コロナ禍について、あれは一体何だったのかと、今になってよく考える。
あれを、文字通り単なる「コロナ」という疾病がもたらした混乱であると見ている人は、(表立っては言わないだろうが)少なくとも知識人の中には居ないだろう。
あれは「未知の疾病」という、その全貌が目に見えないことをいいことに、その脅威判定をマスコミ等で任意にコントロールできる材料をきっかけに用いた「一種の社会実験だった」と見るのが自然だと思う。
なぜなら、その疾病そのものの致死率の低さに対して、社会が要請する防御が過剰であったことは自明だからだ。
私は陰謀論者ではない。
陰謀論とは離れたところで、一般常識をもって考えても、やはりあれらは過剰防御だったと感じる。
マスク会食とかいう茶番
机を前に向けたままの黙食とかいう茶番な給食
果ては、セックスする時にまでマスクをしましょうとかいう広告には、「いや、口以外のところ濃厚接触してますけどwwいいんすかソレww」みたいな、もはや茶番越えてギャグだろそれw的なものまであった。
こんな茶番に二年も身を投じてまで実現させたいことは、本当に疾病対策だけだったのだろうか?
と、普通の頭でも疑問に思うだろう。
さて、社会実験だったと仮定したとして、
この「社会実験(仮)」の目的は、一つではないと思う。
複数の目的が、同時進行されていたと思う。
私が個人的にこれかな?と思った目的は、以下のとおり(あくまで私の想像上の考えなので、間に受けなくていいです)
(1)医療ニューディール
人口減でパイが減っていた医療業界を再び太らせるための供給掘り起こしを兼ねて、健康不安という消えない需要を基とする国家を超えた大きな資本が動くワクチン経済を回すこと
対象者が紛争地域に限定されないため、多分戦争するよりも国家を超えたお金の移動が自然に、沢山行える。しかも、ワクチンに救世主感を持たせることで、人民の満足度が得やすいのもメリット。
(2)AIの進歩のためのデジタルツール普及
AIは、たくさんの情報を覚えさせることで発展する。コロナ禍を機に、デジタルツールを普及させ、人間の行動の全てにデジタルを介在させるようにしたかった。
デジタルを介して行われる全ての人間活動が、AIの発達に寄与する。
特にAIが苦手な創作性のある芸術方面の情報収集も、感染対策のためにライブでのコンサートを開催しないとすることで、どんどんデジタル上にアップロードされるようになるので容易になる。
(3)もっと精密な監視社会のための顔認識システムの完成
コロナ禍前とコロナ対策後で、顔認証システムの精度がかなり違うと感じる。
コロナ禍後は、マスクをしていても認証されている。以前は無理だった。
何らかの、人の瞳か何かを識別する顔認証システムのテストのため、マスクをした人の顔のサンプルが大量に必要だった…???
(4)もっと広範な社会主義に見せかけない社会主義を目に見えないようにひたひたと浸透させるための生活保護導入実験
飲食店への営業停止による協力金の支給などで、どの程度の額で人がコントロールされようと思えるのかの心理テストをしていた…???
(5).昨今の社会に根付きつつあった個人主義の行き過ぎにストップをかける
感染症対策という印籠の下にマスク警察、自粛警察など、個人主義に対するあからさまなネガティブキャンペーンをやりやすくする空気の演出
ざっと思いつくのは、以上かなあ。
お前、やっぱ陰謀論者だろ⁉️
って言ってくる人いるかもしれないね。
いや、マジで、陰謀論者じゃなくても、今まで起こってきたことをシンプルに総括するだけでも、容易にこの考えになると思うんだが…???(やっぱ私は頭おかしいんかいな?)
同意できない。
あの感染症対策は全て適切で正当だ‼️
お前の考えの方がおかしい‼️
って思う方は、どうぞ、私の意見のことは、「社会に何かを強制されると、その裏の意図を探らずにはいられない底辺の戯言」だと思っておいてくださいwww
頭おかしくて、どうもすみません〜
この手のことをいうと、ネット上によく生息してる類の「コメンター」はなぜかすぐに善悪論を引き合いに出して噛みついてくるから、
先に言っておくんだけど、
私はこれらの社会実験(仮)のことを、善いことだとも、悪いことだとも思っていません。
そこが、陰謀論者との違いです。
別に、悪い事だとは思わないです。
(善い事だとも思いませんが)
この件については、善悪についての考えは、まだ不明なままで、今後の追跡調査が不可欠だと思っています。
単純に、社会が向かわせようとしている方向性をなんとなく感知した
というだけです。
実験してるフラスコを遠くから眺めてる観察者の1人に過ぎず、そこに善悪論は介在しません。
実験の善悪は、その結果から得た公式の使われ方次第だからです。
私の目から見たら、陰謀論者は一見体制に反抗しているかのように見せているだけで、実は体制側です。(俗にいうマッチポンプ)
なぜなら、本当に体制に抗おうとする人ならば、体制に対して人々が感じるべき「畏れ」をあんなに声高に言いふらしたりできないはずだからです。(あの行為は、「アキレスのかかとはここですよ〜」と自ら示しているアキレスにしか見えない)
同じ力学で引っ張ったり押したりしている者同士は、ある意味では立派に仲間です。
本当にそのマッチポンプを崩したければ、同じ土俵に登らされる力学は廃さなければ。
例えば温度操作など他の化学的現象を生じさせることで力学的作用そのものを変性させる。
これが真のレジスタンスです。