※閲覧注意だよ※魂が抜ける


(理由)なんか疲れ気味のゴリラが騒いでるため



🦍ゴリラは檻に帰れ!って思ったまともな人は、読まない方が良いよ❣️w






カウンセラーさんが何気なく発する言葉に傷つく。


「そりゃあ、男の人なら、結婚するなら、(虐待されていない)普通の家庭の女性が良いと思うでしょうね。」


カウンセラーさんは、私の精神状態を、その言葉を聞き流せるくらい強いと思ったのかな?と思う。

現に、その時も私は平気な顔で「そうですよね〜」ってヘラヘラしてた。


そんなふうに、私は平気なフリが我ながら本当に上手い。

いつもそうだ。


本心では、その言葉にとても傷ついていた。

「私だって、好きで虐待家庭に生まれたわけではないのに、カウンセラーに対してまでそんな風な「初めからキズモノ扱い」に甘んじなければならない事実が、一番辛い」

って思った。


カウンセラーさんはいう。

「私は、今では親が大好きだよ。自分が変われば、親との関係も変わる」


私は、また笑顔で「そうですね」という。

心のどこかでは、「そのようなマトモな会話が通じるような親を持たなかった人の気持ちは、わかってもらえないんだな…」と孤独を深めている。



カウンセラーとはいえ、やはり人間なのだ。


カウンセリング相手をその人の等身大で向き合うというよりは、


他人やカウンセラー自身と「比べている」


比べられることで矮小化される感覚

その感覚から逃げ出したくてカウンセリングルームに通いだしたはずだった。

それなのに、また、「比べてくる人」に行き当たったのだ。


どこか、「カウンセリング受けにくるような類の人」という線を引かれているのかもしれないと思うと、

お金を払ってまで傷つきに行く自分はマゾのど変態なのではないか?と思えてくる。


考えてもみたら、どこにも歪さのない人は、かえってカウンセラーには向かないのだ。


「自分は歪さが「比較的」マシなはずだ」と思いたい人が、

「明らかに自分よりは歪らしき人のことなら導けるはずだ」

と思って開業するのがカウンセラーという職業なのかもしれないからだ。


現に、カウンセラーに対して、

「この人、自分の優位性をたびたび確認しているな〜」と微かに感じることが、よくあるからだ。

それは自然、上から目線だ。


救ってるフリでも、救ってるフリもしてくれない人よりはマシだと思う人が、カウンセリングなんかを受けるのかもしれない。


かえってフリでは傷つく人は、おそらくカウンセリングは向いていない。

全てが演劇的な演出であり嘘なのだと思ってしまったら、全て白けてしまうから。



私だって、本心ではちゃんと嫌だ。


なのに、その場では、なんの問題もないように振る舞ってしまうのだ。


親に対してもそうだった。

どんなに理屈の通らないことを言われても、

どんなに酷いことをされても、

私は何故か、その場の空気を収めることを最優先に、なんでもないみたいな顔で笑ってしまうのだ。


その結果、

境界線を譲り続けて踏み込まれて、

プライドは落として落として落とし疲れて、

気づいたらいつの間にか、地面で汚いダンボールみたいに踏み潰されてる。


この現象、本当に本気で自分でも不思議だ。



本当なら、怒り出したい。


「もう私を何とも比べるな!」

「いつもいつもいつもいつも、どいつもこいつも、知ったつもりで上から目線で抜かしやがって!」


驚くかな?

それとも、「エディプス水準の患者だったのか…」とか、変な心理学概念もちだして、相手を上手く線引きし直す事で自分を守ろうとするんだろうか?


本当に気持ち悪い。


カウンセリングも、

カウンセラーも、

そんなものに期待した私も、

本当に無駄すぎて、ぜんぶ気持ち悪い。



懺悔も告解も、すべて自分の心の中ですべきだったんだ。

人を頼りにするなんて甘えが元凶だったんだ。



私の悲しみは、私にしか分からない。

考えてみれば、それは当然だ。


それが身に染みてわかった授業料だと思っておこう。