「精神世界」という言葉を聞いた時、どう感じますか![]()
「あやしいなあ!」と思いますか![]()
世の中では、「あやしい」「うさんくさい」という感覚を抱く人が圧倒的に多いのかもしれませんね。
私はといえば、「精神世界」という分野には、ずいぶん前から興味がありました・・・
と申しますか、たぶん、もう、生まれてからずっと、その分野にしか興味がない、と言っても過言ではないのかも![]()
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や、演劇とか音楽とか芸術分野にも普通に興味はあるのですけどね。
でも、なんだか、それを隠さなければならないと感じてきたのですよね。
「みんなと合わせなければならない」と思い込んできたのですよね。
「変な人と思われてはいけない」って。
でも、自分は芸能界の話題とか、色恋沙汰とか、人の噂とか、ブランド品とか、女性誌に乗っているオシャレな話題とか、そういうものにはてんで興味がなく、周りの話題についていけなかったのですよね。
だから、自分のことをダメダメだと思っていました。
周りの人々とうまくやっていけないダメダメ人間だって。
高校の終わりぐらいから。大人になってもずっとそう思い続けてきました。
で、そのあと、かなりスピリチュアルな領域の人と結婚をして、普通に神さまの話とかできるようになったので、ずいぶん楽になったということはありました。
しかし、結婚生活は一筋縄ではいかないものがあり・・・
裕福になるつもりが、どん底の極貧へ・・・(笑)
そこから本格的に、「しあわせになるためにはどうしたらいいのか?」と、真剣に学びを始めることになったのでした。
こうして振り返ってみると、
あの川崎で過ごした どん底だった生活からよくここまで生きてこられたもんだ、と感心します。笑
詳細は省くけど・・・
でもね
あの時の学びがあったから、今の自分があるんだなあって思う。
「しあわせになるためにはどうしたらいいのか?」
・・・
今みたいにネットが普及していたわけではないので、情報は少なかったのですが、それでもネットから情報を仕入れたり、いろんな本を読み漁ったりしました。
小さな娘を連れて関東から福岡の実家に戻ってきてからの話です。
2つも3つもパートを掛け持ちしながら。
修行みたいなのも、かなりやりました。
心を見つめる修行とか、瞑想とか、滝行とかも、先生に就いて、かなり本格的にやったし
独自に、「こうするといいよ」って言われていることを、片っ端から試していきました。
ありがとうを唱えるとか、天国言葉を言うとか、アファメーションと唱えるとか、感謝日記をつけるとか、夢をノートに書くとか、塩風呂に入るとか、石を身につけるとか、お金を大事にするとか、新月満月の儀式とか、お祈りするとか・・・。
中でも、心の仕組みや潜在意識のことを学んだことは大きかった。
ほとんど独学だけど。
そして、ありとあらゆる「いまやってみたい、いま自分ができること」をやってみたのでした。
個人セッションを受けたり、ワークショップに参加したり、お茶会に参加したり、講座を受講したり、スピリチュアルなイベントにもたくさん足を運んで・・・。
かなりなジプシー![]()
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でも、このころの体験がいま生かされていることは確か。
思い返してみると、ここで、それまでにかじってきた「しあわせになるための法則」の第一弾を体験することになったんですよね。
それまでは、ずっと何年も「お金がない!」「ないからなんにもできない!」って言ってたのに、
ある地点で魂が爆発して、「やりたいことやる!」に変わった。
そしたら「いまあるお金でできることをやろう!」と考え方が変わって、
そこから現実が動き出したのです。
できないことを前提にするのではなく、どうしたらできるかな、と考えるようになった。
使う言葉が変わり、意識が変わり、行動が変わった。
「このお金をとっておかないと・・・」と先の心配をするのではなく、できる範囲で、本当に自分を喜ばせることにお金を使うようになったのです。
そうしていくうちに、どんどん「精神世界」に関わる仕事をしている人たちとの人脈ができていくことになり、だんだん、スピリチュアルなイベントを開催する側としてアシスタントなどのお手伝いをするようになり、また学びも深まっていきました。
やがて、見渡してみると、何にも自分を隠さなくていい人々ばかりに囲まれている。
好きなだけ精神世界の話をしていいのです。
それまでの自分から見たら夢みたいなしあわせ感(笑)
このブログを書き始めたのは、そのあたりからです。
だから、このブログは、私の軌跡でもある。
えっと、
何が言いたかったかというと
精神世界というのは、よく「スピリチュアル」という言葉で表され、怪しくてうさんくさいものとして扱われることが多いし、現に、怪しくてうさんくさい人がいるからそう思われてしまうことも仕方ないと思うけれど
私からしてみれば、精神世界というのは
表裏一体として、この現実を支えている世界であり
精神世界のお話抜きでは現実のあれこれを語ることはできないものだと思っています。
そして、本当に、私があの頃読んだ本に書いてあることは本当だったんだな、と実感しているし
自分がやってきた修行とか勉強とか、試してきたことは、ぜんぶ身になって、今の私につながっています。
何ひとつ無駄なことはなかった。
これからは、自分が体得してきたことを、過去の自分と同じような人に伝えていきたいと思う。
これからは、精神世界のことがますます明かされていくことになると思います。
そういうことを信じない、物質が全て派の人もいて、そんな人たちと共存していくことになる。
物質的には同じ世界にいるのですが、次元がちがってくるので、体験することがちがってくると思うのです。
だから、私たちは、どこに目を向けていくかが大切なのです。
いま、過去の私のように、離婚したり、離婚したかったり
その他もろもろの事情を抱えて
明日のことが不安で仕方ない、お金のことが不安で仕方ない人・・・
そんな人も、大丈夫です。
この現実の中で、意識をどこに向けていくのか。
そんな意識の使い方で、現実を変えていくことができます。
意識が変わると、使う言葉が変わります。
もしくは、言葉の方から変えていくのもアリです。
意識と言葉と、それに沿った行動。
それが魂の願いに沿ったものならば、かならず現実は動きます。
つまり・・・
どれだけ現実を動かすことができるかは
どれだけ魂の声を聴くことができるかにかかってくる、ということになります。
だから純でいることが大切なのです。
不安や恐怖、欲などが混ざってしまうと、魂の願いからは離れてしまう。
でも・・・そうなってしまっても大丈夫。
不安や恐怖や欲に苛まれてしまうことも、人間だから必ずあります。
そしてそんな時は、ちゃんと知らせてもらえます。
目の前の現実が、とってもわかりやすくメッセージをくれるのです。
ユーミンの歌にあるように、「すべてのことはメッセージ」なのです。
そのメッセージを受け取って、
自分の心をもう一度確認する。
不安や恐怖をまずは横に置いておいて
私は何を求めているのだろうって。
そうやって自分との対話を続けていくと、純真な魂にぶちあたる時がくるのです。
そんな時は涙が溢れます。
愛が溢れます。
私たちはそんな存在です。
さいごに・・・
「しあわせになるためにはどうしたらいいのか?」
の答えを求めてきた私ですが、
いま、誰かに「しあわせになるにはどうしたらいいですか?」
と問われたら、迷わず
「いまあるしあわせに氣づくことです。」
と答えます。