小学生の時に父親に口にキスされた


中学生の時家の間取り上、7畳の部屋で家族で川の字で寝ていたが、隣で両親がヤってることがあった


中学生になった妹が入ってる風呂にたびたび父が入ろうとするのを母が止めないので姉である自分たちが何度も見つけるたびにやめさせなければならなかった


など、私は普通のことだと思っていたから、何気なくカウンセリングで言ったんだけども、

カウンセラーさんに

「それは性的虐待だよ」

とハッキリ言われて、なんか目が覚めた。


その性の奔放さはきっと農村の前近代的ユルさの現れであり、自分の親は異常ではないのだと、

気持ち悪さを押し込めて自分を納得させようとしていたんだと気がついた。


自分の親が異常だと思うことは、子供にとっては酷なことだっただろうから、仕方ないのかもしれない。


だけど、これが、大人になってからの自分の苦しみに繋がってしまっているんだと思う。

すなわち、

性的虐待をする親をスルーしていた時のように、

セクハラ親父の言動をセクハラだと認識しないままスルーしつづける認知の偏りから、セクハラに遭いやすかったのではないか…?

と気がついた。


過去のブログに描いたセクハラ親父についても、最初の飲み会の時のジッと見つめてくる視線を確かに私は「気持ち悪い」と感じたのに、何も気付いてないふりをしてしまった。

あんな視線を投げかけてキモがらない時点で、相手を図にのせてしまっていたんだと思う。



この父の件、カウンセラーさんは、「そんなこともあったの???」と驚いておられた。


私の生い立ちは、特にカウンセリングで話すようなことではないと自分が捉えていることの中にも、叩けばいくらでもホコリが出てくるかのように、たくさんの異常なことが出てくるみたいだ。



異常を異常と感知できないという時点で、あなたは親に取り込まれていたんだ、と言われてハッとした。


異常をちゃんと異常だと言わないと、私まで共犯者になるかもしれないところだった…



人間の心ほど怖いものはない

そう、つくづく思った。


でも、きっともう大丈夫。

これからは、毅然と「キモい」と言い放とう。