以前の記事で、私はどうやら結構ガチめのHSPってヤツらしいww
ってことは書いたと思います。
今まであまり目を向けないようにしてたんだ。
なんか、ありありと自覚するのは怖いじゃん?って思って。
しかし、じゃあ、いざ、ちゃんと自覚して、エレイン・アーロン氏の本など、HSP関連書籍を読んでみると、
「これマジでオイラのことじゃね?」
って言い当てられてる感すごい。
そして、
「同じ悩みを持ってる人、少なくとも世の中に5%はいるらしい!一人じゃないんだ!」
と思えたことと、
世界的にはかなりHSP関連の研究が進んでいるようで
「どうすればHSPの人の悩みが減るのか?」
というヒントについても提示されているらしいことが、新たな学びだった。
真っ暗な道に、ポッと灯りが灯ったみたいな。
私はずっと、
「普通のことが普通にできない自分」
を恥じてたから、自分の特徴についても、直視せずに、押し隠そうとしてきていた。
そんな自分自身についても気づいた。
私は普通のことが普通にできないところがあるから、いつも体面を求める親に否定され続けてきたし、
私は普通のことを普通としてスルーできないから、親とも決裂してしまったのだ、という失敗体験がキツかったのだろうと自己分析する。
生い立ちの件もあり、「普通じゃないと嫌われる」という思い込みが激しかったのだろう。
でも、これ、自分の今までの人生振り返ると、
単に杞憂だったんじゃないか?と思う面もあるんだ。
親からの扱いは散々だったけど、
習い事や大学の講義などでは、いつも謎に先生から目をかけてもらえていたのだ。
だいたい、私の意見を面白いと思って聞いてくれるのは、そのような芸術に親しんでいる系の人たちだった。
学校教師とは基本的に相性最悪だったけど、なぜか美術や音楽の先生などは、必ず私に注目してきて特別に目をかけてくださっていた。
それがいつも不思議だったけど、嬉しかった。
私は、それが当たり前のことだと思っていた。でも、多分、当たり前ではなく、有難いことだったんだ、と今更ながら気づいた。
思えば、今の会社に入ってからの経歴を見ても、単純にHP勝負みたいな仕事ではなく、MP量勝負みたいな職場を割り振られてきている。
私は情報工学専門でもないのに、今まで、システム化の必要性の生じている部署に、システム改修タイミングで配属され、各方面からの意見をまとめて技術担当と調整してシステムデザインを創り、仕様書に落とし込むまでの仕事を任されたり、
外部組織に派遣されて交流を図ったり、
あまり一般的ではない経歴を割り振られてきている感がある。
何かあると体力や健康面の問題がないか、精神的にまいってないか、「いじめられてないか?」とか、部長も次長も課長も班長も、いつも変わるがわる上司が様子聞いてくるのだ
過保護だなあとは思うけど、有難い。
まあ、疲れやすいことはバレてんのかな?と思ってたw
自覚は全くないし、自分ではポンコツだと思っているけど、なぜかどこの部署に行っても
物覚えが早すぎる
とか、
仕事の質が高い
とか言われる。
これ、毎回毎回謎すぎる。
いや、ワシ、普通やねん!て思う。
なんでみんなそんなに誉めてくるのか、本気で謎なのだ。
だって、本当に自分では自分のことを体力なくて疲れやすいポンコツだとしか思っていない。
しかし、この対応…
もしや…
人事にHSPバレている…???
ヒェッ…
隠そうとしても無駄だったのだ、と思った。
普通じゃないことは、恥ではないのかもしれない。
普通じゃないことを求められる場所もあるから、私は普通じゃなくてもやってこれたのかもしれない。
内心どう思っているのかはわからないけど、とりあえず珍重してくれる人たちがいる。
私は、親に否定されても、自分を全否定しなくてもよかったのかもしれない。
でもまだ、それで堂々とできるまでの自己肯定はできていない。
でも、それでいいのかもしれない。