『宝石の国』を久々に読み返してみた
やはりこれ、すごい傑作だと思う
ネット界隈では鬱展開で有名(?)wらしい(?)
で、一般的には、これは終盤、鬱展開だと言われてる(?)らしいんだけど、
私の目からは
「いやこれ、最初からけっこう鬱じゃね⁉️」
だって宝石たち、ブラック企業の企業戦士みたいなこと言ってない!?
「過酷な仕事は自分の存在に疑問を持たないための麻酔です」とかいう謎思想(?)に、
1巻からすでにゾッとする要素あったと思う。
そして、確かにウザがらみはウザいけど、心根が一番純粋で素直で幼子のようなフォスへの高硬度他メンバーの態度に、
ごくごく微細なレベルだけど、どこか「確実に自分より下の相手をターゲットにした鬱憤ばらし」みたいな雰囲気を感じて、なんか微妙にギスギスしてて嫌な人たちだな〜という感想を抱いてた。
心の汚さ丸出しにするのが当たり前みたいな雰囲気が嫌だと思った(あくまで私の主観だけど)
例えば、末っ子フォスに対していちいち
「お前、前は1を10にするような話し方しかできなかったじゃないか」とかいう類の発言について
私は「そのネチネチ小姑みたいな意地悪発言いちいち挟む意図を言え!(怒)」
みたいな、微細なイライラが溜まる
だってその発言、不愉快なわりにあんま意味なくね?
こんなふうにこの人たちは、人の自尊心をジワジワ削るようなこと日常的に言ってたんだろうか…
フォスの精神衛生が心配なんだが…
フォスがナメクジ(?)になった時も、役に立たないのは同じだからそのままで良くね?的な発言されてたのも、ドン引きなんだが…
なんだよオフィスの意地悪OLかよ、引くわ‼️
その意地悪発言されたのはフォスなのに、
「人気ないねーフォス、みんなと仲良くしてないと助けてもらえないよ」とか当然のように言ってるダイヤにまたドン引きするんだけど…性格悪ッ
いやいやいやいや、別にフォスは敵意のあることなんか言ってなかったやん!(ウザがらみはしてたけどw)
あんな意地悪言う人たちと、どう仲良くしろというのだ?悪魔に魂売れとでも…?
フォスはナメクジになってしまって心細いだろうところにあんな心無い言葉言われて踏んだり蹴ったりなのにトドメ刺すようなこというんかお前!?感があった。
ボルツが「いなければいいのに」といいながら「愛してる」とか言ってるダイヤの病的なセリフ怖ッ。スルーしてんなよ誰かツッコミ入れてくれよそれは愛じゃねーよ確実に😭
このギスギスメンバーだと、なんとかしないと、どう立ち回ってたとしても悲劇不可避な不穏さが序盤すでにバリバリやぞw
(イエローとかは精神成熟してる分善意保ってて平和なメンバーだと思うけど(善良すぎたから終盤ああなるしかなかったんだろうな))
「個性を生かして誰かの役に立つことの素晴らしさ」というテーマ
同時に、そのアンチテーゼである
「誰の役にも立たない個性はいらない」
というテーマがその倍の音量で奏でられている。
アンバランスな二重唱に、嫌な予感は大きくなる
こんなイビツな世界観の中でこんな風にないがしろにされ続けたら、可愛いフォスもさすがに心根が失われてしまうんじゃないかな?って思ってたら、やはりそうなった😭
これ、フォスは「緩やかに自殺」してるように見える。
インクルージョンで結合しちゃうから、いろいろくっついて別物になってもフォスとして生きてるように見えるけど、
(そしてフォス度が下がるのに比例して有能度は上がっていくんだけど)
つらいことが起こるたび、もともとの綺麗な魂を誰にも触れさせないところに避難させるみたいに、フォスはフォスをわざと無くしていく選択をしていってる、みたいに見える。
アンタークを亡くした辺りの脚だけ変わった時点ではまだ原型フォス感あったけど、手まで変わってゴースト亡くした時点ではもはや別人28号だろこれ。ラピスの頭ついたらもはや原型皆無😭
インクルージョンに含まれる「個性」とはまた別の個別色をもつ「石」としての色彩感覚が心から徐々に消えていって寂しい。
フォスは狙われやすく弱々しい被捕食者属性を、周りからやんわり否定されつづけた悲しみから、そのかけがえのない西の浅瀬色の個性を、互換可能な「有用性」という目的と引き換えにしたんだろう。
原型フォスのままだったとしたら、シンシャも連れて行けるまで粘ってから月に行った気がする。
孤独を引け目に感じているシンシャを引き込もうと思ったら、先生への疑念も計画も全部宝石みんなと共有することになる。それができたら、先生の対応も変わっていたのではないか?
もう一度ナメクジも探して一緒に対月人作戦練ろう、となるはず。
宝石とナメクジと月人、3者がみんな納得できる道を探してこそ真に「人間」となれるはず。
ここに、本当の打開策があったのではないか…?
先生はエクメアがいうような破壊兵器などではなく、あの作品世界の中で唯一「本物の愛情に近しい何かを持った可能性のある者」だった。その特性を引き継げるのは、フォスしかいなかった。
だからこそ、原型フォスのままでないといけなかった。失ってはいけなかったから、アンタークは命に替えても守ろうとしたんだろう。
物語のキーとなる、エクメアによるフォスの目への工作について
エクメアに目を工作されたのは、今のフォスは自力で金剛の後継となれるだけの可能性はないと判断されてしまったのではないか?
(原型フォスなら「先生を壊せば月人は我々を襲わなくなるのか」なんて絶対言わないだろう。原型フォスは、ちゃんと心から「先生が大好きだから助けたいんです」と言っていた。有能にはなったかもしれないが、一番大切な「心根」が変わってしまった。)
エクメアとかいうクソ野郎が喉から手が出るほどほしい「愛の装甲」という概念を持ち得ない存在だと、今のフォスは、エクメアに「こっち側(クズ側)のヤツ」だと舐められてしまっただけだ。
あんなクソ野郎に舐められてしまった時点で、何されても文句言えないのだ。
心根は、ふとした時の言葉に一番表れる。
エクメアの良いようにされないためには、やはりフォスは一人で行くべきではなかったと思う。
カンゴームがエクメアに目を細工される隙を作ってしまったのは、今までの自分を否定されたショックからだと思う。
ゴーストの遺言を守りたいのも、フォスを守りたいのも、アンタークが復元しないならアンタークになりたいと願う心も、全てカンゴームを構成する、苦しいけど大切な何かだった。
その苦しみは愛の副作用であって呪いではないはずなのに、それは呪いだという呪いをかけられてしまった。
フォスの変化に心が揺れ続けてメッキみたいに剥がれやすくなっていたカンゴームの愛の装甲が剥がされてしまった。
剥がされた後のカンゴームは、フォスにちゃんと対等な友人としての厳しいけど的確な助言ができている(伝え方がマズいので全く伝わってないし、敵陣に骨抜きにされすぎてて半分フヤけてるけどw)
なまじ愛のある相手には目を瞑りがちになるから、このくらいの方が、今のフォスにはよかったのかもしれない(?)(頭砕くのはやり過ぎだけど)
目の奥にいたのは、ゴーストの呪いなんかではなく、フォスへの愛だったのに、「目の奥に誰もいないのは楽だ」なんて言う心の内が悲しすぎる。
カンゴームはフォスにラピスの頭付けたあたりから心の何かが破壊しすぎて思考停止しちゃっていろいろ事態についていけてないって感じがする。
カンゴームはフォスとの関係における役どころが一番難しいキャラかもしれない。(私がカンゴームならそもそもフォスにラピスの頭付けるの承諾しなかったと思うけど。どっちにも悪い気がして)
ここ、めちゃ難しい問題だと思う。
それで、頭付けた後もずっとそれ引きずってしまって苦しかったのかな?その苦しみを誰とも分かち合えない恐怖をクソ野郎に利用されたんだなって思った。
…などど、勝手な解釈だけど、そう思う。
話戻るけど
個性をバラバラにされたのはフォスだけではない。
個性を壊される絶望=月に敷かれた粉々の宝石たち
は、もう戻ってこない。
エクメアが宝石の粉を月に敷き詰める理由としてフォスに語った理由は本質的な理由ではなく、表面的な理由の方だろう。
実のところヤツは
唯一無二を砕く全能感という麻薬にラリっているだけのクソ野郎なんだと思う。
ここからの話は(も)私の勝手な偏見による見解ですが、
唯一無二の個性が壊されることは悲しい。
だけども、
それよりもっと強烈に、
「役にも立たないのに「個性」と言うこと」
に対する、
羨望の入り混じった侮蔑
嫉妬を隠すための嗜虐心
のような複雑で縺れに縺れた仄暗い感情が見える(?)気がする
要るけど、届かない、なら要らない
要らなくはないもの、踏み躙りたい
…みたいな(?)感じ
その病理こそ、この作品が描かれた裏にあるパッションではないか?と思った。
個性をなくした、アイデンティティをなくした、哀れな可哀想なフォス。
だけど、「役に立ててよかったね?」
そうほくそ笑む、嫉妬の表側にある嗜虐心、
「清く正しい本当」は、好きだけど手放しに好きではない、正直言うと、それが負かされる姿が見たい
大大大嫌いな「清く正しい本当」の、
そんな姿、ぐうの音もでないくらい、見せたい
みたいな(?)何重にも反射させた闇的なサムシングを感じる
※私がここでいう清く正しい本当とは、月に行った後のフォスの祈りに向けた行動のことを指しているではなく、元来のフォスがもっていた純粋な心根の方について言っています。
多分、作者は、カタルシスが得られる綺麗なフィクションなんか求めてないゴリゴリのリアリストなんだと思う。
フィクションとしての心情的にスッキリ読みやすい物語を犠牲にしてでも、「本気の胸糞」という、見たくないけど見てしまう人間の本性のドロドロを余すところなく暴露したかったのではないか??
でもその胸糞の奥から、事象の裏に隠された本当に尊いものを、(ハッキリとは描いてないし、なんならこの漫画内では虐め抜いちゃったんだけど⭐︎)'ちゃんと掬いあげてほしい…
みたいなパラドックス(?)
その目論見は、まさに「狙いどおり」の反響を生んでいるんではなかろうか。
ここからは余談
目的を果たすのに必要な有用性を磨くのために個性を砕く(人を道具みたいに扱う)と、宗教(祈り)が必要になる。(だから、多分あんな宗教じみたラストになる。)
その祈りはしかし救ってるように見えて単なる先延ばし
他人に祈られないといけないとかいう気持ち悪い依存になる。
イエローとか、シンシャとか、月でも比較的原型保ってる人たちは何ひとつスッキリしてないだろコレ。
やはり正解は他にあったはず!感が拭えない。
皆が個性を活かして個性を否定せずに認め合い、序列を作らず当然のように愛し合って足りない部分を全員で補うことができれば、(ユークレースが途中から提案した方法が最初から出来ていれば)
ひ弱なフォスも、もう緩やかに自殺することを選ばない。
弱いからこそみんながとうの昔に忘れた純粋な気持ちを保持している、その希少さをきちんと評価してもらえる国だったはず。
そんな国では、ある意味一人一人が「神」になるから、他人から押し付けられた物語(宗教)なんていらない。
自分で自分を祈れる存在になる、はず(?)だから、クズ月人(エクメア)と思想面でシンクロすることもなく、こんなラストにはならなかったはずだ。
フォスが承認欲求を持て余したのは、有能さで承認されないといけないみたいな価値観がもたらした歪みでは?
ユークレースは「フォスは特別になりたかったですものね」と言ってるけど、本当のところ、フォスは特別になりたかったわけじゃなくて、自分のありのままを認められたかっただけでは…?
それが叶わないから、自分を変えるしか方法がなくなっただけ。
フォスが変わらなければ、クズ月人の歪みを受け入れずに済んでたのではないか?
もしも後者の自力で祈る世界観で描いていた場合、この作品世界の設定でフォスがどうなっていたのかが、とても気になる。(その場合は、ウンコ王サイドとの絡みももっとあって面白かったと思う。)
そしたらエクメアの嫌な遠隔攻撃にも、もう少し余裕ある対処ができていたのではないか…というか、あんなクズが付け入る隙など与えなかったのでは?と悔やまれてならない。
いつも一番弱い者が狙われる。
一番弱い者をいかに守れるのか。
コミュニティの真価が問われるのはそこだ。
そこに、平和への鍵があると思う。
誰か物語の時を巻き戻して、「誰もフォスに意地悪放題言ってなかったら?(末っ子すくすくバージョン)の宝石の国」を描いてくれよ〜✨たのむよ〜✨
(結局「他力本願」かよwww)