※これは、素人の戯言だろうなと思うので、専門家から見て「ハア?」となる内容だとは思います。ご容赦ください😅
心理学について、素人視点で地味に謎なこと。
心は、千差万別だから、無意識の領域をどう考えるか?も人それぞれだろう。
現代では、無意識分野について注意を向けることは一般的になってきており、一般人であっても、思考の際に当然前提とする概念だろうと思う。
なのに、心理学関係者は、未だに、フロイト、アドラー、ユングなど、100年前の大家の言説をベースに論理展開しているげに見えることに、違和感を感じることがある。
その3者の違いは、単に、その3者自身が、
自己の意識と無意識の関係性をどのように捉えたか?
という個人的なものにすぎず、学派として定着させるほどのものなのか〜?
と思う。
その3者は確かに大家なのだろうが、
私はフロイト派だから
とか、
私はユング派だから
とか、いちいち心理学者たちがこぞって自分の考えを寄せに行くほどのことを言っているのかな?
とか感じてしまうのだ。(←大家に失礼)
もっと、人間の意識にも無意識にも、無限にバリエーションはあるはずで、
例えば、心理学者が100人いたら、100とおりの理論があってよいのでは?
とか思ってしまう。
確かにその3人は、劇的な変化をもたらした心理学上のビッグな御仁なんだろうと思う。
しかし、現代は、当時よりもっと心理に対してもスピリチュアルに対しても、社会全体が開かれている。
心理学者の想定よりも、もっと多様に、人々は無意識に触れ、(広義の意味での)スピリチュアル的概念と広く戯れている。
はたして、その事象を、それらの学説は、追い切れているのかな?と。
完成された理論は素晴らしいが、それは、ある意味では「可能性を限定している」とも思う。
意識について、
無意識について、
誰もがフロイトやアドラーやユングのように持論を展開できる世界に近づきつつある中で、
では、
哲学は?
心理学は?
あらゆる学問は?
社会においてどのような意義をもち、人々にどのような啓示をもたらせるのか?
人間史至上、最大の難関がやってきている気がする。
「おい文系ども‼️
文系の意地見せろ‼️
もっとアグレッシブたれや‼️」
たぶん、そう、言われているんだよ(←幻聴)