私がまだ中学生だったころのこと。
週末、1時間以上かけて県庁所在市まで、ピアノ教室に通っていた。
そんなレッスン帰りのある日、仕事から帰ってきた母に
「あんた、もしかして、その格好でピアノに行ったん?」と軽蔑気味に問われた。
私は、木綿でうす桃色のユニクロの無地のTシャツと、ベージュの無地の膝丈のショートパンツを履いていた。
母は「そんな格好で…恥ずかしい!」
と言われた。
私は、別にパジャマでも部屋着でもない、ちゃんと普通の日常着を着ていたのに、なんで母が怒るのか理解出来なかった。
母は、おそらく、ベーシックすぎる無主張な服は、服ではない、と思っているのだと思われる。
というのも、
母が買ってくる服は、いつも過度に装飾的で、「所謂女の子らしさ」を体現したような服が多かった。
ピンクのハート柄のサマーニット、フリルがあしらわれたマーメイドスカート、さくらんぼやりんごの柄のハートネックのプルオーバーなど…
そんな可愛い服買ってくれるお母さん、素敵じゃない?
って言われるんだとは思う。
けど私は、
時々、そんな服を着るのが無性に疲れる時があった。
外から求められている自分像を無理矢理お仕着せられているような…
母は、実際、私の好みなど尋ねもしないまま、私の意志にお構いなしに、「もし自分が若かったら着たかった服」を買い、着せようとしてきたから。
それが微妙にバブル期の洗礼を受けたセンスで選ばれた服であるためw明らかに派手派手だったから、友達に会う時も微妙に恥ずかしかったりした。
だから、そんな着せ替え人形を逃れられる服は、キャンプ用に買ったその無地のTシャツとハーフパンツしかなかった。
今でも、普段着ている「偽装おしゃれOL服」より、
休日に着る、おしゃれでもなんでもない、無個性かつ無主張の、ありのままのシンプルな服を着ている時の気分が、一番好きだ。
外からの眼差しに、翻弄されない自由を、そのまま纏える服。
スナフキンになりたい…と定期的に思うんだけど、そんな時は、おそらく、その無駄ファッション武装解除のタイミングなのだ。
ということで、
私はダサダサを肯定します‼️
(どーゆー宣言やねんw)