ボイスメモから文字起こししていますので、口語調ですみません不安



自分の考えていることとか、自分の意見を人前で話すことに対して、とても苦手意識がある。
話をちゃんと起承転結組み立てて相手をわかるような順序で持って説明するっていうことが私は多分難しい。
自分の認知方法が、そういうふうに順序立てて論理立ててないから、なんかその、「なんとなくそう思う」とか「なんとなく直感で」とか「なんとなくインスピレーションで」みたいな、
理由のないよくわからない認知方法でもってして、自分がその物事を認識して、しかも、それで行動に移すっていうわけのわからない人間だから、
合理的に理由があってこうなってるっていうふうに言えないからっていうところはある。
だから、どうせわかってもらえないと思ってしまうんだよね。
水面下ではいろいろ自分なりの理由はあるんだろうけど、順序立てて1234みたいな形で説明できるようなものじゃないから、
もうね一、1掛ける3割る4みたいなwよくわからない、いや、もっとよくわからないな、
もうなんかもうカオスだよね。
そのそのカオスをどう言語化すればいいのかわからないから、そこでパニックになっちゃって。
人に説明するときに、どう言えばいいんだろう?

嘘つくしかないよね、そのごちゃまぜを、人にわかるように説明しようと思ったら。

そしたらなんか本来の気持ちとは、違う形になってしまうから、嘘になる。

嘘つこうとしてないのに、嘘でしか人と会話できないってことになってるから、
そこの苦手意識がエグいよね。

で、それってなかなかわかってもらえないことだから、単に嘘つきって思われるってまた恐怖だよね。

そこで頑張って、自分なりに言語化を無理やりしても、嘘つきって思われるんだったら、何も言わなくて黙ってた方がよくね?
みたいな。

そう思ってしまうような経験が積み重なって、もう人前で何か自分が説明しようとか、自分の思いを伝えようとかいうこと自体に対して無力感が伴ってしまってるっていうふうに思う。

今ここで、誰もいないところで、ボイスレコーダーに向かって説明することはできるのに、
いざ他人を目の前にしたのにした時になぜか、もう心が先に折れてるから、言えなくなる。
何にも言えなくなる。

人の眼差しを向けられながら、人の時間を取らせているっていうプレッシャーをかけられながら、自分のために相手の時間を割かせるっていうことができないんだよね、多分。
もうプレッシャーだよね。それが苦しい。

相手に自分が信じてもらえないって思ってるのは、自分で自分を信じきれてないから
とかってことではない。

自分で自分を信じてるんだけど、
相手も自分を信じてくれるとは限らないから、
「自分で自分のことを信じられてたら、それでいいじゃん。人に信じてもらう必要はなくない?」ってどっかで思ってるよね。

だから、その他人とのコミュニケーションに対して積極的になれないところがあるのかな?
もう自分の対話相手が自分しかいないってずっと思ってきたから、今更人に理解してもらおうとか、あんまり思えてないのかな?

でも、カウンセラーさんに対してはスラスラ出てくるよね。言いたいことが。

そういう場ではちゃんと言えるんだよ。
「ここはあなたがちゃんと料金を払って、あなたの言葉で語っていいですよ」ってことが保証された空間ならば言えるけど、(まあ、それでも充分に伝えることは難しかったけども)
そうじゃない時に、
人から眼差しを向けられることが怖い。
人の人生の時間を奪うことが怖い。
この二点がとてもネックになっている。

そこで尻込みしてしまう。怖気づいてしまう。逃げようとしてしまうから、自分の意思を表明することが難しくなってる。

そこもまあ、マイノリティだよね、多分ね。
一般的ではないよ。
だから、共通項が少ない以上、またそこで言葉にを使ってのコミュニケーションが難しいっていう難易度をまた上げているよね。
っていうところをまず自覚するところからだね。

緊張感に浸されるよね。
それ、どう対策したらいいのかわからない。
もう脊髄反射っていうか、自分ではコントロール効かないレベルのところで恐怖を感じているよね。
なんでそうなるのかな?

その恐怖を押し込めて押し込めて、
「普通の人です」みたいな、
「平気です。私はそんな普通のこと、普通にできます」みたいなことをしている時って、なんか空回ってて、なんか浮いてるっていうか、自分の気分が乗ってないっていう意識があるでしょう?
だからなんかいつも嘘くさいっていうか、
もう仮面かぶっちゃってるってことが鋭い相手にはわかってるよ、多分。
鈍感な人には気づかれないけど、
時々いるでしょう?なんかそういうの気づいちゃう人。
そういう人に見破られてるっていうのが怖いよね。
もうそれぐらいなら黙ってたいよね。
逃げたいよね。

だって仕方ないじゃん。
自分でも自分の気持ちが順調立てて説明できないよ。
言葉に言葉で変換できないんだもん。
自分の気持ちなんてカオスだようんだから、やっぱり言葉っていうことに対して疑いを持っている。
まず、言葉自身を信頼できてないんだろうね。

言葉は、その背後にあるイメージを伝えきれるものではないからねやっぱり。
言葉ってでその背後にある膨大なイメージっていうのが自分を成すものだって思ってるから。
そこは言葉と相入れないからね。
うん、やっぱりそれが自分が感知しているレベルでをカバーできる言葉がないって思ってるから。

別にそれは、言葉を馬鹿にしてるとかじゃないよ。

なんだけど、自分の言語化能力も結構乏しいっていうところは苦手意識はあるよね。
だから、言語化が上手い人だったらできるのかもしれないね。
だから、言葉自身を責めることはできないよね。私の能力の問題かもしれないからね。
だけど、やっぱり、
そこをどうにかしないと、コミュニケーションって難しいから、そこで多分コミュニケーションに対する苦手意識が生じてる。

相手の言語化されない気配を察するとかは、多分私上手い方だと思う。
逆にそこに頼ってしまってるから、いざ言語でやり取りしようとした時に逆に困っちゃうんだろうね。

言わなくてもわかるような部分でジャッジしようとしてるからね。
それだったら誤解を生むじゃねえか?っていう意見もあるけど、でも、言葉でやりとりしてても誤解は生むよ。
やっぱりそこは、向き不向きだよね。

ただ、やっぱりそれは主流派ではない。
みんなやっぱり言葉でコミュニケーションをとることが、正統派っていうか、コミュニケーションの主たる手段だってみなしてるのが、社会の一般的な常識であって、
だから、非言語的なノンバーバルコミュニケーションにもう80%以上を依存している私はとてもマイノリティって言ったらマイナリティなのかもしれない。
野生動物か?みたいなw

だから、そこをの差をどう埋めるか?っていうところを、
やっぱりそこに差があるってことを、まず認識することが必要だよね。
なんかまあそこ騙し騙しいってるよね、今までね。
誤解されても仕方ないか!ぐらいで半ば投げやりに言葉でのコミュニケーションを行ってるよね。「あ、また誤解された。まあ仕方ねえか」みたいな。
だから、その失敗経験が積み重なりすぎて、コミュ障がコミュ障を呼んでいるというかw

本当に癒されるのはイルカショーとか、猫カフェとか、まあそういうとこなんだよね。
なんか人間を相手にしないところでしか私は本当に癒されたと感じられない。

キャンプファイヤーとかの火を見て、水の流れを見て癒されるとか、やっぱり人間以外のところに何かを求めてしまうところがあるよね。

本質的な何かを、人間関係以外のところに求めてるから、
そこもまあマイノリティだよね多分ね。一般的ではないよ。
多分、だから共通項が少ない以上、またそこで言葉を使ってのコミュニケーションが難しいっていう難易度をまた上げているよね。

っていうところをまず自覚するところからだね…