昨日に続いて2問目いっきまーす魂が抜ける


​問2 年齢


何かを始める時、何かをやめる時、人と人が友愛を築く時、同盟を結ぶ時、人が人に指示をする時、人が人を師と仰ぐ時、人が人を蔑む時に、年齢はどれほど関係すると考えますか?あるいは、関係しないと考えますか?


​答え

「年齢」による判断とは、「死」の概念を有した人間という生物にもともと組み込まれた認知法則の一つです。

だから、年齢は、人生の残された時間のバロメーターだなどと考えてしまうのは、その認知法則上、回避できない問題なのでしょう。


しかし、だからこそ、ポジティブな考えを持った方がお得ではないですか?


例えば、年齢とは、

「無数に立ち現れる選択肢を有意義に絞ることのできる経験値の多さ」であり、

「何かを始める時」に、むしろ有利に働くんだ、と考えてみてはいかがですか?

その絞り込みによって、あなたは無駄な時間の浪費をカットできました。


「何かをやめる時」についても、上記と同じ考えで導きだせます。

やめるのが良いと思えば、やめれば良い。

ただし、それは、人生の残された時間のバロメーター云々の問題とは関係ない。


人生の残りの時間の少なさを、迷いという浪費時間を削ることにより対応できているのなら、

年齢という概念のもたらす弊害は消え去ります。




「人と人が友愛を結んだり、同盟を築く時」

には、年齢差そのものが関係するというより、生まれた年代の違いによる社会認識やバックボーンが違うことは、一応念頭に置くとよいと思います。


例えば、バブル期に親の金でブイブイ青春できてた親世代と、社会に出た時から何百万単位の奨学金という負債を抱え死んだ顔して求人票あさる我々世代とでは、当然社会への期待値が違うでしょう。


例えば、デジタル嫌いはガラケー通して社会人になってからスマホ持てばよかった我々世代と、赤ちゃんの時から有無を言わせずスマホゲームして育ってる令和ベビーとは、想定している社会というもののバーチャル度が当然違うでしょう。


だから、

例えば世代が違う方と同盟を結んだとして、その同盟というある種の「社会」を何と捉え、それに何をどこまで期待しているのか?の前提が違うだろうことは考えておいた方が、余計な誤解を回避できると思います。

(年齢ではなく、年代の話になってしまいましたね)


人が人に指示

なんて、年齢関係なく、オフィシャルな場で、指示ができる人がやればいいと思います。

年功序列だけを頼りに人を使役できていた呑気な時代はもう去りました。


人が人を師と仰ぐ時

も同じです。師であることに必要なのは、年齢ではなく、経験値です。

実際、大人バレエを習っている私の先生は、年下20代前半ピチピチ激カワ爆イケ⭐️バレリーナ女子(で眼福)です。

私は、彼女が年下だからといって軽んじたりすることは一切ありません。

彼女の経験とその経験からくる指導に敬意を持てるからです。

敬意があれば、年齢なんていうステレオタイプを持ち出す余地はありません。


だから、「人が人を蔑む時」にも、年齢は関係ありません。


蔑みは単なる「相手への敬意不足」からくる不安感の表出にすぎません。

ならば、敬意を持てる師を探し直せば良い。

それだけです。


あなたが何歳であっても。

あなたに残された人生がどのくらいの長さでも。


「自分の経験値」と「相手への敬意」はいつ何時も変わらぬ無形財産ですから。