今日、起きたら8時2分だった
仕事が始まるのが8時30分なので、8時15分には家を出なければいけないのにw
私は雑な性格なので、支度は間に合うが(化粧を眉毛と口紅だけに簡素化)w
目覚ましは6時と7時にかけているはずなのに、おかしいなと思う
基本遅刻はしないので、早起きする必要がある時には早起きできる。
なのに、自分はいつも必要最低限の時間を残したギリギリに起き出してしまう。
…何故なのだろうか?と考えてみた。
仕事の時間が迫ってるから仕方なく、押し出されるようにして起きる日々。
積極的には起き出したくはない。
多分私は無意識の深い階層で、
「起きる必要性が分からない」
と思ってるからだ、と思った。
「眠る必要性」は、分かる。
眠くなるから、お布団が恋しくなるから、眠るのだ。
なんならもうお布団と結婚したいくらいお布団が大好きだ(突然の告白w)
余計なことを言わずに包容力のみカンストしたお布団は、理想の恋人の条件をどんな人間よりもクリアしている。
話逸れたけど、
この眠りと起床の関係は、生死の関係ともどこか似ていると思う。
人は、自分で自分を生み出すわけではないから、
私は私がなんで生み出されたのかわからない。
だけど、自分が死ぬ蓋然性については、毎日感じている。
生まれる必然性はわからないけど、
死ぬ蓋然性はわかる。
生き始める時の
I was born
は受動型なのに、
しかし死ぬ時になったら、
I die
で、ぬるっと能動型
この不均衡がすでに怖い。
だから、私は毎日目覚めるたびに、起きる理由がわからなくなる。
「私が死んだら〇〇が悲しむだろうから」
って思うのは、ただの個人の「思い込み」でしかない。
だって、誰が死んでも、次の日からも世界は、まるでその人が最初からいなかったかのように、問題なく続いていく。
だから、生きる理由を、自分の外側に求めることなどは不可能なのだ。
他人が自分を必要としているだなんて前提は、所詮は思い込みという名の妄想だから。
故に、
自分を毎朝生まれ直させるための理由は、
自分で自分に毎日授け続けないといけない。
人生という名の、
息してるだけで「毒杯わんこそば」状態
の中、ちゃんと根本を保ち続けないといけないのは、なにげにかなりの鬼ゲーだと思う。
キリストは、目的があったから復活なさった。
地面と水平になれる棺を後にして、
地面と垂直に立ち上がられた。
毎朝、私たちに起こっていることは、実はこの復活劇とかなり近似の現象ではないか?と思う。
毎朝、お布団という名の棺からの「復活劇」を果たすために、
私は毎朝立ち上がる理由を探してる。
垂直になる意志…?
垂直にならないと感じられないのが重力の重みならば、
この重力を感じたいから、私は生きてるのかもしれない。