花組『ハンナのお花屋さん』の感想ですが、盛大にネタバレします。
まだ知りたくない人は、ご覧にならないで下さいね。
 
本作の主人公は、明日海りお演じるフローリストのクリス(34)
同時に、クリスの父親・アベルも陰影深く描かれています。
 
アベルは学生上がりの若造から始まり、父親・社長と、社会的責務を背負っていく様が描かれています。
 
ジョン卿(ME AND MY GIRL)で、年配の渋い男性役を好演した芹香さん。
本作では、明日海クリスの父親役。
 
とはいえ、過去や回想シーンに登場するため、その姿は若い青年。
むしろ、30代半ばのクリスより年下です。
 
ラスト近く、若き日のアベルと、現在のクリスが邂逅します。
それは、クリスが見た幻想ですが、それもまた一つの真実。
 
そして、この時、アベルの方が父親に見えるんですよね。
ちゃんと。
 
その場面だけ見ただけでは、そんな風に思えなかったでしょう。
 
友人か、せいぜい兄弟か。
 
明日海さんは、30代の大人の男性をしっかり創り上げてます。
なので、パッと見た印象は、むしろクリスの方がお兄さん。
 
ですが、ちゃんと芹香さんが父親に見える。
 
これが、舞台上で2時間以上かけ、芹香斗亜が生み出したアベル。
 
クリス(明日海)の父親で、
ハンナ(舞空瞳)の恋人で、
エーリク(高翔みず希)の兄で、
ソフィア(白姫あかり)の夫・アベル。
 
そう、ハンナとアベルは永遠の恋人ですが、夫婦ではありません。
 
結婚した事がない私がいうのも何ですが、恋愛と結婚は違いますよね。
 
ハンナが選んだ生き方は、恋愛と結婚のいいとこ取りでした。
 
快適な環境で好きな仕事をしながら、最愛の人と子を成し、週末は家族で過ごす。
これ、最高。
 
もちろん、リスクもあります。
事実婚は、法律婚に比べると、脆弱な関係性に見えるかもしれません。
 
ですが、ハンナは己の心の声に従いました。
 
勇気がいるように見えますが、ハンナにとっては自然で最善な道だったのでしょう。
 
プログラム掲載の、ニコライ・バーグマン・植田景子・明日海りおの鼎談。
そこで、バーグマン氏は『Selfishに生きること』を推奨されています。
 
Selfishは、日本語に当てはめると『ワガママ』
 
まず己を大切にして、余力があれば、周りの人に…。
 
『自分より、他者を優先しなさい』
それが美徳だ、と。
そう育ってきた者にしたら、驚きの価値観です。
 
まず、己を満たすこと。
これは、とても大切だと感じています。
 
例えば、喉がカラカラなのに、持っている水を「自分より、他の人を優先」したら?
 
あとに残るのは、満足感?
それとも、カラカラの喉と、不満や恨み?
私はきっと、後者です。
 
まず、己を満たし、余裕があればお裾分けする。
それならきっと、不満や恨みも湧かず、見返りも期待しないでしょう。
 
おそらく、水を分けた事自体を忘れてしまうでしょうね。
余裕の範囲でしたこと、無理のない親切は、負担にならない。
 
己にとって負担だから、「その分、返してよ」と思ってしまう訳で。
 
なぜ、己を満たすことに対して、罪悪感があるのでしょうか。
 
アベルも、ミア(仙名彩世)も、罪悪感を抱いています。
 
ミアは、探検ごっこ気分で入り込んだ塹壕で、地雷によって弟を亡くした事で。
 
養子のアベルは、両親の実子である弟・エーリクを差し置いて、長子として、後継者として扱われる事に。
 
養親への感謝と責任感から、無理な事業再建をめざしたアベルは従業員に恨まれます。
それが最愛のハンナの死に繋がり、深い悔恨と罪悪感を負うアベル。
 
ミアが劇中で、繰り返し言う台詞があります。
 
「私より辛い思いをしてる人はたくさんいる」
 
己に言い聞かせているんでしょうね。
アベルもまた、胸の中で呟き続けてきたはず。
 
「僕はとても幸運だ」と。
 
親がいて、兄弟がいて、帰れる家がある。
実子に恵まれても、己を長子として尊重してくれる養親。
己を兄と慕い、父の後継として立ててくれる弟。
 
親兄弟への感謝は深く、その恩義に報いたいあまりに視野が狭まり、バランスを崩したのかもしれません。
 
「気品溢れるアベルを、ヨハンソン家の嫡男だと疑う者はいなかった」と述懐する弟・エーリク。
 
もし養子だと知られていれば、アベルの必死さは理解されたかもしれません。
 
同時に、誰に疑われる事もないほど、『家族』だったのでしょう。
 
そして、これは憶測ですが……それでもなお、アベルはどこかしら気を張り続けていたのかもしれません。
 
アベルは、ハンナの週末婚プランを受け容れます。
一言の反論も要求もなく、ハンナの希望通り、提案通りに。
 
ですが、妻・ソフィアには言うんです。
ワガママを。
とんでもないワガママを。
 
「ハンナの隣に葬ってほしい」
 
それ、妻に言っちゃうかな?
言っちゃったのね、アベル。
 
そして、アベルの願いを叶えるソフィア。
責めるどころか、ちょっと文句も交えつつ、アベルを慈しむソフィア。
 
……言えたんだね、アベル。
ソフィアには、我儘を。
 
アベルにとって「甘える」事は、ハードルが高かったろうと思います。
 
甘えるって、勇気のいることですから。
 
甘えて、拒否されたら、どうしよう?
疎まれて、要らないと思われたら、どうしよう?
見捨てられたら、どうしよう?
 
そんな風な、漠然とした恐れを抱えて来たのではないかな…と。
 
甘えられたのね。
ソフィアには。
 
すべてを受け容れてもらえると、思っていたんじゃないかな……無意識に。
 
アベルとソフィアの関係性は、ハンナとのそれに比べると、さらりと断片的に描かれるに留まります。
ですが、アベルがほぼ唯一の我儘を言えたのは、ソフィアでした。
 
アベルにとって、ハンナは最愛の恋人。
 
そして、ソフィアは安心して甘えられる『家族』
年月を重ね、ソフィアは、アベルの本妻……本当の妻になっていたんでしょう。
 
同時に、ソフィアは慈母のようでもありますが。
ソフィアの包容力には脱帽です。
 
アベル……良かったね。
 
生んでくれたお母さんとの思い出はないかもしれません。
 
ですが、ヨハンソン夫人という養母と、ソフィアという母性豊かな妻がいてくれて。
 
そして、永遠の恋人・ハンナの魂とも再会できて…。
 
クリスが見た、若き日の父との邂逅は、幻覚。
 
アベルが、ハンナと幼いクリスに再会できた光景も、幻想。
 
同時に、それらは真実でもあります。 
 
悔恨と苦悩にまみれたアベルの魂は救われたのでしょう。
 
 
ミアとクリスは、これから温かな関係を築き上げていくのでしょうね。
 
『ハンナのお花屋さん』は思い出すたび、森で深呼吸したような気持ちになる、癒やしと再生の物語です。
 
 
フィナーレで、明日海さんと芹香さんはじめ、花組生らが踊る曲は、ポップにアレンジされてますが、原曲はクラシック。
 
チャイコフスキー作曲の、バレエ『くるみ割り人形』で流れる、華やかなワルツ。
 
このワルツを作曲していた時、チャイコフスキーは最愛の妹を亡くしています。
 
ゆったりと優美に長調で始まったワルツは、やがて鬱屈とした短調に切り替わります。
深い苦悩と悲痛を経て、ふたたび雄大で華やかな曲調へ回帰していきます。
 
チャイコフスキーは己を鼓舞しつつ、あの美しい調べを書き上げたのでしょうか。
 
苦悩と再生の物語にふさわしい、素敵な選曲だと思いました。
 
もちろん、何より相応わしいのはタイトルかもしれませんが。
 
曲名はずばり『花のワルツ』です。
 
 
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