えぇ〜、

前回の講義では、夢女子と腐女子の思想背景についての考察をした。


しかしその考察は、あくまで物事の一側面を切り取って論じたに過ぎないので、テーマの真髄に迫るには、まだまだ考察すべき点はいくらでもある


…というわけで、講義はまだまだ続くぞ。


皆のレポートも読ませてもらった。

現代の逆ハーレムものも、王子様を得て意地悪な同性からの迫害を回避するという心理において、シンデレラや白雪姫などの古くからある「おとぎ話」と同じ系譜と言えるのではないか?というところにまで気づいた生徒諸君もいた。

なかなか鋭い指摘だ。

やはり、それが哺乳類の雌にとっての合理的生存戦略であると、古くから人間は認識しておったんじゃろうな。


さて、夢女子が好むのは、そのように古くからあるストーリーなのに対して、腐女子が好むストーリーは、一般層にまで広く認識されるようになったのは比較的歴史が浅いと思われる。


BL作品は、24年組と言われる少女漫画界のマジ神ってる先生方の作品から広がりを見せ、

今ではドラマ化やアニメ化までするほど、一般にも受け入れられておる。


歴史が浅いにもかかわらず、なぜここまで爆発的に広がりを見せたのか?

その背景には、社会的な要因が深く関与しているのではないだろうか?

もしもそれが、ある社会的背景という共通認識のもとで生み出されるものだとしたら、

おとぎ話と同じく、BLにも一定の法則性は見出されるのではないか…?


今回の講義では、そのような仮説のもと、BL黎明期の作品から、そのエッセンスについて紐解いていこうと思う。



…あ、そこのキミ、講義中にマスカラはやめなさい、(全く、男子生徒がいない教室はすぐこれだ)

 



…結論から言ってしまおう。


現代女性を取り巻く状況を考えた時、


「「美少年」という名の「ウルトラC」は、旧社会体制からの脱却奥義」‼️


じゃ‼️



…今吹き出したそこのキミ、けしからん!

だから、マスカラ仕舞いなさいってば!



…ゴホン。具体的に作品を用いて解説しよう。



言わずと知れた黎明期の名作『日出処天子』において、刀自古や布都姫などの女性キャラは理不尽に人格的にも性的にも蹂躙される存在として描かれる。

これは、昭和24年生まれの作者世代では、当たり前の感覚だったろう。


さらには、閉ざされた環境下で母性社会的な愛憎を基準に振り回されて人格形成される日本家庭の理不尽が、王子の母親像により克明に描かれておる。


リアルな歴史を下敷きにした社会色の強い作品においては特に、

女性キャラを主人公に据えてしまうと、女性が現実には社会からも内輪の同性から蹂躙されて、その負の連鎖が続く「現実」しか描けなくなる。

女性キャラ目線である限り、歴史において女性が負ってきた、その鎖のように縛る現実が、どうしても背後にチラつくからだ。


そこで、「ウルトラC」なのだ。


では「美少年」ならば、どうだろう?と。


閉鎖的な母性社会の枠の中から脱却できる可能性を宿した社会的な立場

と、

男性(異性)でありながらも、女性(読者にとっての同性)よりも魅力に優る容姿


を兼ね備えた存在。


それは、女性読者にとっては、

自身の女性としての社会的ステレオタイプな役割意識や、女性としての身体性から距離を保ちながらも、

女性読者と同じ目線でモノローグを展開してくれる存在だ。


ゆえに、

美少年(男性主人公)が、実力と美貌と人格により

女性キャラたち(自分を苦しめる同性の象徴)を出し抜いて

ヒーローを射止める

という構図は、全方位において解決のカタルシスをもたらすことになる。


かくして「美少年」という「秘密奥義」を得た少女漫画は、

その後、連綿とこのテーマを変奏しながら、徐々にBLという1ジャンルに形成されていった…

のではないか?


その背後には、

女性としての社会的立場や

女性としての身体を持ちながらでは解決できない

問題の山積


という絶望感に女性自身が常に包まれていたという、現代社会の闇があるのじゃろう。


女性である限り、

社会において「実力」が実力として評価されず、

周囲にとって望ましい「人格」しか許されず、

「美貌」があっても若い時にだけ消費されてポイ


「美少年」とは、そんな女性にとってどう転んでも不毛な時代が生んだ、夢の幻影なのじゃ…



何、質問かね?ハイ君、

「しかし、女性としての身体性を否定することが必要ならば、なぜオメガバースはあんなにヒットしているのでしょうか?」ですって?


とても鋭い着眼点だ。


しかし、その件にはまた別の複雑な社会的背景が絡んでおると考えられるので、次の講義に持ち越したい。


…ゴホン、結論じゃが、


BLにもしも形式美たるものが存在するとしたら、

「美少年の美少年性を描ききる」ことに尽きるのではないか?と思う。


「美少年とは何か」を問い、

より萌える美少年について思いを巡らすとき、

女性は思想の中で女性性の鎖から解放されるのだ…



何だね、また君かね?

「たとえ攻略対象からアゴで刺されても、ですか?」


何の話だね!?君!????泣





(アホ博士のサブカル論 第2講 おわり)