アマプラで、アメリカのドキュメンタリーを観た。


その番組は、カルト宗教に入信したのちに、長年の洗脳から覚め、いかに自分が洗脳されていたかを自覚して普通の生活に戻った後も、入信時代に受けた人権侵害のトラウマに苦しむ姿を取材したドキュメンタリードラマだ。


そのドキュメンタリーのインタビュー会場には、カルト宗教の研究をしている社会学者も同席し、そのカルトが信者に対して行った洗脳の手法に関するコメントや、その元入信者の心理に対してコメントを随時さしはさむ。



その番組見てる時、私はなぜか、


「なんじゃ⁉️この既視感オエー


って思ったんだ。


なんか、その社会学者がカルト宗教に対してつけてるコメントが、

私が通ってるカウンセラーさんが、私の親に対してつけてるコメントに、

シンクロ率えぐいオエー


で、謎のデジャビュ感を感じたんだと思う。


一番ハッとしたのは、

その元入信者のコメントだ。


無事に教祖の悪行が世間に暴かれ、教祖が逮捕された時、

「やっと教団の不正が明るみになる達成感」

とともに、

「だが、(自分が告発したことで教祖が捕まってしまい)教祖に対して申し訳なかったと思う」

などと言ったことだ。


自分に対してあんなに酷い人権侵害を働いた教祖を庇うような発言をするなんて!?

この人まだ洗脳解けてないの!?と思った。


同席のカルト宗教学者も、

「…長年洗脳されてきた人は、洗脳が解けたのちもそう思いがちなのよね…」

と、痛ましそうにコメントしていた。



しかし、その次の瞬間、

またデジャビュが起きたのだ。


「あっ…私もカウンセリングルームで、自分を虐待した親に対して同情的なこと無意識に言ってたわ…」オエーガーン


それで、カウンセラーさんに、すかさず

「ご両親にどのような背景があろうとも、あなたが遭ってきたのは虐待という名の立派な犯罪なんだよ?

今は、ちゃんと、逃げて」


と釘を刺されて

「ハッ」としたのだった…


「私、また親の視点に無意識に取り込まれてる…」

と。

人から言われないと気づかないレベルなんて、ヤバヤバのヤバやん自分驚き


実際、両親が私たち姉妹にしてきたことは、

その番組で紹介されたカルト教団の洗脳プログラムと酷似している。


・経済的な揺さぶりや身体的への暴力をかけることで生存本能を担保にした支配 

(昔、家が汲み取り式の便所だったんだけど、母の機嫌が悪いと、その汲み取り式便所でご飯を食べさせられていた。低気圧の日には便所はとても臭うので、ご飯の味がマジでウンコだった💩)


・適切な尊厳と距離感が無視され、消費物のように扱われる「性」

(あ、辛いので、書くのパス)


・反抗的な振る舞いをした信者の個人情報を不適切に扱うことにより、情報社会における恥の感情を人質に取った支配

(母の機嫌を損ねた際、無許可で私の写真や個人情報をマイナスイメージの印象操作とともに不特定多数の人にばら撒かれるということは、よく起こっていた。)


・信者間の扱いに不当なまでの差をつけることで、信者同士の団結を阻止し、横のつながりの欠如により、ヒエラルキー上位(自分)への信仰に向けさせる

(母はわざと姉妹間の扱いを変え、姉妹同士が反目し合う原因を生み出した。その目論みのおかげで姉妹同士が喧嘩すると、年上の方を「人格破綻したいじめっ子」として、もう一方の娘と共闘して叩いていた(ちなみに私は長女なので常にやられる側))



このようなカルト宗教と同じ洗脳プログラムを、

うちの親みたいに児童虐待をする親は、本能的に頭で組み立てることができてしまうのかもしれない。


結論〜‼️


毒親はカルト宗教くらいヤバいから、早く足を洗いなさい🦶💦


マジ真理突いてるわ〜コレ(自画自賛)オエー


児童虐待されてきた自分の状態を客観的に見たいという人は、このドキュメンタリードラマはオススメ

カルト宗教からの洗脳を解く過程は、毒親から脱却する過程に酷似してると思うから。


もちろん、違う面も、あるんだけどね、

何か、本質的に似通ってるのは、間違いない。


ある回で元信者が、「教祖も信者が人を殺してしまうとか、何か劇的なことがあれば改心するかも」的なことを言っていたけど、私は、それは希望的観測だと思った。

そこで引き返せるような感性があったら、カルト宗教の教祖なんてなってないからだ。


明確に他人をコントロールしようとしている人には、そんな感覚ないと思う。


現に、うちの親は多分私が死のうと何しようと、自分と不都合なことは視界に入れないでひたすら自分を守ることに徹すると思う。

そして、それを悪いことだとも思わないんだと思う。


人間性を貶めることで他人を支配するマインドは、一度頭にセットされてしまったら、終わりなんだよ、きっと。


このドキュメンタリーでインタビューを受けてる元信者さんたちは、そのような、「人間性を貶めること」に対してちゃんとNoと言えたから、洗脳から覚めて、足を洗えたわけでしょう?


そんな人間性の貶めから、自らの意思で生還できたことが、人間が持ち得る本当の意味での「信心」を証明しているんだと、力強く、思う。






ドラマのタイトル:『カルト集団と過激な信仰』

(アマプラで観れるっぽい。)





過去があるから今があるんだ。

何も無駄ではないんだよ。