母は、昔から、自分の言うことを聞く娘にはお金を存分にかけてきた。
親も人間なので、ある程度それは仕方がないと思う。そのお金は、親が稼いだお金だから。
しかし、なんというか、そのお金のかけ方が、少しあからさますぎるのだ。
自分の言うことを鵜呑みに、素直に聞く娘(末の妹)には、月に10万を越える被服費を出す。
10代の女の子には、かけ過ぎな価格だと思う。
姉としては、まだ大学生だからよいものの、これから社会人になって以降は安い初任給で暮らしていかねばならないはずの妹に、金銭感覚の狂いそうなほどのものを買い与える母が、無責任に思える。
一方、自分の言うことを素直に聞かない娘(年子の妹)にかけたお金のことは、美術予備校に行っていたときにかかった夏期講習代8万円のことを、もう10年近く前のことなのに、未だにネチネチ嫌味を言ったりする。
私が母の希望したとおりの会社に就職した際、ブランドバッグを買い、その年子の妹に、
「あなたもお姉ちゃんと同じところに就職したら、買ってあげるわよ」などという(もちろん、賢い妹は影で「いらねーよw」といってスルーしていたが)
それ以外にも、自分が習わせたい習い事のためのお金はいくらでもニコニコ出すが、それ以外のことについては、かかったお金をいつまでもネチネチいう、ということが繰り返された。
要するに、
この母は、お金を娘の行動をコントロールし、娘を支配するための道具として使っている傾向がある
ということだ。
子供の頃から、このような事はよく起こっていた。文字通りのアメと鞭だ。
学年で一番になったら、服を買ってあげる、みたいなことを、普通に言われていた。
面倒臭いので母のいうとおり1番を取った。
しかし、どうせ私が本当にほしい服ではなく、母が着させたい服しか買ってもらえないのだ。
母が勧める服なんて嫌だと思いながらも、作り笑いでolivedes oliveの服を選んだ中2の秋を覚えている。
年子の妹は、母のその支配に無言で抵抗し続けたため、顔をたびたびかなぐられ、アメリカ兵みたいな全身アーミー柄のベルメゾンの変なパジャマみたいなフリースの服1枚しかなかった。
(顔が美少女なので、アーミー柄はミスマッチすぎた。)
こんな母のやり口に、時々本当に吐き気を催していた。
真っ当な人間のすることではない。
娘は、ホストではない。
あなたからもらうお金のために、あなたにこれ以上媚びたくない。
でも、まだ未成年だから、にげられない。
でも、だからって媚びてんのか?
たしかに、私は、母に、媚びてる?
汚らわしい、
そんな自分に、吐き気がする。
母のこのやり口に違和感を持たないほどに母と同じような精神を持って全て染まってしまえば、
私の心はきっと楽になるんだろう。
でも、私が私である限り本能で拒否してしまうんだ。
母みたいな人間と同じ世界に染まってしまうくらいなら、
もう死んでしまった方がだいぶマシなんだ(号泣)
という自問自答を、10代の頃、誰にも明かさず一人で、決して表には出さずに終始無言のまま、
何度も何度も繰り返してきた。
親の会社は地元ではみんなに知られているから
親のことを周りの誰にも相談できない。
でも、母がもっと荒れて妹たちがこれ以上ダメージ喰らわないように、とりあえず私は優等生の刑に処され続けないといけない。
父なんて、母の息子と同じ。まるで子供みたいで、てんで頼れない。(もう寵愛を失った息子は、あんなにも無視されるんだね。)
母の操り人形になる範囲でできる贅沢
ならばせめて、
できる限り拒否していこう、と思った。
大学生になってからは、なるべく母にはお金を払われたくなく、自分の必要経費を稼ぐために週6でバイトした。
妹も、そうしていた。(妹は学生時代からフリーターと同じくらい稼いでいた。)
その後、何度か母に
「〇〇買ってあげようか?」
(30歳の誕生日には、長いものを親から送ると縁起が良いので、帯を買ってあげると言われた)
と言われるたびに、
ストレスで脇汗が吹き出した。
どうせ、呉服屋に行って、自分の欲しいものではなく、また母が着せたいものを買われる私が見える。
その帯で締め付けられたら、内臓にあるもの全部吐けると思う。
私は、恐怖心を抑えて、何も変わらない笑顔で、
「そんな、いいよ〜高いし。そんなお金あったら、お母さんの好きなもの買いね?」と、断った。
内心は、もうパニックだ。
何か買われてしまうと、また母から何かを期待されてしまう。
母に操縦されないために、この人に私のためのお金を一銭も落とさせてはならない。
という強迫観念が、吐き気みたいに立ち上ってくる。
母は3年前のある日、なにげなく、
「札束で頬を張り倒す」
みたいなワードを口にした。
(何気ない言葉には、本当に、その人の本質が隠れているものだ)
この時だ。
本気で、
「あ、この母、本気で離れないとマズい奴だ」
と目が覚めたのだ。
私は、お金による支配で自分の意志を曲げられることに不快感を感じていたのではなく、(もちろんそれもあるが)
もっと強い思いとして、
「お金を使って他人を支配するやり方を当たり前と思うような母の精神に、もう1秒たりとも接していたくない」
という気持ちを、ありありと自覚したのだ。
10代の頃から自分が嫌悪していたものの正体が、やっとわかったのだ。
お金とは本来、権力を持つための道具などではないはずだ。
権力が必要だと思うのは、
それが、相手とのコミュニケーションができていると錯覚できる麻酔だからだろう?
実際には、お金をちらつかせることで相手が従わざるを得ないから、自分の願いどおりに動かせてるだけなのに、
それを、表面だけ見て、相手と心が通ったと勘違いしているだけなのだ。
そのコミュニケーション放棄こそ、
私が最も強く否定したいところ、
母とは相入れないところ
なのだ。
札束で頬を叩く、などというワードを、娘に対して使った母
私はあなたを全身全霊で否定したい。
私は、母のいる方向には、決して、引き摺られてはならない。
もう何ヶ月も母を着信拒否にし(1年くらい経つかも)、もう二度と、実家には帰らない。
本当に親と縁を切るためには、どうすればいいのだろうか?
音信不通のまま県外移住も視野に入れて本格的に考えている。
カウンセラーさんが、一緒に考えよう、と言って下さった。
表面上は仲の良い親子を演じる心の黙殺は、表面的にはコミュニケーションのように見えながも、コミュニケーションの放棄であった。
だから、反省しました。
心を入れ替え、行動を変化させます。
徹底的に自分の世界から相手を消す作業は、
表面的にはコミュニケーションの放棄に見えるだろうが、
むしろこの上ない積極性を孕んだ
私の能う限り最大限の「コミュニケーション」
長い道のりだとは思うが、考え続けたい。
私が私であるために。