バレエ教室で、他の人のバリエーションレッスンを見学していて、気づいたことがある。
同じ振り付け、同じくらいのテクニカルレベルの人同士でも、
自然と目が追ってしまう人と、
目で見てるだけで途中で脳死してしまう人
がいる不思議。
これは、映画を観る時でも感じることだ。
「この役者さんが出てるだけでなんだか傑作の予感」というか、作品に不思議な説得力が付与されていると思える役者さんと、
役者さん自身の意志や知性にイマイチ引力と説得力が足りないために、もはやシナリオ自体が生きてこない勿体無い役者さん
両者の違いはなんだろう?と考えた。
ここからは100%主観なんだけど、
前者にあって、後者にないもの
について書き出してみようと思う。
①作品世界観を自然に掴む直感力
②作品世界全体の中での自分の位置を常にとらえる俯瞰力
③超越的なものを畏れず降ろす憑依力
上記条件が揃った時に、虚構を描く中にもリアルよりリアルな芸術が完成するのかもしれない、と思う。
①ができない人は、上品さと知性が伴わない感じに、品性が下がって見えてしまう。
②ができない人は、①がうまくできなくなってしまう。
③ができない人は、作り物感が拭えず、見る人がちゃんと作品世界に没頭できない。
でも、これらは、どれほど魂を燃焼させるんだろう?
おそらく、もともとのパワーや品格が相当高くないとできない。
芸術って、やはり人を選ぶ分野なんだと思う。
しかし、
選ばれた人って、自分で自覚してるんだろうか?
してない可能性あるよね。(才能って、無自覚なものだから。)
しかし、意識的にやれてるとしたら、それも相当すごいことだから、もはや才能と呼ぶしかない才能だよな…
例えば、
村瀬歩さん出演してると、なんか作品世界自体が重奏的になるよな〜?
なんだあのポリフォニー?
みたいな(形容が難しい…)