自虐ネタは、あまり歓迎されないと一般的には言われている。
言われた相手が逆に気を使うから
という理由らしい。
しかし、相手との関係性と相手からみた自分の位置関係さえ間違えなければ、そのデメリットは消失し、平和な笑いを作ることができる魔法のギャグだと思う。
しかし、すでにお気づきだろうが、この
相手との関係性
相手からみた自分の位置関係
を正しく測ることはかなり高レベルな要求だ。
このためには、
かなり高度な洞察力と観察眼とコミュニケーションスキル、
そして何より「勇気」が要求されるからだ。
単に現状維持させたいというマインドでは、自虐ネタぶち込むという行為にはならないからだ。
自虐ネタをぶちこむのは、だいたい、
自分を相対的に下げることにより、「相手の落ち度は落ち度にならないよ」と相手を安心させたい、相手を励ましたいと思っている時だろう。
そんな気持ちをスベるリスクを承知で差し出す勇気そのものが、すでに尊いんだと、私は思う。
豊満バストな子と下着売り場に行った時、
「Aカップのブラは、ちゃんとデザインの可愛さがあるのに、Fカップのブラは、同じデザインのはずなのに、もはやデザインの可愛さが消えている…下着カタログでモデルさんがつけてるブラ可愛いなと思って売り場に来ても、Fカップのやつ見たら全然違うデザインに見えて買う気失せるのがツラい…」
と言っていた。
確かに、大きな胸向けのブラは、本体部分が大きいので、デザインとして見た時にバランスが悪くなるのかな、と思った。
私は「お前〜‼️ブラが可愛くないので悩めるのは、人前に出せる胸である前提があるからこそだろう⁉️
見てみろよ?オイラの貧乳。
その前提からして崩れてやがる!
オイラがもしこの可愛いブラつけられたとしても、胸部自体を晒したくないのだが、一体どうしたら!?」
と言ったら、「そりゃそーだw」と
その子は笑ってくれた。
このネタは、もし彼女と私の関係性がまだ未熟で、私が本当に貧乳で悩んでいると思われてしまったら、成立しなかっただろう。
つまり、
自虐ネタとは、相手に、
「私は自分の欠点も受けいれています」
という余裕がすでに伝わっている、という前提が必要となっている。
その前提の別名は、「信頼」だと思う。
だから、自虐ネタを人からぶち込まれた時には、
相手から、
「勇気」と「信頼」が差し出されているんだ
と思う。
それ自体で、すでに自然に笑えそうな気がするんだ