インスタ見てたら、さんまさんが出てきて


「ワシ、怒ったりせん。

人を怒らすような人はアホやから。

相手にせん。

人を怒らすような奴は、自分のことを偉い思うてんねん。

ワシは自分のこと偉いなんて思えへんし。」


と言っていた。


こんなふうに、

相手の実体を見切っている人

相手のエネルギーの方向を読めている人

は、相手が出してる感情を「静止」できるんだ。


逆に、喧嘩売られたら買う人

は、相手をまだ見切ってないからこそ、相手を探ろうとして、相手と同じエネルギー場でエネルギーを交換しようとするんだろう。


私は、

さんまさんみたいに、相手のエネルギーをちゃんと見切ってあげる人

も、

喧嘩売られたら買う人みたいに、相手とエネルギー交換しちゃう人

も、

どちらも、「相手のことをすごく気にかけてる優しい人なんだ」って思った。


そんなふうに人間たちは、

常に「もちつもたれつ」で、

互いにわざとぶつかり合ってみたりしてる


そう思うと、「人間」って存在が、とても可愛らしくて、時に裏腹で、だけどとても愛おしい存在たちなんだな〜と思った。


どんなふうに関わったとしても、「人と関わっていること自体が、人間の存在意義」なんだ

って思った。


だからこれを、

「こんな関わり方は正しくて、こんな関わり方は正しくない」


みたいな、正義感や倫理観や価値観というフィルターに通して制限しちゃうのは、なんだか勿体無いなって思った。(もちろん、自戒をこめて)


例えば、「喧嘩売られたら買うというのは、浅はかで短絡的で子供っぽいのでやめましょう」

とか、学校の先生みたいに、頭ごなしに言うようなこと。


それは、統制する側の思考だよ。

本来、人は人を統制したりされたりしないはずでしょ?何様よ?って話。


喧嘩売られたら買うことを選んだ方がいい関係性だと、その人が判断したんなら、どんどん喧嘩すればいいじゃん⁉️

それも、立派に人と人とのコミュニケーションだよ


そこ、自由だから‼️指差し

そこまで縛ろうとするの、「逃げ道塞ぐ人」って言われてモテないやつ〜〜ガーン


うらはらな人間も、ガチンコな人間も、

人間らしくて、人間くさくて、なんだかとっても可愛らしくて、ものすごい、愛おしいね〜昇天