仕事の関係の手上げ式研修で、

「デザイン思考」

がテーマになることがある。

ここでいう「デザイン」の定義が、一般的な日本語とは違っていることからして難しい。

私が理解した範囲でいうと、

デザイン=科学=再現可能
という、
「他者のため」にフォーカスした客観的なものがデザインなのだという。


「デザイン」とは対義的に示されたのは「アート」であり、自分が良いと信じた提案(思い入れ)を発信し、世界観を打ち出していくこと。

美術史専攻の私としては、そのビジネス用語上の分類について「?」となる部分はあるが(ウォーホルやデュシャンや森谷などをみると50年前にはすでにアートはデザインされてしまってる(?))
言いたいことは分かった。

つまり、
デザイン=「他者のため」ありき
アート=「自分の世界観」ありき
ってことだろうと思う。

だが、
デザイン思考は、何が他者のためなのか?を設定し間違えると、容易に「押し付け」となり、

アート思考は、どこにニーズがあるのか?に鈍感すぎると、容易に「独りよがり」となる

危険性がある…という。


これ、高度に心理学的な視点だと思った。

現在のビジネスは、高度な心理学的・精神分析的視点がないと
改革できないし、
勝ちにいけない
ってことか。

以下の感想は、私の性格が曲がってるからだ感じることなのだとは思うが

ひとつ思ったのは、
デザイン思考で語られる「共感」の胡散臭さ

何か?というと、
「私は貴方に共感してますよ〜」
などと言う種類の人間は、

実のところ、
「貴方は私が「貴方がこう思っている「はず」だと思っている事に、空気読んで貴方の感じ方をコントロールしてくださいよね?じゃないと、私の読みが外れたことになるじゃないですか?私に恥かかせるんですか〜?」
という言外の支配を滲ませている事が多い。

このような奴らを「「共感」攻撃遣い」と私は呼んでいる。

そんな「共感」されるくらいなら、
放っておいてほしいのだ。笑い泣き


「あなたのため」
とか言う奴に限って、
「あなたのためになることが分かるこの賢い私の言う通りにしろ」
みたいな支配欲人間が多いのは事実。

いいかげん
「あなたのため」恐怖症
になるぞボケが‼️


「共感」の危険性
暗にコントロールしていないか?

共感を、人心掌握の手段にする人たち

そんな人たちに、
真の共感など出来ないだろう。

しかし、そこに言及してるデザイン思考講師は、あまり居ないみたいだ…


再現可能
ということは、
大量生産可能
ってことだろう。

なんて失礼なことか。

人の心は、
そんな共通言語に翻訳されるほど、本来単純じゃない。

割り切れないから面白い。
「共感」なんて技法の最大公約数で
勝手に約分しないでよね‼️

それ、分かった「つもり」になってるだけでしょ

人の心は毎次毎分毎秒オリジナルで
他人なんかにはわからない聖域を必ず持っている。

そりゃ、
デザイン思考の有用性は分かる。
しかし、
だからこそ言い続けたいんだ。

アートたれ指差し