イラクへ フライバグダッドでバグダッドへ | 世界漫遊

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 今回トルコに向かったのは、実はイラクへ行くためだった。

 

 そして、本当にイラクに来てしまった。いつか行きたいと機会をうかがっていたのだが、ついにその時が来たのだ。まあ、過去には混乱の中、無理やり入国し、バグダッドでイスラム原理主義者に捕まって首チョンパされた者もいたので、外務省のインフォメーションでは今でもほとんど真っ赤か、つまりは退避勧告だ。「行くな」ではなく、「もし、いたらすぐに逃げなさい」なのだ。これは日本だけでなく、先進国の外務省の共通認識らしい。

 しかし、一時「自己責任論」を沸騰させた人質事件はかれこれ20年前。首チョンパでも20  年前の話だ。ネットを見ると、ここ数年、すでに強者たちがこの国への訪問を果たしている。中には、空路ではなく陸路での入国を果たしたアメリカ人女性もいる。

 そしてパスポート問題。

 僕のパスポートは来年の11月に切れる。だから、まあ来年の春には更新するだろう。つまりは、その時点で訪問国の記録は刷新されるのだ。なぜこれを気にするかと言うと、アメリカへの入国に制限がかかるかかるからだ。アメリカは、たしかトランプ政権のとき、自国の気に入らない国に入国経験のある外国人にはビザ無し入国のシステムであるESTAの適用から外すと通達している。つまりは入国にはビザが必要ですということだ。

 なんだ、ビザとりゃ入国できるじゃんと思うかもしれないが、このアメリカビザというやつは世界でもまれにみるくらい取得が面倒なのだ。そもそも、ビザ取得にあたって領事館に電話をかけるのに金がかかる。この費用は電話代ではなく、最初のコンタクトを取るのにクレカの登録が必要のなのだ。僕が取ったのは30年ほど前の話だが、たしか2000円くらいかかったと思う。アメリカはご存知通り、トランジットにも一旦入国せねばならない国。「対象国」に行ったことがアメリカにわかってしまうと、たとえば南米を訪問するのにアメリカを通るだけでビザを取得せなばならなくなるのだ。

 イラクは当然のごとく「対象国」。ここに2011年以降訪問したなどと、ESTA申請時に答えてしまうと最後、一生アメリカ訪問がやっかいなことになる。

 ただしこれもアメリカがその情報を捕捉すればの話。つまりはバレなければ問題ない。ネット界隈では、アメリカには日本人の入国記録などバレバレみたいなことが書かれているが、まあ、原理的にはそうだとしても、現実にはそんなこと把握していない。それが証拠に、最近は、ESTA申請時か入国時にSNS情報を書かねばならない。ここに嬉しがって「対象国」に行ったことなどを上げていればひっかるというわけなのだが、仮にアメリカ当局が、我々の入国情報をすべて把握していたのならSNSアカウントなど聞かないだろう。要するにパスポートに「対象国」入国の跡、つまりはスタンプやビザが残っていなければ、アメリカ当局もその外国人の入国の記録など捕捉できないのだ。

 

 実際僕は、いくつかの「対象国」に行ったことがあるが、ESTAは問題なく使えている。このルールが適用されてから初めてアメリカに行くことになり、不安を感じて、一度外務省に尋ねたことがある。対応してくれた人の答えはこうだった。

「第三国が、日本人の出入国記録を補足することはない」

 日本の外務省さえ、スタンプが押されていなければ、その人がどこの国に行ったか把握できないとのこと。パスポートがマシンリーダブルになったからと言って、そこにすべての出入国記録が残っているわけではなさそうだ。

 一応下調べはした。ネットの旅行記の確認に、ビザの具合。現在、ほとんど先進国のパスポートホルダーには国境でビザが発給されるという。僕の中のルールでは、ノーマルなかたちでビサが発給され、ノーマルなかたちで入国ができれば、そこへはGOサインが出ていると解釈する。実際、例の首チョンパの例では、混乱に乗じて、ヨルダンから無理やりタクシーで国境まで行き、ノービザで半ば密入国のようなかたちでイラク入りしている。

 僕はこれまで、3回ほど「退避勧告」の国・地域へ足を運んだが、すべてこの法則にのっとって入国している。

 今回のイラク入りに当たっては、僕なりに慎重は期した。

 まず、航空券は日本で買わなかった。今回はトルコまでエミレーツで言ったのだが、物理的にはドバイ乗り換えでバグダッドへ向かうことは可能だった。しかし、エミレーツはかつて僕が普段使っているユナイテッド率いるスターアライアンスのメンバーだった。現在は日本航空とのコードシェアをしていたので、ワンワールドかと思うが、ともかくマイレージからバクダッド行きが捕捉される可能性はある。

 まあ、そもそも今回使ったフライバグダッドは、イラク発ということで、日本からはクレカが使えない仕様になっている(危ないよ!と注意喚起され使えない)し、日本のスマホではHPも開けない。彼にクレカなんかで購入したら、確実のその跡が残る。さすがに日本のクレカの使用履歴までアメリカ当局が捕捉するとは思えないが、ユナイテッド航空との提携クレカなんでやはり使うべきではないだろう。

 イスタからはトルコ航空も飛ばしているが、こちらはスターアライアンス。そもそも高い。一応日本でHPを確認したが、とてもではないが手が出せる金額ではなかった。

 というわけで、今回はイスタンブール到着後、航空券を探すことにした。そして幸いすぐに見つかった。すでにブログに書いたように、到着翌日の日曜に、タクシムの旅行会社で実にあっさり、翌日夜のフライトが確保できたのだ。

 以前の情報では、この会社のフライトは、サブ空港の扱いであるアジア側の空港から発着することになっていたのだが、新空港ができた今、メインの新イスタンブール国際空港発となっている。イスタンブール・バクダッド片道220ドル。一応、ここで現在のイラクの治安情勢を聞いたが、全く問題なく、アルビルからトルコまでバスも問題なく走っているということなので、片道だけ購入することにした。

 イスタンブール空港までは楽勝。本当にこの新空港からなのかと一抹の不安があったが、案内板で無事フライバグダードを確認。しかし、このホームページを開こうにも日本のスマホでは「危険だ」と表示すらされず、なんとか繋がるPCでも決済はバンされている怪しげな航空会社の扱いはこの空港では悪いようで、チャックインカウンターは一番端だった。

 カウンターに向かうと、隣のカウンターには行列ができていたが、フライバグダッドの方は閑散としていた。

 チェックインは難なく済んだ。すでに多くの先進国人がビザ無し(空港で取る)でイラクに渡っているのか、日本のパスポートを見て受付がバタバタすることもなかった。

 とりあえず、直前にチェックインを済ませていた家族に声をかけ、搭乗ゲートまで一緒にいくことにした。友達になっておけば、公共の交通機関のない空港からの足が確保できるかもしれない。

 果たしてこの下心丸出しの作戦は成功した。彼らはイラク人の5人グループで、現在はイスタンブールに住んでいると言う。青年ひとりだけがイラク国籍で、彼の妹2人と両親はトルコのパスポートを持っている。イラクではどこに行くのかと問われたので、まずはバビロン遺跡のあるヒッラに行くと答えると、「俺達もヒッラに帰るんだ。一緒に行こう」と天の声のような申し出を受けた。バグダッド市内どころか最初の目的地まで一挙に行けるなんて、どこまで運がいいんだとこの時は思ったが、そうは問屋がおろさなかった。

 幸い彼らの席は僕の前だったのだが、様子を見ていると、僕をいっしょに連れて行こうとする青年に対し、親御さんが難色を示したようだ。まあ、どこの馬の骨かわからない日本人をいきなり一緒の車に乗せるなど普通ではしないだろう。それに後でわかったことだが、彼らは今夜はバグダッドに宿を取ることになっていたらしく、宿を決めていない僕を一緒に乗せるのは難しいだろう。

「なにかあったら連絡してよ」

と結局青年は僕とFacebookの交換をして連絡だけは取れるようにしてくれた。

 飛行機の座席は真ん中席。通路側に巨漢の男がいたので、空いている窓側席に座りたいなと思っていたら、忙しそうに別の男が座ってきた。なにやら盛んにフライトアテンダントに話している。離陸直前に巨漢のほうがどこかへ行ってしまって戻ってこないので、どうしたのかと思ったが、窓側の男が席を変わったのだと言ってきた。おそらく、隣席が空いているこの男の席と代わっただろう。しかし、こいつはそれだけでは足りず、窓側席を要求。今、ここに座っているわけだ。まあ、それだけなら他人のすることで僕には関係ないから構わないが、この男は厚かましくも、一番全席の窓側席を要求。それを通してしまったようだった。

「私もまたあとで席を移動するだけど」と言ってきたその男はイギリスの外交官らしく、その権力を傘に来てフライトの度にわがままを言い倒しているようだった。

 ただし、彼は生粋の英国人ではなく、中東系のようで、英語はあまりきれいではなかった。彼の話ではイラクの治安は現在全く問題ないとのこと。現地で働いている外交官が言うのだからまあ、間違いないだろう。

 それにしても、天下のイギリスの外交官がこのキャリアを使うのも不思議だ。尋ねてみると、現在イギリスからイラクへの直行便はなく、ドバイでちょうど連絡するのがこの便なのだそうだ。

 深夜便とあって、機内食はサンドウィッチとコーラのみ。

 映画などの機内エンタメは無論ない。ゆっくり寝る間もなく、そのうち眼下に明かりが見えてき、バグダッドに到着した。例の外交官はいの一番に出ていった。

 ビザは小一時間で発給。どうやらeビザもあるみたいだ。宿泊先はネットで調べたホテルを申請書に書いておいたが、あれこれ聞かれるけでもなく、問題なかった。

 荷物を拾ってゲートを出たが、当然のごとく彼らは待っていなかった。

 発着のインフォメーションを見ると朝方までともにあるようなので、朝まで空港にいることはできるようだ。

 到着ロビーのベンチに横になる。いちど空港の職員らしき人に起こされたが、朝までここにいるというとなんの問題もなかった。

 朝、7時ごろ空港を出る。やはりバスなどはなさそうだ。最初に声をかけた奴は80ドルなどとふっかけてきたが、近くにいたポリスに尋ねると、タクシーを案内してくれた。

 

 ターミナルの駐車場にタクシーが溜まっていた。27ドル、もしくは4万ディナールで市の中心まで行ってくれるらしい。事前に調べていたレートで考えるとドル払いのほうが圧倒的に有利なんでドル払いにした。

 ガタイのいい若い運転手は、僕を乗せるとすぐに出発。ハイウェイを少し行ったところでなにかを忘れてきたらしく、側道を逆走して空港方面に戻った。空港を出てすぐの側道沿いに空港タクシーの支払い場があるらしく、小屋の前で停車し、僕が払った27ドルをその窓口に手渡すと、再び出発した。

 

 彼はもう何年もオランダに住んでおり、この正月に帰国してタクシー会社に職を得たらしい。オランダではオランダ語の他、英語などを勉強していたという。留学だったのか、避難生活だったのかは彼のカタコトの英語からはわからなかったが、ともかくもこういう若者が帰国したということは、それだけこの国が平和になったということだろう。

 

 とは言え、市内に入ると、やっぱりところどころ物騒な感じはする。

 

 でもまあ、車窓からは平和な感じはするけど。

 

 デモなんかもあったりする。後でここを通ってしまったが参加者がテレビレポーターから取材されていた。

 

 とりあえず駅へ。

 バビロン遺跡のある町、ヒッラへの列車の時刻を確認する。駅に入るにも入り口に荷物チェックを受ける。ただし、ポリスだか軍人だかわからない番人はフレンドリーでここにあるボックスの冷たい水は飲んでもいいとのことだった。

 午後7時のバスラ行きがヒッラを通るらしい。今は切符を売れないのでまた来いとのことだった。

 

 一応断りを入れて写真を撮らせてもらう。

 中国の援助でリノベーションされたらしい。

 この駅周辺が各地への乗り合いの車の発着点のようだ。ここではガラージ、もしくはガラージュという。

 

 立ち並ぶ露店の商品にもお国柄が。

 

 ともかくも町の中心に向かって歩く。バスや乗り合いタクシーを使いたいが、なにぶんまだ使い方がわからないし。行き先の地名もわからない。

 ともかくも今渡っているこの川が、教科書に乗っていたティグリス川だ。

 川を渡ると、戦争の爪跡だろうか、修繕中のビルが?

 

 橋には装甲車が鎮座していた。

 

 ともかくも市内をぶらつく。今日はこのまま列車でヒッラへ移動するのでバックパックは担いだままだ。

 

 とりあえず両替せねばならない。タクシーの運転手は「どこでもできる」というがそんなことはなさそうだ。

 通りにあった店で聞くと、向かいにあるよというので道路の反対側を見るとこの看板があった。

 正直、反対側からじゃパットみわからない。

  しかし、とにかく暑い。イスタンブールなど比べものにならない。とりあえず梅ジュースを所望。一杯500ディナール。50円ほどだ。梅は一度発酵させているみたいで、黒く硬そうな梅が市場でよく売られていた。

  見た目はアレだが非常に美味。

  このうだるような暑さの中、旧市街は車や人でごったがえしている。

 

  市場ではフルーツジュースも売られていた。

  メロンは絶品。こちらは1000ディナール。

 ティグリス川沿いには古そうなモスクが点在している。

  シーシャが売られているのもお国柄

 ともかくも現金チャージできたので、昼食にする。

 

  シシケバブを所望。

 日本と同じく、水は注文せずともタダで提供される。

  また、付け合わせとパンは何を注文してもついてくる。

  ピクルスが絶品。しめて3500ディナール。イスタのようなツーリスト価格などここにはない。

  バザールには手作り石鹸がならんでいた。

  お土産にひとつ買ってみた。

  スパイスも充実

 

 

ここでは魚と言えばコイ。

開いて炙り焼きにするらしい。

  ティグリス川沿いに栄えた町は、昔ながらの風情が残っているが、平和になり、いよいよインバウンドを迎える準備が進んでいる。

 

 マドラサ。この国の東大と言っていいムスタンスィリーヤ大学の前身である。

 

 ちなみに物価の安いイラクだが国が管理している遺跡や博物館は外国人一律25000ディナール。かなりのインバウンド価格だ。しかし、これが今やワールドスタンダード。

 このマドラサ周辺が旧市街の中心みたいだ。

 

 こんな歴史的なカフェもある。

 まだインバウンド価格にはなっておらず、ゆっくり過ごせる。冷房も聞いていたので1時間ほどうとうとした。

 

  イラクのワーキングアワーは昼過ぎまで。

 3時を過ぎると商業地区はゴーストタウンのようにひっそりする。

  羊の頭がドンと置かれた肉屋はまだやっていた。

 

  もうお腹いっぱいなんでオートリキシャーで駅へ。

 3000で乗ったが、2000ディナールくらいが相場みたいだ。

 

駅にあった路線図。現在はバグダッドより南の路線だけが旅客営業を行っている。

 

駅は立派だ。戦火をくぐり抜けて来たのか。

 

中国の援助で復興したため中国系のオブジェがあった。

 

出発1時間前にゲートが開いていたので乗車しようと進むと、止められ、パスポートチェックを受けた。何なんだと思ったが、30分前に乗客が一斉に呼び出され、荷物を地面に並べさせられた。

テロ対策の検査のようだ。荷物は開けることなく、犬がかいで回っただけだった。

買い物袋は、別の列に並ばさせていたが、食品が入っていると、犬の嗅覚の邪魔になるのだろう。

確かに列車テロなど起こったら、改善しつつある国際的信用ももろくも崩れ去っていくだろう。ある意味、これだけ厳重に警備してくれているのだから安心できる。

車内は非常にきれい。冷房もガンガンかかっている。

 

食堂車もある。

 

ただしメニューはこれだけ。レンチンでわざわざ食堂車で食べるものでもない。座席に持って帰って食べた。

結果的には、こんなのでも食べといて良かった。

2時間半ほどでヒッラに到着。

駅は町から相当離れたところにあり、最初ヒッチハイクで町外れまで行った後、その運転手が乗れと言ったタクシーで宿探しをしたが、結果的にはこれは失敗だった。かなりぼったくられた。最初の言い値は2万5000。それはないだろうと15000で手を売ったが、これでも相当ぼられている。


 ちなみにそのぼったくりドライバーはこいつ。

 厚かましくも翌朝WhatAppで連絡してきやがった。こいつの車には乗らないようにしよう。

 最初に連れて行かれたホテルは4万ディナールと相当高く町からも遠いから拒否。遠いホテルの方が、翌日も僕を客にしやすいと考えたのだろう。そして、代わりに紹介されたのがここ2万5000。

2部屋もあり、朝食付き。

もちろんクーラも効いている。イラクでは宿に冷房があるかどうかは死活問題だ。