一般的に、

「繊細」とは、

「傷つきやすい」

みたいなニュアンスで受け止められがちだと思う。

おそらく、巷で

「繊細さん」

とかいうワードが流行ったりしたからだと思う。


しかし本来人に対して「繊細」という時の繊細とは、単に、


「割り切れないことを感知する分量」が、

「割り切れることを感知する分量」よりも

多い


ってことではないかな?


自分が感知した物事を、

言葉や置き換え可能な概念で「割り切る」

ことができれば、

頭が整数解でスッキリするんだけど、


その割り切れない小数点以下が、頭の中で氾濫しがちな人=繊細


であり、


別に繊細だからといって、感性が優れているというわけではないと思う。


多くのものを感知していても、それをその分割り切れたら、

割り切れない微細な数は、残存しなくなるわけだから、

繊細でなくとも、感受性は高い可能性は、大いにある。


割り切るための公式を用いるということは、ある意味「裁いてしまう」から、敢えて整数解にしない


という場合もあるので、

整数化しないことが、言語化スキル、帰納スキルが低いこととただちにイコールにはならない。


その、割り切る際に自身が用いている数が、

刷り込まれた偏見や、くだらない常識や、その他の真実由来ではない何かではないか?

と思うと、そうそう割り切れないんだと思う。


微細な割り切れない数が頭に溢れることが日常になると、ストレスは比較的溜まりやすくなるとは思うので、

その分、ある意味、生きづらくはなるとは思う。



割り切れないことをそのままにする思考の割合が高いことについて、わたしは

「繊細な人だ」と形容している。


おそらく、世間一般での認知方法とズレがありすぎることにより、消耗しやすいことについて、


側から見たら「傷つきやすい」ように見えるのかもしれない

とは思う。


いわゆる「繊細さん」

のイメージで語られてる

「繊細」

と、

私の考える「繊細」

の定義が違ってて、

なんか混乱する😵‍💫