母が私が子供のころ、話していたこと


「私が昔ピアノ習ってて、お母さん(私にとっての祖母)に、「ピアノ辞めたい」って言った時、

母親は、「どうぞどうぞ。お月謝代が浮いて助かるわ〜」って言ってあっさり辞めさせたんよ。

だから、私は自分の娘には、何があってもピアノを続けさせたいの。」



この話、幼心に、「意味不明だ」と思った。


だって、母は、自分で「辞めたい」と言ったのだろう?

なぜ、それで辞めていいと言った自分の母に恨み言を言うような流れになるの?


そして、

なんで、自分の娘には継続を強要していいという論理に飛躍するの?


関連する話かはわからないけど、


人から演奏や作品を充分に褒めてもらえないと分かると、すぐに腐ってしまって辞めてしまい、

「理解しない周りが悪いんだ!理解しない周りが応援しないから私の才能は芽が出なかったんだ!」

みたいなこという人いるけど、


本当に才能があったら、人から何と言われようと続けようとしたはずだと思う。


芸術へのパッションは、内側から自ずと湧き上がるものだから、外部要因に左右されない。


その内からの情熱を受け取り続けることができることこそ、「才能」と呼ばれるものなんだろうと思う。


だから、

「俺の才能が理解されない」

というセリフは、もうすでに矛盾そのもので発言自体で破綻している。

(真に才能がある人はそんなこと言わないから。)



だから、母は単に自分が芸術から選ばれなかったことを嘆いていて、

その悔しさを一人で受け止められるほどの心の奥行きもないから、

自分の母や娘のことも巻き込んだ、ってことだろうと思った。


芸術に選ばれた人は、選ばれた自覚がない。

知らないうちに「入って」いるから。



その矛盾のために、芸術はアンタッチャブルな領域をいたずらに拡大してしまうんだろうけど、


もし芸術に選ばれないとしても、

他の何かに選ばれたのなら、

すなわちそれが、その人にとっての「芸術」なのだと思う。


なんであれ内側から湧き上がるものに集中できない人は、人からの賞賛をもらうことでしか物事に取り組めない。


そんな粗雑な雑音ばかり聴いている状態は、おそらく一番「芸術」からは遠い概念だから。