↑の件以降、班長のご配慮により、そのオッサンとは職場で話をしていない。
相変わらず、キーボードの音や独り言はうるさいが、直接会話することがない分、表情筋が消失することはなくなったので安心している。
しかし、私の心理状態として、なるべく職場に居たくない気持ちが強く、昼休みの時間などは時間一杯、離れるようにしている。
そうしないと、なんだか辛くなるからである。
表面上は、そのオッサンのモラハラ態度は、みんな黙って我慢している。
そのオッサン自身に、自覚はない。
だから、これは謂わば、「見えない害」である。
見えないことにされている被害だから、公に訴えられはしないのに、
ストレスは確実に日々降り積もる…
とても理不尽な状況だと思っていた。
でも、常識的な管理職が理解を示してくれるから、ギリ我慢ができている。
良い上司で本当に救われたと思った。
というところまでが前置き(長ェよ)
今日の話題ですが
そのオッサンが、つい先日、コンビニの駐車場で脇見運転の自転車に激突され、膝を強打し、地味に疼痛に苦しんでいるらしい、
との話だった。
その脇見運転の相手は小学生であり、めんどくさいので連絡先も聞いていないとのことだった。
私はこれを聞いた時、
「なんという因果応報だろう」と思った。
無意識のうちに人を傷つける人は、
無意識のうちに人に傷つけられるのだ。
罪が自動的に贖われるように、この世界はプログラムされているのかもしれない。
気のせいかもしれないが、年々、因果応報までのタイムラグが少なくなっている気がする。
10年ほど前までは、このプログラム発動が2年くらいのイメージだった。
しかし、今回は2週間で発動したわけだ。
世の中全体のスピードが早くなっているのか?
精神状態の物質への干渉スピードが早くなっているのか?
わからないけど。
だから、全て、因果応報なのだ。
見えないプラスも、
見えないマイナスも、
ちゃんとプラマイ0になる。
ならば、
神なぞいなくとも、それだけで
この世界にはちゃんと「救い」は存在している。