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世界漫遊

世界を巡って190か国。世界のさまざまな様子やスポーツの様子をお伝えします。あと温泉についても書いていきます。

本日は本格ドライブ

 飛地に行くことにした。

このあたりの人々は元々遊牧民。部族単位で砂漠を移動し、その中で部族同士の支配・被支配関係ができていった。そこそこの規模の諸部族をまとめたボスがエミレート。つまり「首長」だ。アラビア語の「アミール」が英語に転訛したものらしい。

第二次大戦後、イギリスの支配から脱し、独立する際、あまりに小規模な首長では近代国家建設などままならないと、石油王のアブダビの首長と、貿易国のドバイの首長が周辺の小首長に呼びかけ成立したのが、アラブ首長国連邦・UAEだ。

この時、石油が採れるバーレーンやカタールは別個に独立を選んだ。

UAEの東の隣国、オマーンはかつてアフリカのザンジバルまで支配していた(一時は首都がそっちに置かれた)大帝国だったのだが、17世紀からの歴史があるということで、イギリスからの独立の際には、隣の小国とはつるむことはなかった。

ただ、これらの「国」の下には、各国の君主と主従関係を結ぶ「部族」がいる。その昔は、彼らは遊牧生活を送っていたのだが、おそらくそのテリトリーはあったのだろう。彼らが、どの王、首長と結んでいたのかで、そのテリトリーがUAEの各首長国、オマーンの領土となったことから、オマーンとUAEにはお互いの飛び地が複数ある。そもそも、UAEの中でも、各首長国の「領土」は入り組んでいて飛び地だらけだ。

ともかくも、ホテルを出て車を飛ばす。相変わらずのハイウェイだが、郊外に出るとこんな感じ。ときどき止まっては自分の場所を確認。

 

シャルジャとフジャイラの境界には岩山が横たわっている。

フジャイラに入るとすぐにシャルジャ首長国、ホールファカンに入る。フジャイラ首長国の領土はシャルジャ首長国の領土によって南北に分割されている。

お城みたいなのをマップで発見したので行ってみた。Najd Al Meqsar というらしい。

現在はホテルになっているので中には入れなかった。

この辺りは何気に国旗が目立つ。UAE側も道路の端にはためいている。坂を下り、ホールファカンの町を左手に南下すると、いつの間にかオマーンに入国していた。とくに検問があるわけではない。

道端にはためく国旗が変わったのを見て越境を理解する。

気軽に越えることができる「国境」が観光のウリなんだろうか、オマーンに入ると、道端に露店のボックスが目立つ。ただし月曜とあってか、営業はしていなかった。

しばらく進むと町があった。入口には立派なモスクがそびえている。

「マダ」という町らしい。町というより、UAE領に囲まれた円形の飛び地自体がアラビア半島北東角にある同じくオマーンの飛び地領・ムサンダム特別州に属する「県」となっている。

なんの変哲もない住宅街。

しかしここの人はどんな暮らしをしているのだろう。

オマーン色たっぷりの建物。公民館かなにかか?

博物館の看板を見つけたので車を停めて行ってみたが閉まっていた。しかたなく、食料品店で買い物。UAEディラハムは使えるのか確かめかったからだ。アイスクリームが3ディラハム。オマーンのお金も当然使える。

郊外にはダムがある。住民の生活用水確保のためか。

しかし、乾季のようで水は枯れていた。

 

本道に戻り進んでいくが、こちらは、オマーン領を貫通する新しい道のようだ。まだマップにも表示されないのでそのまま進んでいってしまった。慌てて分岐路まで戻る。

分岐路からは左手に伸びる坂を上がる狭い道を登った。

坂を登りきると、そこはシャルジャ領ナワ。フジャイラ首長国領に挟まれるかたちでシャルジャ領があり、その中にオマーン領があり、そのまた中にシャルジャ領があるのだ。ややこしい。UAEとオマーン両国政府が、この飛び地を交換するなどしてまとめてしまおうとしているようだが、住民が現状を望んでいるらしい。

山のてっぺんに住宅地があった。

山から臨むと眼下に緑がある。オアシスだ。これがゆえに古来人がすんでいたのだろう。

 

そのオアシスには歴史資料館がある。入場無料。

資料館の裏山には古い城があるのだが、これを含めて観光資源とすべく、開発が進められている。

 

ためしに登ってみた。数年後には整備完了しているだろう。

 

資料館の先は未舗装路。

 

少し行くと、ナワケーブ。雨季には水が満ちるようだが、水がないと単なる奇岩だ。

その先を進むと、さらに道が悪くなる。ここからがオマーン領だが、標識などはまったくない。

1キロほど悪路を進むと検問所があった。最初はここがオマーン領の入り口かと思ったが、スマホを見ると、電波が通じている。オマーン領ではUAEのSIMでは通じないので、それでUAEに戻ったことを悟る。ツーリストロードを選択すると、これがまた悪路。結局はまた交わるので舗装されているローカルロードを通る方がいいように思うだが、こっちを通るとパスポートチェックなんかの手続きがあるのかもしれない。

 

帰りは、そのまま戻らず、まずはマサフィの町へ。ここはフジャイラ領だ。ただしもう少し先に行くと、同名のラスアルハイマ領の町がある。

町はずれにある城は日本の援助で復元されたらしい。

近代化が急速に進むUAEでは最近、このような歴史的建造物を復元しているようだ。

 

マサフィからさらに西へ。途中、名物だという市(車道の両側に様々なものを扱う問屋が並んでいる)を通り、さらに進むと、Al Dhaid 。シャルジャの町からホールファカンやフジャイラに向かう交易路の要衝として栄えた町だ。

 

ここにも都市化が進む町中に城を復元している。復元前の古写真を見ると、ほとんど土くれだったようだ。

 

中は非常に整備された博物館となっている。ここも入場無料。

 

城の前にはLULUマーケットが。

 

ここで、晩御飯を買って、ホテルに戻った。チキンの丸焼きとアラブパン、その他もろもろを買ってもホテルの夕食バイキングより安い。

今回のドバイ滞在のホテル。ボコ・グランドホテル。インド資本らしい。

ドバイ郊外の学園町、アカデミックシティにある。ちなみにここまでは市バスが走っている。


まあまあ部屋はご綺麗。

1泊1万3000円くらい。日によって変わる。日本円が記録的に落ちているが、昔買ったドルでディラハムを手に入れているので、現金払いなら4割引きくらいの感覚だ。

まあ、ほとんどカードで払ったが。

市バスはあるが、別にメトロ駅までシャトルが出ている。

宿泊客は、プールとジムが使える。

なかなか時間がなく、4泊中2回ほどチョロっと使っただけだけど。

ホテル内には売店もある。

もちろんなかなかの値段だ。

また、バーとレストランがひとつずつあり、レストランでは朝、昼、晩とバイキングメニューがある。


これはランチバイキング。

なぜか3食とも値段は同じ55ディラハム。

というわけで晩飯は買いに行くことに。

ビールも欲しいし。

しかし、アカデミックシティ内のミニスーパーにはアルコールはなし。

ここは、学生寮らしく、一区画をまるまる壁で囲っている。スーパーだけでなく、理髪店、ジムなどもあり、大学との往復で生活が完結する。

というわけでさらに車を走らせインターナショナルシティにあるスーパーへ。マップではすぐ近くに見えるが、7キロくらいある。

店内はインディアン。

ここでカップラーメン、トマト、卵、ドリンク類をたっぷり買って60ディラハムそこそこ。

やはりレストランは贅沢消費だわ。

ちなみにここでもビールは売ってませんでした。

ようやくドバイ到着。機内に日本人CAがいたので、とにかくエミレーツ、その提携先のレンタカー取次会社のカートロウァー、そしてレンタカー会社のアラモの間をたらいまわしにされた挙句、アラモには予約がもうないと言われたとフライトキャンセルのおかげでとんでもないことになっていると事情を説明したら、わざわざエミレーツ本社に連絡してくれ、到着後、エミレーツのスタッフに声をかけるよう言われた。

実際に到着後、カウンターに出向いたが、案の定「ここではわからない」の一点張りだった。

というわけで、とりあえずレンタカーオフィスへ。

幸い予約は生きていた。ただ、ホテルに1日遅れたことを連絡し、到着後すぐにそちらへ向かうとメッセージを送ると、なんと、「アーリーチェックインは有料」と返事が返ってきた。アーリーもなにも予約自体は前日からしているだろと思ったが、いきなり言ってもめるのもなんなんで、とりあえず車を借りるのは昼からにして、電車で町に出ることにした。

空港のロビーで追加の睡眠をとった後、メトロに乗ってぶらぶら。

グリーンラインの終点はe&駅。通信会社のネーミングライツだ。駅の横にはバスターミナルがあって国内各地へのバスが発着していた。

その後、3駅ほど戻り、昨年サッカーを見に行った際に使ったスタジアム駅近くのユースホステルへ。高いホテルは一旦引き払ってここに泊まってみようと思い明日のベッドの確認をしたが、満床らしい。日本からはウェブ予約できなかったのだが、どうすりゃいいんだ?

駅近くのLuluショッピングセンターが開いていたので、ここで両替をし、昼食をかって、市バスの待合所でいただく。

そして再びグリーンラインに乗って終点のクリーク駅へ。将来的には路線はクリークを渡って延長される予定のようだ。

駅からクリークの方へ歩くと、船乗り場が。2ディラハムで対岸まで行けるというので、乗ってみることに。

 

この水路が、かつてのドバイの繁栄を支えた。

 

クリークを渡れば、そこはセレブの町。高層マンションとホテルが立ち並ぶ。

 

こういう富裕層向けの新興住宅街がこの国にはどんどんできている。

どうみても中華系だが、「日式」らしい。だからその言い方が中華なんだってば。

昼過ぎに、空港に戻り車を拾う。

どうやら会社のパーキングから事務所のある空港の駐車場まで車を持ってくるみたいで、30分ほど待たされる。おまけに一定時間を超えると料金がかかるらしく、すぐに出ろと追い立てられるように出発。

 

とにかくドバイでの運転は怖い。なにせ、空港を出ればもうそこは制限速度90キロの「高速道路」。

スマホのナビなど見る余裕はない。音声だけを頼りに進む。図らずも言ってみたいと思っていたザビール宮殿に来てしまった(笑)。

ホテルに着いたのは午前3時半。

僕の前に並んでいたおばちゃん2人組は一緒にタクシーに乗るのかと思いきや、大阪と京都で別乗り。列ができていてもお構いなし。

ちなみに彼女たちは地中海のマルタへ6日の予定のツアーだったが、乗り継ぎ便の目処が立たないのか、全額払い戻しで、ツアー自体がキャンセルになったらしい。

ひとりは前にもフライトキャンセルを食らったが、帰り便でおまけに日本のフライトなんで、急遽空の飛行機が飛んできて翌日の帰国となったらしい。

「外国の会社で自分でチケット取ってたら私らなんもできひんわ」と言っていたが、正直泣き寝入りの人は多いだろう。

ともかくも僕は後ろにならんでいたアラブ人らしき人と相乗りでタクシーに乗った。シリア人で日本人と結婚して日本に住んでいるらしい。

岸和田に住んでると言ったので、途中彼を下ろして僕が支払いをするつもりだったが、よくよく聞けば和泉市在住。僕が先に降りて支払いは彼がすることに。

お泊まりはホテルルートイン和泉府中。

1泊12000円にレイトチェックアウト3時間をつけて、15000円。

1時まで部屋にいれる。朝8時に一旦起き、朝ドラをまどろみながら見たあと、無料でついてくる朝食を食べ、温泉へ。

なにしろ昨夜というか早朝到着時にはすでに浴場はしまっており、なによりも疲れていた。

で、とりあえず朝食付きだったので、8時に起床。朝飯食ったあとに風呂へ。

朝食レストランと同じ1階に浴場はある。

 

源泉名松葉温泉。単純弱放射泉。加水加温なんで名湯ではない。

 

朝なんで空いていた。位置的にビジネスを考えると朝風呂なんて入ってられないだろう。

おかげで独り占め、写真も撮れた。

まあ、ゆっくりはせず部屋に戻り睡眠。寝る前にもっと早い便に変えてもらえるようエミレーツに電話したが通じず。昨日の期待はかなりデカかったので、電話がさっとうしているんだろう。

1時チェックアウトだが、12時には起床。再び電話。

エミレーツ。とにかく、たらいまわし、知らぬ存ぜぬの一点張り。電話はすべてドバイのコールセンターにつながり、外国人がたどたどしい日本語で応対する。とにかく急を要するから日本人スタッフに代わってくれと言っても、ようするにそれはできない。

さんざん話した挙句、どうやら神戸からソウルに向かい、ソウル発の今夜の便には乗れるようなので、それに変えてもらった。

ちなみに電話代はこちらもち。理不尽極まりない。

とにかく、神戸空港へ急ぐ必要がある。ホテルからタクシーを頼んだが、来るまでに20分もかかった。これじゃ歩いた方がましだったよ。

ともかく、JRで関西空港に戻る。

ここから神戸空港行の高速船が出ているのだが、

港までのバスがこの状態。客のほとんどはC国人。ため息しか出ない。

これで向かえば、たった30分で神戸空港に到着。

 

まあ、なかなかできない体験だ。C国人は、関空から南京町のある神戸に向かうものが多いようだ。

港から空港は目の前だが、一応シャトルバスが出ている。正直荷物が大きくなければ、バスを待つより歩いた方が早いだろう。

 

大韓航空便でインチョンへ。

あいかわらずのインチョン空港。巨大モールのようだ。

 

コンビニで飲み物でも買おうと思ったが、長蛇の列なんでやめた。

 

このドリンク、なにが入っているんだろ?

ともかく無事ドバイに向けて出発。

所用でドバイへ。

 搭乗口で1時間半ほど待たされる。いやーな予感。

 そのうち、日本人らしき某氏がアナウンスで呼び出された。こいつが預け荷物にモバイルバッテリーだかなんだかややこしいものを積み込んだのか!けしからん!と思ったのもつかの間、0時40分に搭乗開始というアナウンスが聞こえてきた。

ところが、その0時40分になっても搭乗が始まる気配はない。待っている間、スタッフが水とカステラの差し入れをもってきたが、パニックを恐れてか、アナウンスもない。まあ、一応奥にいる乗客にも届けてはいたが。

 

 ちなみにこの便には修学旅行生らしき団体もいた。後で聞いた話ではローマへ行くのだそう。最近の修学旅行は豪華だね。で、最初は搭乗準備で並ばされていた彼らが、解放される。当然のごとくうろうろしはじめ、対面に座っている我々の前をずかずか通っていく。うっとうしいことこの上ないが、もう教員もお手上げの放置状態。今時教員が小言をいうと、モンペから何を言われるのかわからない。まあ、筋のいい学校だったので、それほどうるさくはなかったが。

 そして、悪魔の知らせが。案の定フライトキャンセル。エンジントラブルらしい。クラス別に案内があるので待つよう指示される。空の世界は本当に金次第だ。

 

 この後どうなるのかのアナウンスもない。エミレーツ便はヨーロッパ各地への乗り換え客も多いのだが、彼らにすれば気が気ではないだろう。僕だって、すでにレンタカーとホテルの予約はしている。

 時だけがどんどん過ぎていくので、しびれをきらし、代替フライトを含めてどうなるのか、搭乗口のスタッフに尋ねたが、彼女たちもなにも聞かされていないようで、とにかく荷物をピックアップしたところで、の一点張り。

 午前1時過ぎにようやくエコノミーの乗客の番になり、CAの案内に従ってシャトルに乗り、出国取り消しの手続きを取り、荷物のピックアップ場に向かう。これもまた、スタッフ不足か、かなり時間がかかりなかなか自分の荷物が出てこないので、スタッフが陣取るカウンターの列に並んだが、列は一向に進まない。スタッフもカウンターを抜け出しそこいらじゅうを走り回っている。

 仕方がないので、先に荷物を広いに行き、戻る途中で目の前のスタッフを捕まえて今後どうするつもりか尋ねた。なんのことはない、あの列に並ぶ方が馬鹿を見るのだ。

 

 なんでも今夜はもう各自帰ってくれとのこと。梅田と難波まではバスを用意しているという。

 おいおい、こっちは鹿児島から来ているんだ。梅田の近くに実家があるが、いくらなんでももう寝てるだろ。それに他の人のことを考えると、梅田や難波で深夜に放り出されてもこのご時世、泊まれる宿などない。

 状況はほとんどカオス状態。そのうち、スタッフが、なにやら紙を配り始めた。とにかく全員にアナウンスせず、しれっと動くのでとにかく言ったもん勝ちになる。要は我々はやることはやりましたよ、アクセスしないのはあなたたちですよ、と言っているようなもんで、黙って帰った人は泣き寝入りとなる。

 

 ちなみにこの間に、またしれっとエミレーツ航空本社からメッセージが送られてきた。なんでも代替便は2日後(彼らは今日付が変わって14日だから翌日と屁理屈を言うが)、の朝9時に出るからそれに乗れという。あまりに一方的な通告だ。今夜を含めて2泊分の宿泊費と交通費はどうすんの?

 紙をもってきたCAに今後どうすんの?と聞くと、とにかく紙にあるアドレス、電話番号にアクセスしろと言うのみ、電話は24時間だというのでしてみると、この時間の対応は英語のみ、もう一度そいつを捕まえて、英語のみ24時間だったら初めからそう言えと言うと、いかにも「私のせいじゃないんだもん」とふてくされた表情をする。こういうところに日本の教育の崩壊をひしひしと感じる。とにかく彼女たち若者には総じて当事者意識がない。

 

 わりかししっかりしていそうな男性スタッフを捕まえて、「こんな時間にバスを出して終わりって、無責任極まりない。梅田、難波からタクシーに乗っても保障するのか?こちらは大阪市内に出ても2泊する必要があるし、そもそも宿なんかないだろ」と詰め寄る。周囲にいたマダムも一様にうなづく。当たり前の話だ。

 彼らは彼らで本社からの話がないとどうしようもないのだが、こちらとしても、今後のプランと何を保障してなには保障できないのかはっきりさせてほしい。タクシー代は出せないというのならそれはそれで腹立たしいが仕方ないとして、それならもう空港で夜を明かすことを僕は選ぶ。

 彼が言うには、機体トラブルは最終まで粘ったが整備士がOKサインを出さなかったからやむなくキャンセルになるとのこと。代替便は今故障している機体を修理し、15日の朝に飛ばすことでこれに代えること、そしてタクシー代などは出すので、後日渡したメモに従って申請してほしいとのことだった。だったら、最初から皆にアナウンスすればいいだけの話だ。他にもう乗客はいないのだから。

 肝心のホテルは、エミレーツ側でも探したが、みつからなかったという。ただタクシーで30分ほどのビジネスホテルがまだ空室をもっているとのこと。だったらそれも公表したらいいのにと思うのだが、公表すれば電話が殺到し、部屋を確保できなかった者がキレてしまうのを恐れてのことだろう。あるいは、大阪まで帰れるのに、ホテルを選択する者が出てくるのを嫌がっているのか。

 

 ともかくも、幸い実家に電話がつながったので、バスに乗ろうとしたが、残念なことにもう出てしまったらしい。どのみちタクシーになるので、空港を出て、タクシー乗り場に並びながら教えてもらったホテルに電話すると、まだ部屋があるというので、事情を話し、タクシーが捕まらなければキャンセルになるかもと伝えて、ホテルに泊まることにした。

 

 ちなみに投宿後、英語窓口に電話し、翌日というか14日夜のフライトに乗れないか尋ねたが、満席ということだった。

 そう言えば、あの修学旅行生はどうしたのだろう。あれだけの人数を2泊させるなどないから、チャーターしたバスに戻ってきてもらって学校にとりあえず帰るんだろうな。乗り継ぎ便のことも考えると、中止の可能性が高いだろう。

 それにしても引率の先生は、イタリアにタダで行けると思ったらとんだ災難になっただろうな。

  
 エミレーツと言えば、日本に進出したての四半世紀前は、極上のサービスが自慢だった。今ではすっかり並以下のキャリアになってしまった。