何故か好きなアクセサリー類がある。

「メダイ」ってやつである。

(金目鯛ではないw🐟)


一番最初に手に入れたのは、

もうかれこれ5年ほど前、山口に行った時に、ザビエル教会?みたいな名前の、小高い丘の上にある白いデカい教会で見つけた、マリア様のメダイだった。

(なんと、120円くらいだったw安っ!ww)


なんで山口でザビエル教会やねん?と思うが、

ザビエルというと出島のイメージだが、なんと山口にも縁があったらしい。


その白亜の教会は、なんかでっかいパイプオルガンがあり、もし演奏が聴けたらさぞ荘厳だろうと思った。


その教会がある丘を登り切ると、なんか毛利家の将軍とかの銅像がたくさんある綺麗な展望台があり眼下に山口県庁があった。


その丘の一帯は、とても環境が綺麗で、感じの良い美術館、吹奏楽が聞こえてくるレンガづくりの建物や、葛の生い茂る小川などがあり、ひっそりした散歩道では、スカイブルーの目にキツネ色の毛をした可愛い野良にゃんこが木立の中、蝶々を追っていた。

天国なんてイメージ沸かないのにおかしいんだけど、なんかそこは天国を思わせるようなところだった。(にゃんこ好き天国)🐈


その不思議に心落ち着くレトロで閑静な街並みを思い出すアイテムだから、


特にクリスチャンというわけではないのに、そこで手に入れた120円のメダイを今も大切にしている。


私の名前の由来が、マリア様だという話を聞いたことがあるという理由もあるが

(名前がマリアというわけではないが、響きが同じ。てゆーか、親もクリスチャンではないはずだがwなんでやねんw)


それ以来、メダイを見つけたら集める習慣がついてしまっている。


不思議なもので、たしかにメダイとは、

身につけるだけで守られているような気持ちになるアクセサリーである。


クリスチャンでもない奴が、何言ってんだと怒られるかもしれないが魂が抜ける



しかし、あまりメダイを売っている教会に出くわす機会などない。

ここは長崎ではないし、

そもそも、行くとしたら教会よりも神社や寺の方が多い(日本人ならたいていはそうなるだろうが)


メダイのモチーフは、やはりマリア様のものが一番多いらしい。


昔、フランスの修道女が天啓を受けた際に天から指示されたモチーフがマリア様だったから、という理由らしい。


18金でできたメダイなどはそれなりに高いが、

普通の合金のものは、それこそ数百円足らずで買える。


私の手持ちのメダイも普通の合金のため、身につけることで汗と反応してしまうのか、裏側のMとクロスのモチーフが銅錆色(翡翠みたいなグリーン)に染まってしまっている。


なので、金はさすがに高すぎて手が出ないが、

それ以降のコレクションは、できるだけ銀製を選ぶようにしている。(とはいえ、合金よりは高い)

(メダイは、マリア様の他にも、聖人や天使(4大熾天使)のモチーフなどがあるようだ。)


たとえメダイでなくとも、アクセサリーには、


「思い出を思い出すための記憶装置」


「守られている感覚を思い出すためのタリスマン」


のような触媒的効果があると思う。


そのような意識づけは、救いだと思うことがある。


孤独に耐える人生の中では、まるで、絶海の中で自分だけの無人島を見つけたような安堵感をもたらす。


あくまで物質ではあるが、

だからこそ、目に見える形で精神を定着させてくれるもの。


まるで他人よりも人間のようだ、と思う。


他人の心のように実態が不確かな何かではなく、

確実に過去自分の中にあったもの。

その「確かさ」が定着されているという限りにおいて、自分により近しいもの。

(あくまで自分がちゃんと人間であったと仮定しての話だけど)


かつてそのフランスの聖女も、もしかしたらそんな気持ちだったから、預言を見ることができたのかもしれない。

何も物質界には反映されなないのではないか?という疑念を晴らし続けないと、生きていけなかったから。


おそらく人間にはタリスマンが必要なのだ。


それがマリアのメダイなのか

愛した人の骨で作った宝石なのか

香木の数珠なのか

形やバリエーションはどうあれ関係なく、


思い起こさせる起爆装置が、必要なのだ

…(?)





なんか盛大に話逸れたけど爆笑 


要するに、

「アクセサリーって思い入れありきだよね!」


ってことが言いたかったんス

(↑回りくどさ100%かよオエー)


みなさんは、

自分だけがその思い入れを把握してる、

特別なアクセサリーは持っていますか?


それは、どこで手に入れた(もしくは誰にいただいた)ものですか?


それを思い出したら、自分が何に価値を感じているのか?を知る手がかりになるのかな?

って思って、問いかけたかった。



わたしは、


マリア様にゆかりのある名前をつけてくれたのも、あの親だったんだな


ってことを思い出した。


まるで、あの白い教会のある丘で吹いてたそよ風みたいな感覚におちいる事実。