感を抱えている。
…とはいえ、光合成でもしない限り、他の生物から糧を得て生きてます、動物や食虫植物は。
私たち人間も、そう。
バンパネラは『同族(人間)』を糧にする為、背徳感・忌避感は大きい事でしょう。
そして、他者を巻き添えにした事に対する罪悪感をエドガーは背負っている。
この他者は、主にメリーベルを指すと思います。
原作を読むと、アランに対しても、それは感じられます。
エドガーの手によって一族に加わったメリーベルとアランは、共に虚弱体質になりました。
それは己のせいだと、罪の意識に苛まれるエドガー。
大老ポーの直系の血を受け継いだエドガーですが、彼が引き入れたバンパネラは虚弱で不安定。
(原作で、『メリーベルの虚弱体質はエドガーのせい』とシーラからも指摘されました)
老ハンナと異なり、エドガー自身が不安定で経験値も浅い為でしょうか。
実際、エドガーが仲間に加えたのは、メリーベルとアランしか記憶にありません。
アランと共に森で養育した少女・リデルは、祖母の元へと返しました(リデル森の中)
繊細な少年・ロビンを仲間に加えるべく、ギムナジウムへ迎えに行くも、間に合わず…(小鳥の巣)
老ハンナやポーツネル男爵は、一族に加える事は『選ばれた事』と誇りに思っています。
ですが、エドガーは『己の孤独を埋めるエゴ』を自覚した上で、『永劫の闇へ引き入れる事』だと認識していました。
誇りを持って生きる事は大切です。
ですが、望まずして一族に加わったエドガーは、誇りどころか、ジレンマに苦しみます。
…そう、エドガーには仲間がいました。
ポーツネル男爵夫妻ら、ポーの一族が。
最愛の妹・メリーベルも一族に加わります。
それでもなお、心の渇きに苦しむエドガー。
彼が求めていたのは、『対等に気持ちを分かち合える存在』なのかな…と。
エドガーは、ポーツネル男爵夫妻のような関係性に憧れ、羨望を抱いていたのでは…と。
互いに大人で、対等で、多面的に求めあえるパートナー。
あるいは、同胞・同志。
シーラは男爵にとって守るべき存在ですが、シーラもまた母性で夫を包み込んでいました。
己には得られない存在・関係性だと絶望しながらも、熱望し続けていたのではないでしょうか。
メリーベルは、エドガーにとって最愛の妹。
癒される事、励まされる事も多々あったでしょう。
とはいえ、彼にとってメリーベルは『守るべき存在』
実はメリーベルもまた、エドガーを守る、豊かな母性を備えていたのですが、それが解ったのはおそらく、メリーベル消滅後だったのでは…と推測します。
ポーの一族シリーズで、『エヴァンズの遺書』という、少し異色な話があります。
エドガーが記憶をなくし、奇しくもオズワルドの子孫に世話になっている処へメリーベルが現れ、記憶が戻ったエドガーを連れ帰る話。
記憶を失くしたエドガーは、穏やかで柔和。
幼ささえ感じる、無邪気な少年。
可愛らしくさえ感じられました。
メリーベルは、心配を隠して寄り添い、我慢強く記憶の回復を待ちます。
エドガーが思うほど、メリーベルはか弱い、守られるだけの少女では無かったのですが、そこは兄としての矜持でしょうか。
思えば、エドガー自身が感じている『己の存在意義』は、幼少期から常に『誰かを守るため』という責任感と直結していました。
森に捨てられた時も。
老ハンナ達がバンパネラの一族だとわかった時も。
メリーベルが一族に加わってからも。
エドガーは『メリーベルの為』という基準で生きていました。
メリーベルの消滅後は、それがアランへと置き替わります。
アランは同性の友人で、時を止めた年齢はエドガーと同じく14歳。
ですが、バンパネラとしては虚弱体質で、心身ともに不安定な少年であり続けました。
エドガーと異なり、ほぼ老成する事なく。
アランこそ、永遠の少年だったのかもしれませんね。
アランは、エドガーの対等な支えになりたかった筈。
ですが、エドガーにとってアランは『守るべき存在』だったのでは…と。
エドガーは、メリーベルやアランの保護者・庇護者であろうとしたのかな、と。
それは、メリーベルやアランを下に見るという訳ではなくて。
大切な誰かを守ること。
エドガーは己の存在価値を、そこに見出していたと思います。
でも、エドガー。
きっと、メリーベルやアランも、同じ気持ちだったはず。
守り、守られる関係性を築きたかったんじゃないかな。
原作で、アランがエディスという少女に惹かれ、交際を始めるくだりがあります。
エディスは、オズワルドの子孫で、エドガーとよく似た少女。
アランは、エドガーと築きたかった関係を、エディスに投影していたのかもしれません。
アランはエディスを火災から救った後、炎に呑まれて消滅します。
アランと共にエディスを救ったエドガーは姿を消しました。
ポーの一族シリーズを時系列で並べた時、「最も新しい/現在に近い」のが『エディス』
最終ページの、野原に横たわったエドガーの姿が忘れられません。
エドガーは時を止めたんだな…と私は感じました。
アランを喪い、それ以上先の時間を歩む事を拒絶したのかな…と。
そして、メリーベルやアランがいた過去へと遡及したのかな…。
『ポーの一族』は、エドガーの回想録ではないかしら。
エドガーは『誰かの為に生きる』ことを、自らの存在意義にしていました。
己以外の存在を、第一義にすること。
それは美しい反面、往々にして、不幸の始まりにもなり得るでしょう。
エドガーは望まずしてバンパネラになり、その受け容れ難い事実に苦しみます。
葛藤と孤独に耐えかねて、守るべき人まで仲間に引き入れた罪悪感で、さらに深い葛藤に苛まれるエドガー。
同じくバンパネラであっても、対等なパートナーシップを結ぶ人々(例えば、ポーツネル男爵夫妻)への嫉妬と羨望も抱えた事でしょう。
もがき苦しむエドガーが、かろうじて掴んだ希望が、メリーベルであり、アランでした。
メリーベルを喪ったエドガーは、アランを得て、再び旅に出ます。
それを明日海さんは、こう語られました。
『最終的には、大切なメリーベルを失い、エドガーにとって永遠の時を共有していく仲間が初めてできてうれしい側面もありますが、罪の意識もあります』
『これから一緒に時の旅をする事で、彼の心の欠けたものが埋まるのだろうかと…』
『ですが、やはりエドガーにとっては、この先もまだ旅が続いていく、終着点が見えない不安や寂しさのほうが勝っているのではないでしょうか』
『2人にとってはこれが幸せだったのかなとか、哀しみの始まりではないかとか、様々に考えて頂けたらと思っています』
明日海さんの予感通り、エドガーとアランにとって『分かり合える…けれど、解り合えない』微妙なすれ違いの序章だと、私も思います。
エドガーもアランも、互いを『彼にとって、僕はメリーベルの代わりだ』と思っていた気がします。
メリーベルは、二人を強力に結びつける媒体ではありましたが、彼女抜きでも、彼らの魂は共鳴しあったはず。
メリーベルは、作中に於ける『見果てぬ理想の象徴』だと思います。
母性、神秘、寛容、許諾、癒し、安心…
エドガーが抱える孤独は何より、『終わりの無さ』に起因します。
ゴールが明確な長距離走と、いつまで走り続けるかわからないマラソン。
どちらがシンドイかと言えば、後者の方でしょう。
エドガーが抱える絶望の深さは計り知れません。
守ろうと思っていたメリーベルを仲間に引き入れ。
メリーベルの為にと着目したアランを、メリーベル亡き後、仲間に加え。
それでもなお、エドガーの孤独は埋まらない。
…そう、ここがポイント。
エドガーは「メリーベルの為に新しい血が必要」と言ってますが、肝心のメリーベルが消滅後、アランをいざないます。
これはメリーベルの喪失の穴埋めだと、アランでなくても思う人はいるでしょう。
それは当てはまる部分もあるかもしれない。
…けれど、少し違う気もします。
エドガーにとって、メリーベルは兄妹であり、血縁と生育歴という基盤がありました。
ですが、アランは出会ってまもない他人。
友人という関係を築き、互いの魂に共鳴し、求めあったパートナー。
異性と同性という違いこそあれ、ポーツネル男爵とシーラの関係と、遜色ない結びつきであると思います。
「恋愛と友情はちがう」かもしれません。
ですが、もともと縁もゆかりもなかった他者と心を通わせ、信頼関係を育む点は一緒かなと。
また、同性の友人関係は、ともすれば異性の恋愛関係より、シビアな面もあり、より誤魔化しが効かない関係性とも言えるかと。
人は誰しも多かれ少なかれ、『失ってから知る』事があります。
失う事と引き換えに、学びを得られたり…決して失うだけじゃない。
でも、失う痛みが大きすぎて、得た事になかなか気づけないのかな…。
メリーベルの代わりになり得る存在はいません。
同時に、アランの代わりもいない。
メリーベルを失った直後、アランを新たな仲間として得たエドガー。
メリーベル(ポーツネル男爵やシーラも)を喪失した痛みを乗り越えられたのは、アランがいたからかもしれません。
同時に、それでは真の救済には至らないだろうとも思います。
真の救済はあるのか?…と問われて、確たる回答はありません。
ただ、我々人間にも言える事ですが、『他者に、己の存在意義を重ねること』は常に危うさを孕んでいます。
例えば、我が子を慈しみ育てた親が、巣立ち後に『空の素症候群』に陥るように。
他者を優先する考え方は、美しい側面をもっています。
ですが、それは「人間は自分本位」という考え方に立脚してる気がします。
真摯に自己犠牲を己に課す、純粋な人には、こう言いたい。
『自分のために生きていいんだよ』と。
エドガーも己の為に生きていいのに、それすらも辛いのでしょうね。
もし可能であれば、彼には『己の為に、今を生きて』ほしい。
彼は善良で純粋で、深く物事を考える、聡明さがある。
だからこそ、老ハンナは彼を後継者に選んだのでしょう。
思考力・想像力・優しさは、人を幸せに導く事が多い。
けれど時として、苦しみをもたらすなんて…皮肉ですね。
エドガーは人間であれば幸福へ導いたであろう資質ゆえに、苦しみ、悩み、葛藤しつづけます。
その真摯な姿勢ゆえに、彼は人を惹きつける魅力に満ちている。
アンビバレンツの塊。
孤独と葛藤の塊。
そして、魅力の塊。
明日海りおにより、三次元で呼吸するエドガーに触れ、以前にも増して、その心情に想いを寄せずにいられません。