このあいだのカウンセリングで一番モヤモヤしたことは、
「あなたの本当の気持ちを相談できる人が周りにできたら気持ちが変わってくる。
あなたは妹さんとこのカウンセリングルームしか、本当の気持ちを話せるところがないんでしょう?
私は、話せる人がたくさんいるから楽だよ」
と言われたことが、イマイチ腑に落ちてないんだ、と思った。
私は、人に身近な悩みを相談されることが苦手だ。
子供時代に、ずっと母親専属のカウンセラーみたいに、母の不満や愚痴や過去の嫌なことなどの話を毎日のように聞かされてきた。
それが、とても苦痛だったのだ。
妹は、私の1番の理解者であり、自分の本心にかなり肉薄する話もできる唯一の存在だ。
しかし、だからこそ、妹が聞きたくない話はしないし、妹から話を振られないかぎり、自分から話したりもしない。
妹のためなら二つ返事で死ねるほど愛しているから、その大切な人を愚痴の吐口になどしたくない。
愛している人にしか、自分のことを語りたくない
しかし、
愛している人だからこそ、自分語りなどという負担に付き合わせたくない
というパラドックス。
その矛盾がどうしても解決できなくて、カウンセリングルームの戸を叩いたわけなのだ。
正しく対象を愛そうと思うことは、自分と対象との間に距離を取ることだ。
自分を押し付けていると思われかねない行為は、愛とは真逆の概念だから。
カウンセラーさんの言うとおり、私は、なるべく人に自分の話をしたくない。
でもそれは、自分が相手を信じていないからではなくて、自分の話が相手の負担になると思うからだ。
だから毎回6600円も払って、わざわざカウンセラーさんに話しているのだ。
お金を払わずに親しい人を無料カウンセラーにするようなことだけは、したくないからだ。
だから、まるで私は、今の状態を「治そうとされた」ように感じて、違和感を感じたんだと思う。
身近な人を大切にしたいから、
吐き出せる場所としてカウンセリングを利用してるだけだ。
自分の想いを言えるのが、カウンセリングルームだけで、何が悪い?
だって、誰も聞きたくないだろ?こんな話。
だから、対価を支払って聞いてもらってるのだ。
「それの何が悪いんですか?」
って思うんだけど、私、なんか間違えているのかな…???